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血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第17話 信長の怒りと策略

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【3】 怒りの炎、魔王と鬼の契り

―――元亀二年、九月十二日。

(比叡山焼き討ちの日)


信長は家臣に呼ばれ、比叡山の洞窟へと足を踏み入れた。


中は広く、鼻を突くような異臭が漂っていた。

湿った空気に松明の灯りが揺れ、壁の影が怪しくうごめく。


やがて洞窟の中央に、大きな縦穴が現れる。

その底から――低く濁った、呻きとも唸りともつかぬ声が響き上がってきた。


家臣は黙したまま、その穴を指差す。


信長は眉をひそめつつ、手にした松明を穴へと落とした。

炎は暗闇を舐め、深い底を赤く照らす。


――そこに、二頭の巨大な生き物がいた。


呻き声を漏らしながら身をよじり、こちらを仰ぎ見ている。

その顔を見た瞬間、信長は息を呑んだ。


それは、名だたる絵師が描いた**「鬼」**の貌、そのものだった。


信長は、上から暫く鬼の顔を眺めていた。

そして、話しかけた。不思議と恐怖心は無かった。

話しかけた信長は驚いた―――鬼が自分の言葉を理解している。

信長は、鬼とある約束を交わした。

信長の提案は、鬼にとって――まさに命冥加(いのちみょうが)であった。


鬼は、信長に向かって、《《比叡山の僧侶を皆殺しにしたい》》と――鬼の目は、そう言っていた。

言葉は発しなかったが、信長にははっきりとその意志が伝わってきた。


信長は、しばし無言で考え込んだ。

そして信長は、鬼が棲む暗い穴へと、たったひとり、縄梯子をつたって静かに降りていった。


その中は――人間の屍で溢れていた。


強烈な腐臭が満ち、足元の感触さえ生々しい。

信長は思わず手で口元を覆った。

骨の山の中に、まだ肉の残る手や足が転がっている。


耐えきれず、信長はその場に嘔吐した。

顔を上げたとき、視界の隅に――幼い少女の生首が転がっているのが見えた。

よく目を凝らすと、同じような遺体がいくつも、奥に折り重なっていた。


比叡山の僧侶たちは、いたいけな少女たちを弄び、殺し、この穴へ投げ捨てていたのだ。

鬼は、それら亡骸を食らい、生きながらえていた。


僧侶たちは、鬼のいるこの穴の上から槍で突き、糞尿を浴びせかけ、弄んだ。

だが、殺しはしなかった。

彼らにとって鬼は、不要になった死体を処理する“掃除人”だったのだ。


信長は、こみ上げる怒りを抑えきれず、ゆっくりと顔を上げた。

そして、鬼に向かって命じた――


「僧侶どもを、殺せ。……皆殺しにしろ!!」



当時、仏僧(ぶっそう)たちの所業は、偽善と汚行(おこう)にまみれていた。

しかし、呪詛(じゅそ)調伏(ちょうぶく)の力が恐ろしく、僧徒(そうと)の横暴に誰も手を出すことができなかった。


穴を出た信長の脳裏には、あの幼気な少女の生首――その哀しげな表情が焼きついて離れなかった。


このとき信長は、寺院の僧侶たちを討つことを、はっきりと心に決めた。

仏僧こそが、この世で最も深い闇だ――そう感じたのである。


そして、この日を境に、信長は自らを《《第六天魔王》》と名乗り始めた。

その怒りの炎は、やがて高野聖へ、そして本願寺へと燃え広がっていくことになる。


信長が洞窟を出ると、二頭の鬼が外で暴れ回っていた。

彼はすぐさま兵に命じた――「これを見た者は皆殺しにせよ」と。口封じのためである。

自軍の兵には固く他言を禁じ、もし口にした者があれば、即刻斬首とした。


やがて、あたり一面に首を斬られた僧侶たちの死体が転がり、無惨な光景が広がっていく。

信長は、それらすべてを焼き払うように命じた。


信長の比叡山の焼き討ち――それは、鬼の存在を知っている者の口封じと、証拠隠滅であった。


鬼は、高度な知能を備えていた。

いつから存在し、誰によって、“地球(この星)”へ連れて来られたのか――それは、信長にも分からなかった。


信長は城へ戻ると、二頭の鬼に命じた。

「武田の領地を荒らせ。ただし、人目に付きすぎるな」


鬼たちは命令通り、各地で武田家の荒武者を次々に斬り伏せていった。

逃げる者も容赦なく追いかけ、殺した。


やがて武田の領内では、いつしか噂が広がり始めた。

そしてそれは、いつしか、“大きな首なし武者――獄禍(ごっか)”になっていった。


鬼は、胸の前に頭がある為、正面に回らなければ、それが“首を持つ者”だとは分からなかった。

だが、正面に立った者は――すべて、殺された。


唯一、後ろから目撃した者たちが、鬼を、大きな首無し武者と呼んだのだ。


______________________________________


「……今後、“首無し武者・獄禍”についても、“鬼”として話を進めさせていただきます」

そう前置きした時貞の表情には、どこか陰りが差していた。


戦国の覇者が直面した、あまりに凄惨な出来事――

それは、まるで天が退屈しのぎに放った――軽い気持ちの、戯れ事だったのかもしれない。


その重さが、会場の空気を凍りつかせていた。

誰ひとり、言葉を発する者はいなかった。


時貞は、遠い昔の“おとぎ話”を、なおも語り続けた。

「武田領内で、二頭の鬼が暴れ回っていた。

 そして名だたる将たちの首が、次々と宙を舞った。

 武田家の侍たちは、鉄砲で撃ち、刀で斬り、槍で突き、弓で射抜いた。

 しかし、鬼にはまったく効き目がなかった。

 火矢を放っても、怪物は燃えることすらなかった。


そんなある日――鬼の一体が、信長の目の前で、切り捨てた武田家の重臣の、その生首を口から“吐き出して”見せた。


それを見た信長は、ついに『信玄の首を、取ってこい』と命じます」


場内が静まり返る中、時貞はゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「信長はそれまで、鬼を信玄の暗殺には使おうとしませんでした。

 なぜなら、戦場でもなく、誰の目にも触れぬ場所で信玄を殺したとしても――

 武田家は影武者を使って、信玄が健在であると装うことができた。

 それでは、何の意味もなさないのです。


 しかし――本物の“首”さえ手に入れば、話は別です。

 その首を掲げ、『信玄、討ち取ったり!』と叫べば、それでよい。


 そして、ついに信長は命じました。

『信玄の首を、取ってこい』――と」


時貞は、ふっと目を細めて顔を上げた。

その口元には、かすかな笑みすら浮かんでいた。


「……まあ、最後のあたりは、私自身の想像も含まれていますが」


彼は小さく肩をすくめ、会場を見渡した。


「事実として残っているのは――比叡山の焼き討ち。

 そして、その頃から、信長が“第六天魔王”を名乗り始めた、ということだけです。

 その背後に“鬼”がいたかどうかは、もう誰にも分かりません」


会場に沈黙が落ちた。

まるで遠い昔の怨嗟が、なおもそこに息づいているかのようだった。


杉山課長は、今語られた物語の余韻に沈みながら、

この話がどう“あの石箱”へと繋がっていくのかをじっと考えていた。


その時だった。


岩城部長が、苛立たしげに椅子を軋ませ、ついに耐えかねたように口を開いた。


「あなたの意図は分からないが、

 まるで戯言じゃないか……この場を遊び場とでも思っているのかね?

 いま議論しているのは、“あの石箱”と、“信玄の首”だ。

 なぜ、そこに“織田信長”が出てこなければならんのだ?」


時貞は、岩城を一瞥すると、静かに視線を前へ戻し、落ち着いた口調で続けた。


「信玄は、三河攻略のために、長篠城に陣を敷いていたときのことです。

 岐阜城に潜ませていた間者から、密書が届きました。


 ――“二頭の鬼が放たれた。狙いは、貴殿の首である”と。


 その報せを受けた信玄は、即座に全軍へ撤退を命じた。

 城は、いつでも落とせる。だが――“鬼”には、刀も鉄砲も通じない。

 信玄は、それを誰よりも理解していた。彼は一途……」


「……あなたね」

岩城が、堪えきれずに口を挟んだ。

頬に青筋が浮かび――苛立ちはもはや隠しようもない。


「これだけ多くの人が、忙しい時間を割いて集まっているんだ。

 空想のような話を、延々と聞かされるのはもううんざりだ。

 時間の無駄だ。

 先に――結論を言いなさい!」


だが、時貞は動じない。

静かに呼吸を整えると、真っ直ぐに前を見つめた。

その視線の先には、まだ誰も辿り着いていない“真実”が、静かに横たわっていた。


と、その空気を切り裂くように――


「うるさいんだよ、あんた。少しは黙って聞いてらんないのかよ」

龍信が鋭く睨みながら言い放った。


「なにをっ……!」


岩城が拳を握りかけたその時、さらにもう一声。


「そうだぞぃ。うるさいぞぃ。チョビおやじ、うるさいぞぃ」


一織の“ぞぃ”三連発が炸裂した。

まるで緊張の糸を切るように、会場のあちこちから小さく、堪えきれない笑いが漏れ始める。


時貞は俯き、静かに頭を振った。


「あんたの説明の時、教授は静かに聞いてただろ?

  ――今度は、あんたが黙って聞く番だろが」

龍信が鋭く言い放つ。


岩城は、唇を歪めたまま無言で立ち上がり、テーブルを叩いて会場の出口へと歩きかけた――


その瞬間、静けさを破る一声が響きわたった。


「……ちょっと待ちなさい」


低く、重く、それでいて威厳に満ちた声だった。

声の主は、奥に座っていた水篠会長だった。


室内に満ちていた空気が、一瞬にして引き締まる。

いつもの柔らかな笑みは、そこにはなかった。


「そこの――元気なお嬢さんの言うとおりです」

会長の声は、静かに、しかし確かに通る。


「岩城くん。座りなさい。そして、少し静かに聞きなさい」


「……はっ」

岩城は、思わず背筋を伸ばし、肩をすぼめて席へと戻った。


「神童教授、申し訳ない」

水篠会長は静かに頭を下げる。


「時間など、気にせんでよろしい。我々が聞きたいのは、ただ一つ――

 “あの箱”の真相。それだけじゃ。どうぞ、話を続けてください」


その穏やかな一礼に、時貞も深く頭を下げた。

そして、ふと左に視線を向ける。


そこには、一織がいた。

彼女は微笑みながら、そっと小さなピースサインを掲げていた。


岩城はというと、うつむいたまま――

まるで苦虫を噛み潰したような表情で、拳を強く握りしめていた。

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