【1】 石箱の正体と、信玄の不覚
比叡山の洞窟で鬼を助けた信長――
しかし、それがどう“あの石箱”につながるのか、杉山課長にはまだ見当もつかなかった。
それは、この場に集まった者すべてが抱えていた、“糸口の見えない困惑”でもあった。
そして――
その迷宮に、一筋の道を指し示すように、時貞が再び、口を開いた。
「信玄は、武田領内で暴れ回る“鬼”を、
どう封じ、どう葬るか――
そのために、軍師たちと共に、密かに、そして長い時間をかけて策を練っていた。
そして彼は、自ら出陣し、織田・徳川の領地へ攻め入れば、
必ず鬼が姿を現すであろうことを、予測していた。
信玄が長篠に陣を敷いたそのとき――
“鬼が放たれた”との報せが、届いた。
信玄は、すぐさま全軍に撤退を命じる。
だが、甲斐へは戻らず――諏訪へと兵を退いた。
鬼は、その動きを追うかのように、彼の背を追ってきた。
戦国屈指の戦略家である信玄には――そこに“明確な狙い”があったのです」
そこまで語ると、時貞は一度、言葉を止めた。
そしてゆっくりと、会場全体へ視線を巡らせる。まるで、無言の問いを投げかけるように。
数秒の沈黙ののち――
「明確な狙い……えっ、ということは、あれは……」
ぽつりと声を漏らしたのは、碧だった。
杉山課長は、はっとしたように碧の方へ顔を向けた。
だが、彼の思考は、まだ霧の中――答えを求めて、さまよい続けていた。
岩城の内心もまた、同じだった。
しかし、時貞が石棺以外の説を唱えたとしても、彼にはそれを論破する自信があった。
その根拠は――
石箱の外蓋の中央に穿たれた、直径二メートルの、あの“円形の穴”。
――密閉されるべき箱の蓋に、なにゆえに穴が空いているのか。
それ自体、どう考えても“道理に合わない”代物だった。
実際、先輩の教授仲間たちが、どんな仮説を立てたとしても、
この“穴の存在意義”について、誰ひとりとして明確に説明することができなかった。
それどころか――
どれほど巧妙な理論を打ち立てようと、“あの穴”は常に、最後の障壁として立ちはだかってきた。
何をもって石箱の正体を語ろうとも、あの穴の存在は“邪魔”でしかなかったのだ。
「あれは、鬼を捕まえるための……」
碧の言葉に、時貞は顔を上げた。
そして、ゆっくりと正面へと向き直ると、
「そうです。あの石箱は……武田信玄が、軍師たちと共に作り上げた、
――“罠”だったのです」
その言葉が会場に落ちた瞬間、空気が揺れた。
「なっ……何だって!?」
抑えきれない驚きが、場内に一斉に広がった。
異口同音のどよめきが、木霊のように会議室を包み込む――。
信玄の墓――あるいは信玄の隠し財宝ではないかと騒がれてきた、あの巨大な石箱。
それが実は、信玄自らが仕掛けた“罠”だった――?
時貞の口から放たれたその言葉は、会場の空気を凍らせた。
誰もが、まさかと息を呑んだ。それは、あまりにも突飛で、荒唐無稽な答えに思えた。
「……罠だと?
では、あの石蓋に開いた円形の穴は、いったい何の意味があるのかね」
岩城が、待ってましたと言わんばかりに問いを投げる。
それは彼にとって、想定内の決まり手だった。
この“呪文”さえ唱えれば、どんな説も一刀両断にできる。
そう信じていた――いや、自信があった。
時貞は、すぐには答えず、静かに俯いた。
その姿はまるで、追い詰められた者の沈黙のようにも見える。
「……あれが罠だとしたら、なぜ中に“信玄の首”があったんですか?」
杉山課長も納得しきれずに問いを重ねた。
だが岩城は、その言葉に苛立ちを覚え、無言で睨みつける。
(待て……まだこっちが訊いたことに答えていないだろう!)
――岩城は確信していた。
このまま時貞に“あの穴”の矛盾を突きつければ、彼の論は崩れ落ちる。
――勝利は目前だ。
そして、時貞が顔を上げた瞬間に浮かべる、狼狽の表情。
それこそが、自分の“勝利”を証明するものだった。
そんな時貞は、俯いたまま、ふっと口元を緩めてニヤリと笑った。
そして、あえて感情を抑えた“クールな”表情を作ると、ゆっくりと顔を上げる。
「――それを、今からお話ししましょう」
落ち着いた口調で、余裕すら漂わせながら、静かに言った。
まるで、“自分の方が一枚も二枚も上手だ”と言わんばかりの、どこか他人事めいた笑みを浮かべていた。
そして次の瞬間、時貞は壇上から音もなく降りると、何も言わず、ゆっくりと窓の方へと歩き出した。
その背に、会場の視線が一斉に集まる。
窓際で立ち止まると、彼は両手を大きく広げ、まるで舞台役者のような仕草で語り出した。
「これからお話しするのは――
たった一度の過信から、取り返しのつかない、一生の不覚を背負ってしまった……
戦国随一の、悲しき“戦略家”の物語になります」
チャンネル9のカメラが、ゆっくりとその背中を追っていく。
時貞の動きに合わせて、会場の空気が、じわじわと変わっていくのが分かる。
『いよいよ始まるぞぃ!』――一織は、時貞のオーバーアクションを見て、心の中でつぶやいた。
その横で、碧と龍信はというと――
初めて目にする“時貞劇場”に、少し戸惑い気味の表情で顔を見合わせていた。
これから何が起きるのか、まるで見当がつかず、思わず息を呑んでいた。




