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血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第16話 信玄の石棺だったのか!?

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【1】 道化師の憂鬱と退院の祝福へ

――一週間後。


天井は高く、壁は薄い金箔模様に縁取られ、枕元には季節の花が飾られている。

シーツは真っ白で柔らかく、カーテンは絹のような手触り。

――まるで高級ホテルのスイートルームのような、そんな贅沢な病室のベッドの上で、時貞は横になっていた。


彼は、白衣の天使の腰あたりを見ながら、妙にしみじみとした声でつぶやいた。


「あれっ、あれれれ!……そういえば、君のお尻、あの砂漠で見た、お月様と瓜二つじゃないか。ああ、奇遇だなぁ。君のまあるいお尻を抱かせてあげれば、きっとロレンスも大喜びするな」


「ロレンスが……ほんとうに?」


「ほんとほんと」

白衣の天使は、少しだけ考えこむと、コクリと頷いて立ち上がった。


「いいわ。……ロレンスが喜んでくれるのなら」

そう言って、寝ている時貞の前に背を向け、そっとお尻を突き出した。


だが、次の瞬間。


「――あー、だめだー」

時貞が急に素っ気なく言った。


「えっ……?」


「ちょっと……疲れたから」


「え?」


「悪いけど、外に出てもらえる」

時貞は、そう言ってベッドの上で背中を向けた。


白衣の天使は戸惑ったように問いかけた。

「わたし、何か……気に障ることを……?」


「ちがう。君のせいじゃない。ただ……本当に、疲れただけだから」

その声はどこか、苛立ちと、妙に寂しげな響きを帯びていた。


天使は、二、三度まばたきをしてから静かに歩き出し、そっとドアを開けた。

振り返るも、時貞はまだベッドの中で背を向けたままだった。

肩を落としながら、白衣の天使は部屋を出て行った。


時貞は、面白くなかった。

――自分が、大学の偉い教授であることは、誰もが知っている。

父親が有名な考古学者で、実家は裕福。そんなプロフィールも、すっかり露見していた。


だから、どんなに突拍子もない冗談を言っても、誰も笑わない。

むしろ皆、真顔でうなずいて、きっちり納得してしまうのだ。


相手の目の奥に見えるのは、淡い期待ばかり。

イケメンで、金持ちで、地位もある――そんな大学教授と結婚できれば、玉の輿かもしれない。

そんな夢を見ている女たちの視線に、時貞は、どこか疲れていた。


――ちがう。そういうのは、ちがうんだ。


「バカ、何言ってんのよ!」

「ちょっと、いい加減にしなさい!」


そういうノリのいいツッコミが、欲しかった。

ここでは誰もが、時貞のことを「頭の良い、偉い人」だと知っている。

そして何より――それこそが、道化を演じる彼にとって、いちばんの不幸だった。


――時貞が、ふと首を傾げた。

白衣の天使が出て行ったはずなのに、ドアの閉まる音が聞こえなかった。


《何か、嫌な予感がする》。

あの怪物と初めて対峙したときと、どこか似た胸騒ぎだった。

気になって振り返った瞬間――時貞の顔から血の気が引いた。


「シ、ローくん……」


そこには、怪物よりも恐ろしい表情をした一織が、ドアに手を添えたまま、静かに立っていた。


「蒼い顔して、どうしたのよ。まさかさっき出て行った看護婦さんに、何か悪いことでもした?」


「めっ、滅相もない!悪いことなんて、してない!まったくしてない!」


枕の上で必死に首を振る時貞に向かって、一織は意地の悪い笑みを浮かべる。


「聞いてたわよ。――ぜんぶ、ね」


その言葉と同時に、彼女は顎で廊下を指した。

そこから、ニヤニヤ顔の碧と龍信が顔をのぞかせた。

三人の視線が一斉に時貞に注がれる。


「外で聞かせてもらったわよ。左腕の名前」

碧が、わざとらしく意地悪そうな笑みを浮かべて言った。

左腕は三角巾で吊られ、左足もわずかに引きずっている。


「おれの左腕にも“ロレンス”をつけてくれないか? ……“ジャッカル”の方でもいいけどな」

龍信が冗談めかして言いながら、自分の失った左腕のあたりを、からかうように示した。

右手に杖をついていたが、歩き方はまだ少しぎこちない。

病院嫌いの彼は、医者の静止も聞かず、翌日には退院していた。


龍信は、ジャッカルの話を碧から聞いて知っていた。

暇を持て余していた入院中、何度か碧の方から電話をかけていたらしい。

その碧も今日、ようやく退院することになっていた。


「人の話を立ち聞きするなんて、酷いじゃないか。何で途中で入って来なかったんだよ」

時貞がベッドに寝たまま、一織に顔を向けた。口が、少し尖っている。


「だって、素敵なお話だったんだもん。それに、いつもみたいに邪魔をして、四郎おじさんが結婚できなくなったりしたら……わたし、恨まれちゃうでしょ?」

一織は自分を指差し、どこかしらとぼけた顔で言った。


時貞は一織から視線を外して、碧へと向けた。


「えっ、わ、わたしは入ろうとしたのよ? 

 入ってまた、とっちめてやろうと……でも、一織ちゃんが止めるから……」

と、碧が弁解するように言う。目が泳いでいた。


「おれは知らんぞ」

龍信が、自分に火の粉が飛んで来る前に、首を振った。


――だが、この三人が、ドアの外で話を聞いて、ヘラヘラ笑っていたのは確かだ。

時貞はそれが気に入らなかった。

おそらく龍信だって、壁にもたれながら、内心はしっかり楽しんでいたに違いない。


「そんなことより、今日は碧さんが退院なのよ。それで、四郎のところに挨拶に来たの」

と、一織が話を無理やり切り替えた。

時貞はまだ、少し拗ねている。


「……そうなの。今日退院するから、お別れの挨拶に」

と、碧が少し寂しそうに言った。


彼女も、同じ病棟に入院していた。

そして、ほぼ毎日のように時貞の病室へ遊びに来ていた。

今日、退院することを――もちろん、時貞も知っていた。


時貞は、ふと顔をベッドの脇にある大きな窓の方へ向けた。

そういえば――今日は朝から、やけに外が騒がしかった気がする。


何気なく、指先でレースのカーテンの隙間を広げる。

するとその瞬間、視界に飛び込んできたのは――


ごった返す人、人、人。

下の道路や駐車場には、黒山の人だかり。

ファンに報道陣、警備員らしき男たちがひしめき合っていた。


(……なるほど)


時貞は目を細めて、しばらくその人波を眺めた。


今や世間の注目を集める人気レポーター――碧の退院。

当然のように、これだけの騒ぎになるわけだ。


もっとも、碧や時貞が入院していたこの病棟は、報道陣の立ち入りが厳しく規制されている。

ここへ入れるのは、病院関係者と入院患者だけ。外の喧騒は、この静かな一角には届かない。


「でも、信じられないな。

 わたしが教授と初めて会って、助手の人と間違えたのが……まだ一週間前だなんて」

碧が懐かしそうに、あの始まりの日を振り返った。


時貞は、窓の外から目を戻すと、振り向いて微かに笑った。


「そうだったよね。

 あの時、四郎が……ほら、あのカブト虫と遊んでて――」


「……あー、そうそう、あったね」


一織の言葉に、碧が頷く。


「四郎、あのカブト虫、名前なんだっけ?」


時貞は目を伏せて、ぽつりと答えた。

「……忘れた」


「うわっ、やだそういうの。

 思い出せそうで思い出せないやつ! ……碧さん、覚えてない?」


「えっとぉ……確か……“どや松くん”?」


「それそれ! 最後に“松”がついたのは間違いない!」

一織が勢いよく頷くも、碧はまだ首を捻っている。


部屋の入り口の壁にもたれていた龍信が、火の点いていない煙草をくわえたまま、静かに笑っていた。


「……ちょび松くん? いや違う……こぶ松くん? うーん……違うなぁ……」

一織が両手を頬に当てて悩んでいる。


時貞はその様子を眺めながら、何も言わなかった。

本当は知っている。ちゃんと、覚えている。


――でも、言わない。


さっきの“盗み聞き事件”の、ほんのささやかな、仕返しだった。


「それよりも、源さんは?」

時貞がふと話題を変えて、龍信の方を見た。


「ああ、あと一、二週間で退院できるってさ」


「うそぉー!」

時貞が目を丸くした。


「だって、担ぎ込まれたときは肋骨が折れて、内臓破裂で――って、相当な重傷だったって聞いたけど」


源次のことを思い出しながら、時貞は言った。

ここに入院してから、一度も彼と顔を合わせていない。

それもそのはず――源次は集中治療室で、面会謝絶だったのだ。


「ほんと、俺も信じられないくらいさ。

 でも先生が言ってた。

 源さんの身体はとにかく頑丈で、回復力も異常なほど早いって。……“あの人は化け物だ”ってさ」

龍信が苦笑交じりに言うと、


「怪物に負けないくらいタフよね、源さん。……でも、目はとっても優しくて」

碧も、あのダンディな口髭の源次の顔を思い出し、ほっとしたように微笑んだ。


「いや、タフさなら……ぜんぜんきみも負けて……」

「……なに?」


碧の目がキッと鋭くなる。

龍信は、言いかけた言葉をそっと飲み込んだ。


一方――


(……そよ松くん? いや……しとね松? ん~、分かんないぞい……)

他人の会話もそっちのけで、一人で悩み続ける、十九歳の“こだわり娘”がそこにはいた。

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