【2】 燃える箱と、終わりのはじまり
――ドゴンッ!!!
大地の底から拳で突き上げられたような衝撃。
解剖室の天井が唸り、窓ガラスが一斉に破裂した。
「な、なんだ……!?」
怪物の右腕を取りに来ていた龍信は、反射的に、倒れている時貞を庇うように覆いかぶさった。
右腕で自分の頭を抱え込み、肩で衝撃を受け止める。
外の闇が、一瞬、真昼のように白く光る。
そして――爆風。
倒れたまま振り返ると、
窓の外――中庭の彼方で、
炎が、夜空を噛み砕くように立ち上がっていた。
*
しばらくして。
碧は、焦げた空気の中で顔を上げた。
熱風の余韻がまだ肌を刺す。
それでも、彼女はゆっくりと立ち上がり、
左足を引きずりながら、燃えさかる石箱へと歩み寄った。
かつて重々しく蓋をしていた巨大な石板は崩れ、
今では、箱の中で砕けた石の破片と化している。
中央には、横倒しになったダンプカー。
助手席の燃料に引火した炎がまだ激しく揺らめき、
黒煙が夜空を赤黒く染めていた。
高さ三メートル半――封印のはずの箱は、もはや表面には深い亀裂が走り、崩落寸前。
碧は、箱の側面へと視線を移した。
そこには、等間隔に並ぶ丸い穴。
封印作業の際に、水中ドリルで開けた、ワイヤーを取り付ける鉄杭の穴だ。
ひとつ、またひとつ。
碧は、足を引きずりながら覗き込んでいく。
そして、三つ目の穴で――彼女の呼吸が止まった。
「……いた」
燃える炎の向こう、
うつ伏せに沈黙する巨大な影。
怪物の下半身――
異様に太く歪んだ脚が、炎の明滅の中に浮かび上がっている。
その片足にはワイヤーが喰い込んでいた。
上半身は崩れた蓋の瓦礫の下。
左腕は、倒壊したクレーンに押し潰されて動かない。
(……終わった、の?)
碧は小さく息を吐き、
炎の熱を避けるように石箱の――建物側へと回り込んだ。
石箱は全長およそ二〇メートル。
その長さを、彼女は足を引きずりながら裸足で歩いた。
破れたストッキングが足に絡み、泥まみれになっている。
傷だらけの肌にひんやりと風が触れ、学生時代の陸上部の鬼のようなシゴキを思い出した。
(――ひどい格好。ほんと、誰にも見られたくない)
泥と血で固まった髪に触れながら、
碧はふと、ぽつりとつぶやく。
(シャワー……まだ使えるかな)
視線を上げると、
箱の上では、まだ炎が風に舞っていた。
砕けた窓ガラス越しに映る自分の影が、
建物の壁を揺らしていた。
空を仰ぐ。
東の空が、墨を薄めたように白んでいく。
*
宿舎の脇までたどり着くと、碧は膝に両手をつき、肩で息をした。
(ハァ、ハァ……)
採集質でブルドーザーから飛び降りた際に強打した、
左腰と脚が、じんじんと痺れている。
左半身の感覚は、ほとんど無かった。
その場に立ち尽くしながら、ふと視線を向けた先――
宿舎の裏手、工事用具を収納している小さな物置の陰に、人影があった。
「翔太くん……?」
碧は足を引きずりながら、ゆっくりと近づいた。
翔太は、物置に背を預けてしゃがみ込み、両腕で頭をかばっていた。
全身が震えているように見えた。
ガラスの破片と石蓋の欠片が足元に散らばっている。
爆風の凄まじさが、そのままそこに残っていた。
碧はそっと膝をつき、肩に手を置いた。
「翔太くん」
軽く揺すると、翔太が目を開けた。
「……あっ、碧さん……」
「もう、死んでるのかと思ったじゃない。びっくりさせないでよ」
安堵の笑みが漏れる。
翔太も、かすかに笑って息を吐いた。
「碧さん……無事でよかったっス」
「ええ。ちょっと腰を打っただけよ」
「でも、すごかったっス。あんなスピードで飛び降りるなんて……男でも無理っスよ、あんなの」
「わたしは、男じゃないのよね」
碧は、冗談めかして微笑んだ。
「ああ、……そっスね……」
翔太の返した言葉の意味は、本人にもよく分かっていないようだった。
碧は苦笑しながら腰をかがめ、右手を差し出した。
ちょうどそのとき、長い髪が肩越しにふわりと翔太の顔にかかった。
「……いい匂いっスね」
「え?」
「碧さん、すっごく……いい匂いします」
「バカ」
碧は頬を染めながらも笑い、翔太の手を強く引いた。
翔太は泥を払い、立ち上がる。
「碧さん」
「なに?」
「怪物……死んだんスか」
翔太の顔が、ふと真剣になる。
「んん……たぶんね」
碧は視線を遠くに向け、曖昧な口調で答えた。




