表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第17話 信長の怒りと策略

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/84

【1】 仮説の綻び、静かなる反撃

碧と一織のほかに、岩城部長の話に異を唱える者はひとりもいなかった。

前回の対戦時に、威勢の良かった鈴木正は、今回は姿を見せていない。

岩城が、彼に急な出張を命じ、参加者リストから外していたのだ。


杉山課長は、後方に座る水篠会長の様子をうかがいながら、声を発した。


「……では、岩城部長の説明は以上ということで。続いて――神童教授、お願いいたします」


促されるようにして、時貞が静かに立ち上がる。


会議室の空気が、かすかにざわついた。

いつも高飛車でプライドの高い岩城を、前回、完膚なきまでに論破した――“あの男”の登壇。

その姿を、どこか期待を込めたまなざしが部屋中から見つめている。


水篠会長もまた、静かな興味を隠そうとはしていなかった。

――今回は、果たしてどんな“夢物語”を聞かせてくれるのだろうか。

彼の穏やかな微笑の奥には、抑えきれぬ高鳴る鼓動が、静かに揺れていた。


そんな空気の中、時貞は無言のまま壇上へと歩を進めた。

岩城は軽く会場に一礼すると、壇を降り、時貞の席とは反対側の椅子に静かに腰を下ろした。


壇上に立った時貞が、襟元にピンマイクをつけながらふと顔を上げると、真正面の席に座る水篠会長と視線が合った。

その表情は、まるで自慢の婿養子でも見るかのような穏やかさに満ちていた。

時貞もまた、静かに微笑み返し、軽く頭を下げた。


――そして、会場の空気が、じわじわと緊張に満ちていく中。


「それでは、神童教授。どうぞ、始めてください」

進行役の杉山課長が、やや身を乗り出して促した。


その声に、時貞はわずかに視線を左へと向けた。

そこには、一織、碧、龍信、源次、翔太の姿があり、全員が静かに、真っ直ぐに彼を見つめていた。


「私の見解を述べる前に、ひとつだけ――あらかじめお断りしておきたいことがあります」


壇上の時貞はそう言うと、会場をゆっくりと見渡し、いつになく慎重な面持ちで、静かに言葉を紡ぎ始めた。


「これからお話しする内容は、現時点で明らかになっている断片的な事実――文献、映像、そして現場の状況――それらをもとに、私なりに推測を重ね、ひとつの仮説として組み立てたものです。

つまり、これからお話しすることは、あくまで私個人の推論に過ぎず、事実とは大きく異なっている可能性も十分にあります。

その点をご理解いただいた上で、お聞きいただければと思います」


――会場は静まり返ったまま、誰一人として声を上げなかった。

時貞の声だけが、確かな重みと共に響いていた。


「まず、岩城部長の説明についてですが――背景となる部分に関しては、私の考えともおおむね一致しています。

現時点で、岩城部長の説を否定できるような材料も、私は持ち合わせていません」


そう述べて時貞は、そこで一度言葉を切り、わずかに表情を和らげた。


「ただ、いくつか……説明の中で、どうにも引っかかった点がありました。

 その点について、まず確認させていただきたい」


そう言って、彼は進行役の杉山課長へと視線を送った。


「もっとも、岩城部長に逐一お答えいただく必要はありません。あくまで、私自身の疑問として――

話を進める上での、前提の整理に過ぎませんので」


そう前置きすると、時貞は穏やかに微笑んだ。


「ええ、どうぞ」

杉山課長は岩城部長に軽く目配せし、それから時貞に視線を戻しつつ、右手を差し出して促した。


「ありがとうございます。ではまず――岩城部長は先ほど、時間的な点から見て、あの大きな石箱は事前に用意されていたのではないか、とおっしゃいましたね」


そう言いながら、時貞は静かに岩城の方へ視線を向けた。

岩城は、その視線を正面から受け止め、無言のまま軽く頷いた。


――岩城は、自分の説明中、神童教授が妙に静かだったことに違和感を覚えていた。

だが今になって、その理由がはっきりと分かった。


先ほど自分が述べた内容と、神童教授の考えがあまりにも似通っていたのだ。

とはいえ、教授としては、それに無条件で同意するわけにはいかない。


だからこそ、彼は自らの理論の中で、まだ解き明かせていない部分を“問い”という形で先に投げかける。

そして、相手から納得のいく答えが返ってくれば、それを自身の考えに取り入れ、肉付けし、完成させる。

――“良くも考えたものだ”と、岩城部長は薄笑いを浮かべた。


「信玄は、引き返す途中で自らの死を予感し、息子の勝頼を呼んで遺言を残した。そして、自らの遺骸を諏訪湖に沈めよと命じた……そうですね」


時貞がそう問いかけると、岩城は静かに頷いた。


(……見え透いた手を)

その胸中を隠すように、口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。


「死期を悟った信玄が、勝頼を呼び、遺言を残した――それ自体は理解できます。

 ですが、どうでしょう。信玄がその死の間際に、自らの遺骸を湖に沈めよと命じるなど、いったい誰が予想できたでしょうか。

 もし仮に、『火葬せよ』と一言でも言い残していたとしたら、あの巨大な石棺は、まるで意味をなさなくなってしまう」


時貞はそこでいったん言葉を止めた。

しかし、岩城部長からの反論は、なかった。


さらにしばし間を置いた――だが、岩城部長は沈黙を崩さなかった。

時貞は、静かに言葉を継いだ。


「岩城部長は、信玄が重い病を患っており、主治医はすでに死期の近さを察していたのではないか……そうおっしゃっていましたね」


視線を岩城へ向けたが、その表情に変化は見られなかった。


「もし、自らが重い病にあると知っていたなら――信玄は戦に出るどころか、むしろ足手まといとなり、最悪の場合、全軍撤退の引き金にさえなりかねません。

そんな状況で、あの冷静かつ周到な戦略家・信玄が、自ら出陣するなど、私には到底考えられないのです」


時貞は一度言葉を切り、わずかに声の調子を強めて続けた。


「そして、岩城部長の分析の根拠になっていると思われるのが――元亀四年四月十六日、信玄の葬儀直後に、信玄の侍医とされる御宿監物友綱みしゅくけんもつともつなが、小山田信茂に宛てて送った書状です。その中には、こう記されています。


『肺肝により、病患たちまち腹心に萌し安んぜざること切るなり。倉公華佗(後漢の名医)が術を尽し、君臣佐使(漢方の生薬の組合せ)の薬を用ふると(いえど)も、業病更に癒えず。追日病枕に沈む』


……たとえこの記述が事実であったとしても、主治医が“死を宣告”したのは、信玄が亡くなった十二日の、四日後になります。

つまりこれは、病状の“事前経過報告”というより、むしろ“死亡報告”に近いものです。

とても、数か月も前から病状を正確に把握していたとは言い難い。


戦乱が続くその頃の、医学の正確性は測りかねますが……

息を引き取る間際でもない“数ヶ月前”に、絶対的主君の死を予告するなど、

たとえ主治医であっても、進言できたとは到底思えません。


もしそれが外れでもしたら、自分の首が飛ぶだけでは済まない――

戦国時代とは、そういう時代です」


時貞は語り終えると、静かに岩城へ視線を送った。

だが、岩城は微動だにせず、答えるそぶりすら見せなかった。

――ここで応じるのは、教授の術中にはまることになる。

そう判断した彼は、あえて沈黙という選択を取ったのである。


「岩城部長の説明が、明確な答えとして結論づけられていれば、私としては自分の説明を省くことができる――正直、そうなることを少なからず期待していました。


ですが……岩城部長の“パズルのピース”は、憶測による膨らみがあまりにも大きく、事実で埋めたあとの“空白すきま”には、どうしても収まりきらないのです。


これまでに述べてきたように、信玄の死を事前に知り、数か月も前から石棺を用意しておくというのは、現実的には非常に難しいことだと思います。


――けれど、時として、現実は想像もつかないような出来事を引き起こします。


ですから、これは岩城部長の説明そのものを否定する意図ではありません。

あくまで私個人としては――可能性としては低いのではないかと、考えているにすぎません」


時貞はそう言って、まっすぐに岩城を見据えた。

だが岩城は、「相手にするつもりはない」とでも言いたげな無表情で、ポケットから煙草を取り出した。


時貞は黙ったまま、その仕草をじっと見つめていた。岩城が火を点けたとき、彼の目線がふとこちらを向いた。


「……何か?」

怪訝そうにそう言われ、時貞はハッと我に返るように顔を上げた。


「あなたは最初に、“答える必要はない”とおっしゃいましたよね。それを今になって、私に説明しろと?」


「あ、いえ……」

時貞は小さく首を振った。


てっきり反論が返ってくるものと思い込んでいただけに、不意を突かれた時貞は、少し面食らってしまった。

岩城もまた、営業の現場で鍛え抜かれた百戦錬磨の男。そう簡単に挑発には乗ってこない。


時貞は視線を正面に戻し、一つ、大きく息を吸い込む。


「まだいくつか疑問は残っていますが、このあたりで、私の説明に移らせていただきます」


岩城部長に答える意志がない以上、これ以上問いを重ねても、時間の無駄だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ