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偽りの婚約破棄令嬢は恋を胸に、遠き蒼穹の彼方へ  作者: ニセ@梶原康弘


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第16話 顕現

「な…………っ!!」



 一瞬、ランスロットは口が聞けなくなった。


 ランスロットだけではない。傍らのアリストゥス、控えていたセント・ラースローの近習たちも目を見開いたまま、まるで凍り付いたようだった。


 魔法球からエインゼルの言葉を聞いていたフェリーリラ王国の人々も思わず息を呑んだが、次の瞬間……歓喜の声が一斉に沸き上がった!


 ある者は口からあらん限りの声を迸らせ、またある者は傍らの友人や家族に抱き着いて……



「水が届く! 届くぞ!」


「今を頑張れば……水が飲める!」


「今を耐えれば……」



 涙を流している者もいる。湧き水は僅かしかなく、貯水池の水は心細い限りだった。隣国はどこもセント・ラースローの威光を恐れて水を分けてくれない。フェリーリラの人々は、希望のない暗闇の中でずっと耐えるしかなかった。


 エインゼルはそこに、セント・ラースロー帝国の思惑を裏切る形で小さな希望の灯火を掲げてみせたのだ。


 一方、見事にしてやられた側……ランスロットは口をぱくぱくさせていた。何と言っていいのか咄嗟に言葉も出ない、といった様子だった。


 だが、驚愕を過ぎた彼は怒りに目を剥いた。



「き、貴様……よくも余を謀ったな!」



 指を突きつけ、あらん限りの声でランスロットは喚いた。


 エインゼルは黙って彼を見返している。


 ランスロットは、歓喜するフェリーリラの人々へ向かって「貴様ら、その水源はセント・ラースロー帝国の正当な財産だ! 勝手に強奪し自国のものとするなど断じて許さん! 即刻、余の国へ返還せよ!」と怒鳴った。


 だが喜びに沸くフェリーリラの人々の中で、そんな声に耳を傾ける者など誰もいなかった。



「お前たちは知らんのか! そもそもこやつはロゼリアではなく、エ……」



 エインゼルの耳に突然銃声が響いた。目の前の魔法球にヒビが入り、映像と声が途切れる。さらに二発、三発と穴が穿たれ、魔法球は粉々に砕け散った。


 驚いた彼女が振り返ると、ちょうどルーベンスデルファーは構えていた拳銃をホルスターへ戻すところだった。


 ランスロットが怒りに任せてエインゼルの正体を暴露しようとする前に彼は魔法球を破壊し、交信を終わらせたのだった。



「ルーベンスデルファー……」


「たくさんの生命を救う為に貴女がどんな気持ちで罪を犯したのか……あんな男にはしょせん分かるまい。ロゼリア姫が生きていたら、きっと貴女を赦すはずだ」



 それまで気を張っていたエインゼルが思わずふらつくと、ルーベンスデルファーは優しく抱きとめた。



「エインゼル、フェリーリラの人々の顔を見たか? みな、貴女の言葉で希望を持ったんだぞ。よく頑張ったな……」



 エインゼルはうなずいたが、それよりもルーベンスデルファーが「ロゼリアが生きていたら赦したはず」という言葉に泣き出してしまった。



「泣かなくていい。俺がついてる」


「いいえ。嬉しくて……」



 亡き主君の思いを継ごうと必死に自分がしてきたことが決して己の独りよがりなどではなかったのだと知って、嬉しさに思わず涙がこぼれたのだった。


 エインゼルの言葉にルーベンスデルファーは戸惑ったが、今は詮索などしていられない。彼はエインゼルを背負うと急ぎ足で歩き出した。



「フェリーリラの人々が貴女を待ってる……行こう!」


「はい!」



 二人と遠巻きに監視している基地の兵士達は、通信用の魔法球が突然切れたのでどうしてよいのかわからない様子だった。


 ルーベンスデルファーは「来るなら来い、相手になってやる」と言わんばかりの顔で兵士達を睨みつけ、駐機していた飛行場の端へ辿り着いた。風防を開け、疲れた様子のエインゼルを抱きかかえて後部座席に着かせる。


 続いて操縦席に乗り込んだルーベンスデルファーはエンジンのスターターを回した。 



(急いで離陸した方がいい)



 基地の兵士達は意気地もなく何も手出し出来ずにいる。


 それよりもルーベンスデルファーは交渉機と遭遇して着陸する前からずっと、妙な胸騒ぎがしていた。



(地上に停止しているこの状態で空から狙われたらひとたまりもない)



 着陸する時にも感じたあの「殺気」を思い出した彼は、振り返ってもう一度空を見上げた。



**  **  **  **  **  **



「おのれエインゼル! おのれルーベンスデルファー!」



 セント・ラースローの首都ペストブルダ王宮では、皇子ランスロットが怒り狂っていた。


 もっともその怒りをぶつけようにもルーベンスデルファーが魔法球を破壊したので通信が切れている。


 通信が切れたことで、ランスロットは国境警備隊に二人の捕縛を命令することも出来ず、エインゼルがロゼリア姫を騙っていることも公にすることが出来なかった。



「新しいを魔法球を用意しろ! 早くしろ!」


「は、はい」


「グズグズするな。さっさとやれ!」



 怒鳴り散らすランスロットの傍らで、アリストゥスは自国ゾルアディウスの大使を呼び寄せていた。



「ウル・アータ大使、御覧の通りです」


「はい……」


「魔法球で連絡して、国境に待機させていたゾルアディウスの戦闘機を離陸させて下さい。決して逃がしてはなりませんよ。絶対に水宝玉を取り返すのです!」


「仰せのままに」


「ま、待ってくれ!」



 慌てたランスロットが二人の間に割って入った。



「このままあの二人を逃がしてはセント・ラースロー帝国の沽券に関わる。余が必ず……」


「ふふっ、それもう聞き飽きました」



 アリストゥスは艶然と微笑んだが、言葉は冷ややかだった。



「二人を取り逃がし、追撃も待ち伏せも失敗、説得も出来ず……セント・ラースロー帝国の沽券とやらは、充分見せていただきました。今さら何が出来ますの?」



 嘲笑されてもその通りなので何も言い返せなかった。アリストゥスは今までの媚びるような態度が一変している。

 ランスロットは卑屈な笑みでアリストゥスの機嫌を取り結ぼうとするしかなかった。



「で、でもなぁ、セント・ラースロー最強の飛行隊でも敵わなかったんだ。ゾルアディウスの戦闘機で止められるのかどうか……」



 オロオロと言い訳するランスロットを横目にフンと鼻で嗤ったアリストゥスは、胸元から小さな魔法球を取り出した。



「ご心配なく。策は講じてますわ。もう一手……異世界から彼奴を狙う刺客をここに用意してますの」



 魔法球は何かの魂を封じ込めたものらしく。球の中で血の色をした焔が燃え盛っている。


 アリストゥスはそれを天井へ向かって放り投げ、呼び掛けた。



「虚空からずっと見ていたであろう、あの翼の紋章を。あれこそお前のすべてを奪った鍵十字の帝国。さぁ、今こそお前のその憎しみ、思い知らせるがいい……リディア・リトヴァク!」



 次の瞬間、魔法球が爆発したように弾け、真っ赤な閃光が辺り一面に迸る。人々は目を覆ったが、それは一瞬だった。


 閃光の消えた後に、魔法球が弾けた痕跡などどこにも残っていなかった。



「今のは一体……」


「召喚魔法ですわ。顕現した彼女なら、あ奴を仕留めることが出来ましょう」



 扇子で口元を隠したアリストゥスは小首を傾げ「でも、もしかしたら自分で手を下さなきゃいけないのかも知れないわ……そんな気がする……」と独り言をつぶやいた。


 傍らのゾルアディウス公使は、自国の略奪妃がこのような召喚魔法が使えるなどとは知らなかったらしく、目を白黒している。



「さて、復讐鬼のお手並み拝見とゆきましょうか。仕損じても次はゾルアディウス戦闘機隊と挟み撃ち……もう逃げられますまい」



 ククク……と妖艶に笑ったアリストゥスに周囲はゾッとなった。



(こんな召喚魔法を使える魔女は、セント・ラースローにだっていない)


(彼女は一体……)



 ランスロットは後ずさり、周囲の人々もアリストゥスから思わず距離を取った。


 ゾルアディウスからやって来たこの少女がランスロット皇子に見初められ、婚約者の座を奪ったことは既に誰もが知っている。


 だが……その彼女が実はただの人間ではない……と、ここに来て彼等は悟り始めていた。



「ふふふ……天井に映像を映しますわ。さぁ、皆さん一緒に見て楽しみましょう。私の復活を妨げた者の凄惨な末路を」


「復活……?」



 聞きとがめたランスロットが小さな声でつぶやく。



「アリストゥス様。いや、アリストゥス……お前は一体何者なんだ」



 以前、その正体の一端を垣間見た空軍将校のバレストン中佐が震え声で糺すが。


 

「……」



 アリストゥスは、にぃ……と笑みを浮かべただけで応えようとはしなかった。


 そして、その不気味な笑みに、それ以上彼女を追及しようとする者は誰もいなかった……

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