婚約者が妹の所業にキレて家ごと包囲した
「お姉様の代わりに、わたくしが嫁ぎますわ」
妹が姉の部屋の前で宣言した。
姉の婚約者は、顔をしかめる。強面と言われる顔は、かなりの迫力があった。
「何を言っているのですか。今、彼女は懸命に病と闘っているのですよ」
「あら、ご希望ならすぐにその闘いを終わらせてもよろしくてよ?」
可愛いと評判の笑顔で、妹はこてりと首をかしげる。
「……君にはそれができるということか?」
「ええ、あなたのお望みのままに」
人差し指を思わせぶりに、自分の唇に当てた。
「つまり、君が彼女に毒を盛ったと? 病気に見えるような、巧妙な毒を?」
「ええ。わたくしたちの邪魔をする者は排除しなければ」
人差し指を自分の唇から、姉の婚約者のそれへ移動する。
「それは、君のご両親も承知の上か?」
彼は廊下の壁に妹を縫い付けた。腕と壁で妹を囲み、その耳元で囁くように問う。
「……なぜ、そのようなことをお聞きになりますの?」
妹は目をうっとりと細めた。
「君の協力者か否かで、この先のご両親に対する態度が変わることになる」
「それなら、ご安心ください。
愛されているのは、わたくしだけですの。可愛げのないお姉様など……」
妹は勝利を確信した。姉の婚約者の表情を見ることはできないが、この距離は恋人のものだ。
「可愛げ? それが、私が婚約者に贈った首飾りを、あなたがしている理由ですか?」
「ええ、わたくしの方が似合っているでしょう?」
妹は首飾りに手をやって、微笑んだ。
「そうか、よくわかった」
彼はすっと後ろに下がり距離を開けると、ためらいなく妹の首を押さえつけた。
「がぼっ、え、なに……」
妹は、ようやく何かが違うと気付く。
会話が聞こえない位置に控えていた部下に向かい、大声で指示を出す。
「当主夫妻の確保に動け。鍵は壊していい。
医療班、突入!
屋敷の周囲を押さえ、使用人の逃亡を阻止しろ。尋問ができれば、腕の一、二本なくても構わん」
婚約者がパン粥の皿を持って、ベッドの脇に陣取っている。
「あの、自分で食べられますが」
「君ができるかどうかが問題なのではない。私がやりたいかどうかだ」
ずいっとスプーンが差し出された。鬼のような形相で、指先がぷるぷると震えている。
引っ込める気はないようだと、覚悟を決めて口を開けた。
適温に冷まされた味わいが舌に乗った。
横目で見ると、「うむ」と満足げな婚約者がいる。
一体、何をさせられているのだろうか。
三口ほどで「これ以上食べられない」と言ってしまったが、それは受け入れてくれた。
枕元のキャビネットにパン粥の皿を置くと、婚約者はずいっと顔を寄せてきた。
「無骨な軍人の俺が君を怖がらせるかもしれないと遠慮していたが、それでは駄目なことがわかった」
「……駄目とは?」
「君を守るべき立場にありながら、危険に晒してしまった。二度と同じ過ちは犯さない」
自分の指に布を巻きながら、話を続ける。
「この家では、君を蔑ろにして妹ばかりを可愛がっていたんだな。
参謀閣下に君との見合いを命じられたのは、君の親族に良心的な人間がいたからだ。その人が君をこの家から逃がす手立てを探していて、閣下の副官である私に話が来た。
面倒くさいと思ったが、今となっては自分が選ばれてよかったと思う。
はい、あーんして」
そんな親切な親族などいただろうか?
思い当たる人がいないと考えていたら、顎に手を当てて、口を開かされる。
「え?」
と言いたかったが、彼の指が口に入っていて、うまくしゃべれない。
「歯磨きの代わりだ。洗面所まで歩けないだろう」
丁寧に歯の表側も裏側も拭かれていく。
「君の両親だが、私を野蛮な軍人だと馬鹿にしていたのに、金を持っていると知った途端に態度を変えたな。
あんな我がままな妹とすげ替えようなどと、本当に腹立たしい。
私がそれを拒否したら、君を亡き者にしようとは。
私が求めたのは君であって、家名ではないのだ。
もう、狂っているとしか思えない」
口を開けているので、よだれが垂れてしまう。
それも、丁寧に拭われた。
もう、恥ずかしくて堪らない。
コップの水で口をゆすぎ、たらいに吐き出したところで、ようやく解放された。
体力の問題か、羞恥心の問題かわからないが、ぐったり疲れ果ててしまう。
そんなわたくしを彼は優しく寝かしつけ、枕の位置を調整してくれた。
ふうと息を吐いてから、呟くように言ってみた。
「妹は甘えるのが上手なのです。人をその気にさせるのがとても……」
「怖ろしいな。魅了のスキルでも持っているのか」
「わかりません。ですが、あなたにも効いているのかと思いました」
「な、どうして、そんなふうに考えた?
あんな表面的な言葉で惚れるような、頭の悪い男に見えたのか」
思わず大きな声を出し、慌てて手で口を覆う様子が可愛らしい。
「両親の愛情が妹に移っていくのを見ていたものですから……。
それに、わたくしといるよりも穏やかな表情で楽しそうでしたわ」
少しだけ、不機嫌さを出してみた。
「君といると、嫌われたくないと緊張してしまうのだ。すまん」
汗をかきそうな勢いで慌てている。
少しいじめすぎたかもしれない。
この男は信じられる。いや、これが嘘ならば、もう全てが信じられない。――そう思う。
どうしてこんなに丁寧にしてくれるのか、胸が苦しくなるほど嬉しい。それと同時に不安になる……。
一眠りして目が覚めたとき、まだベッドサイドに婚約者がいた。
今度はすりおろした果物を食べさせられながら、説教を受ける。
「遠慮したり、自分が我慢すればいいと考えたりするのは、一見美徳に思えるが違う。
どこかに不具合がある証拠であり、歪みだ。それを放置するのは崩壊の危機を内在させる行為であり、長期的に見れば迷惑な行為なのだ」
難しくてよくわからない。首をかしげていると、こほんと彼は咳払いをした。
「つまり、君を萎縮させた害虫は駆除したから、これからは伸び伸びと、やりたいことをやってほしい」
害虫というのは、両親と妹のことだろうか。
あの雰囲気だと逮捕されている気がするが……実際はどうなっているんだろう?
「言わなければ伝わらないと身に染みた。
だから、言うぞ。
君を大切に思っている」
嬉しいのですが、また眠くなってきました。
「夜会でそれを表したくて、金に糸目をつけずに君を飾り立てた。
それが君の妹の物欲を刺激して、君を危険な目に遭わせてしまった。すまない。私の状況把握が甘かった」
婚約者は拳を握り、熱く語り出している。
「一般女性でも、ときにとんでもなく怖ろしいものなのだな。いや、全員がハニートラップ要員だと想定して、用心していればいいのか」
上のまぶたが、下のまぶたとくっつきそうだ。
「君もそうなのか?
そんなことをされるくらいなら、君を監禁してしまいたい。
それよりも、君は優しすぎて、押しの強い男を拒めないのでは……」
パコンと音がして、驚いて眠気が飛んだ。彼が後ろから頭を叩かれたようだ。
「坊ちゃま、いい加減になさいまし。自信のない男がするような暴挙は、許しませんよ」
彼の乳母と言っていたか……その彼女がなぜここに?
「この家の使用人は信用ならないと言うことで、数名お邪魔しております。ごゆっくり体を休めてくださいね」
背の低い彼女は、坊ちゃまの耳を掴んで部屋から引きずり出した。
あっけに取られていると、二人はすぐ戻ってきた。
「お休みになる前に、シーツを取り替えましょう。汗をかかれたと思いますのでね」
いつもはわたくしを無視するメイドたちが決まり悪そうに、部屋に入ってきた。
乳母が布団をまくって彼女に持たせ、手の空いているメイドに指示を出していく。
「ぼっちゃま、変なところを触ってはいけませんよ」
「私を何だと思っているんだ」
ブツブツ言いながら、壊れ物に触れるようにわたくしを抱き上げた。
乳母は手早くシーツを剥ぎ取り、洗ってあるシーツに取り替えた。
汗をかいて、毒素も染みているかもしれないシーツだ。見られたら恥ずかしいと思っていたが、くるくると巻き取っていく。
「はい。降ろしていいですよ」
乳母はパリッとしたシーツの出来映えを確認し、満足げな笑顔を見せた。
「このままでもいい」
「いいわけがありますか。お嬢様が疲れてしまいます」
「……」
彼は無言で何か考えている様子。
「穏やかに眠れるというのなら、異性として意識されていないということですよ。
それでいいのですか?」
きっと顔は真っ赤になっているだろう。もう限界だった。手で顔を隠し、一言もしゃべれない。
「いや、よくないが」
「なら、降ろす。寝かせる。
求愛は、健康を取り戻してから。
いいですね?」
「はいはい、わかったよ」
お坊ちゃまが乳母に勝てるはずがないのだ。白旗を揚げて、退散した。
彼を追い出した後に、手早く寝間着も取り替えてもらった。
ああ、これでゆっくり休めるわ。
そっとシーツを撫でる。清潔で、肌触りのいいものだ。
クスクスと笑いがこみあげてきた。
もう、安心していいのだと。




