【5】 静寂の下、壁に凭れて泣いた男
轟音が止み、世界が静まり返った。
灰色の箱の中――源次と怪物が、底なしの海へ沈んでいく。
箱の深さは、およそ三メートル。
その三分の二を占める、ドロドロのセメントが、灰色の海のように広がっている。
いくら不死身の怪物でも――
ここから這い上がることは、不可能だ。
「翔太……! 石蓋をッ!!」
肩まで沈みかけた源次が、血に濡れた声で叫んだ。
腹を抉られてなお、彼は怪物の右腕を、絶対に離そうとしない。
沈みながら、怪物は狂ったように右腕を引き抜こうと暴れている。
だが、源次の腕は、まるで鉄の鎖のように絡みついていた。
「早くしろ! 翔太!!」
その怒声に、翔太はハッと我に返り、
石蓋を吊り上げている鎖の固定を、震える手で外した。
ガリガリガリガリ――――ガシャアアンッ!!
石蓋が落下した。
轟音と共に、巨大な石の板が蓋となり、
箱の口を――完全に封じた。
一瞬、部屋が、しん……と静まり返った。
石蓋の上から、何も聞こえない。
灰色の封印は、ただ無言のまま、そこにあった。
*
翔太が振り返ると、彗が血の海に倒れていた。
腕がなく、腹からは赤黒い熱がこぼれている。
「彗ッ!!」
翔太は、血まみれで倒れている彗に駆け寄った。
「彗、しっかりしろよ……!」
声を上げ、抱き起こす。
翔太は震える手で、採掘台の上の白い布を掴み、
歯で引き裂いて、腕と、腹に即席の止血帯にした。
「彗! 彗ぃッ!」
「……何だよ」
彗が、かすかに目を開けた。
その声は弱かったが、確かに“まだ生きていた”。
翔太は、あの泣き虫な彗が、
叫び声ひとつ上げていないことに、目を見張った。
「……壁は」
「え?」
「翔太、壁だよ……壁に連れてってくれ」
彗の言葉に、翔太は一瞬戸惑い、周囲を見渡した。
「あ、あの壁って……? でも、距離あるぞ……」
「……いいから……引きずって行ってくれ」
その口調が、あまりに落ち着いていたせいで、
翔太は逆らえなかった。
彼は、後ろから彗の両脇に腕を回し、
ずるずると――中庭に面した壁際まで、彗の身体を引きずっていった。
「寄りかからしてくれ」
言われるままに、翔太は彗の背を壁にそっともたれさせた。
その背中が壁についた瞬間、
彗は、ふぅ……と、小さく息を吐いた。
腕と腹からは、止めどなく血が流れている。
巻いた白い布は、もうすでに真っ赤に染まっていた。
「翔太……」
「あ、んっ……?」
「煙草、あるか……」
「煙草? 何フザけてんだよ。しっかりしろよ。……彗!」
翔太が、焦って彗の肩を揺する。
「翔太……煙草あるか……いや、違う、違う、違う……」
彗はぶつぶつと呟いたあと、
苦しげに首を横に振った。
「……ガスバーナー……! 隣だ、翔太……早く……っ」
翔太は目を丸くして、彗の顔を見た。
出血によるショックで、もう頭がいかれてる。――そう思った。
「鉄板を……焼いて……キャベツ……卵……」
「……料理だよ。そう、料理……」
声が、どんどん細くなる。
「彗……」
翔太が彗の肩を強く握った。
彗は、薄く笑った。
「……なぁ、翔太……」
「何だよ、今はしゃべんな!」
「やっぱ……おれ、格好わりぃな……死ぬ時まで……格好わりぃーな」
ぽろぽろと、大粒の涙が彗の目からこぼれた。
鼻水と血と汗と涙で、また顔がぐちゃぐちゃになった。
「……腹が、熱いよ……」
「死にたく、ないよ……」
その声は、もう子どものようだった。
「かぁーちゃん……おれ、死にたく……」
――言いかけたその瞬間。
彗の首が、がくんと力なく落ちた。
「彗ーっ! 彗ーッ!!」
翔太が、彗の頭を両腕で抱きしめ、
自分の胸元に押し当てる。
それでも――
彗は、もう二度と目を開かなかった。




