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血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第15話 遅れて来た道化師

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【4】 終焉の現場、炎と鉄と小指の爪

龍信は顔を上げた。

すぐ右手、一メートルほど先――怪物の巨大な顔が、そこにあった。


怪物は、石壁を背に、無数の鉄筋に囲まれるようにして立っていた。

鋭く尖った右腕は、まるで「やあ」と手を上げたかのように、龍信とは反対側へ突き出され、鉄骨に挟まれて動かない。


閉じていた金色の瞳が――ゆっくりと開いた。


……生きていた。


龍信は、わずかに息を呑んだ。

怪物は片目を開けると、自身の状況を確認するように動かない首をわずかに動かす。

唯一残された左目も、脇腹も――無傷。


そして――口角が、わずかに上がった。

龍信には、それが“笑った”ように見えた。


だが、動けるわけではなかった。

鉄筋のほとんどは、怪物の異様に堅い外皮に弾かれ、滑るようにして背後の石壁へめり込んでいる。

身体の各所を交差するように囲まれた怪物は、ほぼ身動きが取れない状態にあった。


怪物は、上がったままの右腕をなんとか引き抜こうと、必死にもがいていた。


だが、龍信には――もはや為す術がなかった。


足が抜けない。

動こうにも、右脚を貫通した鉄筋が、まるで檻の杭のように彼をその場に縫い留めている。

加えて、頼みの“武器”――怪物の腕も、すでに投げ捨ててしまっていた。


――グギャゥオー!!!!


怪物が、怒りに任せて暴れ狂う。

けれど、身体を包囲するようにして石壁へ突き刺さっている鉄筋の本数は、十や二十ではない。

まるで、鉄と石で組まれた牢獄のように、怪物の全身を縛りつけていた。


龍信は周囲を見渡した。

源次は瀕死、翔太も動けない。

碧は気を失い、自分も脚を貫かれて動けない。


――もし、怪物が先に自由を取り戻せば。

全員、確実に死ぬ。


戦えるのは、自分しかいない。


龍信は喉の奥で息を呑み、貫かれた右脚の鉄筋を両手で掴んだ。

……足が千切れようと、抜くしかない。


グッ――。


血が噴き、激痛が太ももを貫いた。

それでも、やめない。


――ガタガタガタッ!!


鉄筋はわずかに撓んだ。だが、それ以上はびくともしない。


(……終わった)


何も聞こえなかった。


風も、声も、死の足音さえも――。


龍信は、ただ静かに、諦めた。

目を閉じ、終わりを受け入れようとした――その時だった。


――その沈黙を破ったのは、“あの呑気な声”だった。


「……たく、どこのどいつだよ」


不意に、プレハブの出入口から人の声がした。


龍信は、思わず顔を上げた。


「……誰だよ、こんなもんを部屋の出口に置いた奴は……」


遠くに聞こえるその声は――怒っていた。

しっかりと怒っている。

だが、それが逆に――懐かしかった。


龍信の頬が、じわりと緩んでいく。


黄色いヘルメットに『安全第一』の文字。

ガスボンベとバーナーをずるずると引きずりながら、

華奢な男が、文句を垂れながらこちらへ歩いてくる。


――そう。しっかり休んだ時貞である。


空気を読まず、理屈も気遣いもない男。

けれど――この男が来た瞬間、死の空気が一瞬だけ消えた気がした。


「暗い部屋の出口にさあ、ガスボンベなんか置くやついる?

 おかげで足の小指ぶつけて、爪剥がれたんだけど!

 これ、知らない人多いけど、人類の構造的にここ一番痛いんだからね!?

 しかも腹も痛いし……もうなんて日だ……」


ブツブツと文句をこぼしながら、

地獄絵図の戦場に、寝癖のまま堂々と登場した。


怪物が顔を向けた。

自分の目を刺したあの人間が、ガスボンベを引きずりながら、一直線にこちらへ向かってくる。

金色の瞳が二、三度、瞬きをした。

その動きには――怒りか、それとも恐怖か。

どちらともつかぬ感情に駆られたように、怪物はさらに激しく身を暴れさせた。


(……声?)

かすかに、耳に届いた。


碧は、うっすらと目を開けた。

焼けるような痛み。眩しさ。

それでも、その声は――


「……教授……?」

呑気で、場違いで、それなのになぜか懐かしい声だった。

その声が、心の奥底に、ぽたりと落ちた。


――まだ、終わってない。


碧は、ハンドルから、ゆっくりと体を起こした。

ズキリと、頭が割れるように痛んだ。

額からは、血が伝っている。

こめかみに手を当てながら、碧は小さく首を振った。


龍信の脇まで来ると、時貞が声を掛けた。

その声には、妙に怒気がこもっていた。


「……現場監督!」


「えっ?」

龍信の目の前に――安全ヘルメットを被った時貞が立っていた。


時貞は、龍信のすぐ横でうごめく怪物にチラリと目をやると、


「監督。

 こんなもんが部屋を出たところに置いてあって、走って出て来て、足をぶつけて痛いんですよ。

 ……で、万が一、お腹の傷口が開いたらどうするんです? 

 また血がドバッと出たら痛いでしょ」


「はあ……」


「現場の安全を第一に考えて下さいよ。

 足の小指の爪、いったぁ……って、――あれ? 監督、なにその足」


龍信の太腿を貫いている鉄筋に気づき、顔をしかめる。


「……動けないんですよ」


「あー……マジ痛そうですねぇ。……あれっ、腕は?」


時貞が、龍信の体に目をやると、左腕がないことに気づいた。


龍信は、眉をひそめて、無言のまま苦笑いを返した。


「いやあ、あいつ、ほんとしつこいですねぇ。僕が電流で攻撃して――」


と、時貞が、怪物を手で差した時に、その手にガスバーナーが握られている事に気がついた。


「……ところで、火、あります?」


「あっ、ああ」

龍信が右手でポケットを探り、銀色のオイルライターを取り出した。


時貞はボンベのコックを回し、ガスバーナーに火を点けた。

鋭い青白い炎が、ナイフのように伸びる。


「……少し、熱いかもしれませんよ」

そう言いながら、時貞はバーナーの火を、龍信の太腿を貫く鉄筋――その数十センチ先に近づけた。

火花が散る。熱気が頬を撫でた。


「ちょうど役に立ちましたね。

 危険なので物置に片付けようと思って、それで持ってきただけなんですけどね」


「……えっ?」


「いや、これ、これですよ」

と、時貞は手にしたバーナーを、目で示すように軽く振った。


龍信には、何が起こっても、常に軽いノリの時貞の頭の構造が、とても理解が出来なかった。

だが――嫌いなタイプではなかった。



碧が、額の血を拭い、頭を振りながら、よろめく足取りでトラックを降りてきた。

ドアの音に――時貞がトラックの方へ振り返る。


「あ、碧ちゃん!」

鼻の下が――また、伸びていた。


「熱っ! ちっちっちっ……!」


その瞬間だった。

時貞がよそ見をしたせいで、持っていたバーナーの炎が、龍信の腿をかすめた。


「教授!!」

龍信が、呆れ半分の声を上げる。


「あっ、ごめんなさい、ごめんなさい」

慌てて火を元の位置に戻す時貞。

龍信は、左腕に続いて右脚まで失いかけたところだった。


「……どこにいたんですか、今まで」

龍信の太腿の傍から立ち昇る煙の中、時貞は碧の方に振り向いて言った。

――龍信は、またヒヤッとした。


「ぼくがひとりで戦ってるところ、見せたかったのになあ」


それは、ついさっきまで怪物に腹を抉られ、生死の淵を彷徨っていた男のセリフとは、とても思えなかった。

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