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血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第12話 果てし戦士へレクイエムを

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【2】 命火と、黒い戦士の休息

(さとし)が、ガスバーナーを抱えて駆け込んできた。


「彗、火を点けてくれ」

龍信の声は低く、掠れていたが、確かな意志があった。


額の汗が血に混じって光る。

浅黒い肌、無精髭、裂けた作業服――まるで戦場からそのまま帰還した兵士のようだった。


彗は震える指でポケットを探り、オイルライターを取り出す。

一緒に煙草が数本、ばらばらと床に散った。


ボンベのコックを回す。

ガスの噴出口に火を近づけると、〈ボッ〉と小さな炎が生まれた。

頼りなかった光は、調節弁を捻るたびに鋭さを増し、やがて青白い刃となって唸りを上げる。


「それで……そこを焼いてくれ」

龍信は顎で足元を示した。


彗が目を落とす。そこには、血と油に汚れた一枚の鉄板――

源次が最初に体当たりに使ったものだった。


「これ……焼くんスか?」

「真っ赤に、だ」


「鉄板を?」

「ああ。急げ」


龍信の声はもう、かすれていた。

左腕からは鮮血が滴り落ち、即席の止血布はすでに真紅に染まっている。


壁に背を預け、片膝を立てて座り込む龍信。

右手で左腕を押さえながらも、その眼光にはまだ闘志が宿っていた。


彗は歯を噛み、バーナーの炎を鉄板に向けた。

じゅう……と金属が赤く染まり、熱が空気を歪ませる。


「彗」

「はいっ」

彗は、鉄板に火を当てたまま顔を上げた。

バーナーの青白い炎が、彼の頬を照らしている。


「煙草、あるか」


「あります!」

彗はバーナーを左手に持ち替えて、慌ててポケットを探った。


だが次の瞬間、顔をしかめる。

「あっ……すみません。さっきライター出したとき、全部落としちゃって……!」


龍信はかすかに笑った。

「それでいい」


視線が足元を指す。

血と泥にまみれた床に、潰れた煙草が何本も転がっていた。


彗は一本を拾い、丁寧に土を払って龍信の唇にくわえさせた。

新品の銀色のオイルライターを取り出し、手汗で滑る指先で火を点ける。


〈カチッ〉――。


オレンジ色の炎がゆらめいた。

その火を煙草の先に近づけると、灰が小さく灯り、煙が立ちのぼる。


龍信は静かに煙を吸い込み、細く吐き出した。

「……それは」

「え?」

龍信の視線は、彗の手の中のライターに向いていた。


「ああ、これっスか? 田舎のお袋が誕生日に送ってくれたやつです」


龍信は、ふっと目を細める。

「……イニシャル入りか?」


「ええ。ほら」

銀色のボディに、『S.Y』の刻印。

彗は少し誇らしげに笑った。


「お袋か……いいもんだな」

龍信の目がかすかに緩む。

一瞬だけ、戦場の時間が止まり、静寂が流れた。


「……静かだな」

「えっ?」


「終わったのかな」

龍信は天井を見上げながら、ぽつりと呟く。


「……だといいっスけどね」

彗は唇を噛んだ。


止血は間に合っていない。

このままでは、彼は確実に死ぬ――その現実が彗を締めつけた。


「若……」


「ん?」


「……今のうちに、病院へ行かないと……」

“死んじゃいますよ”――その最後の言葉だけは、声がかすれて、喉の奥から出てこなかった。


彗の目は腫れ、赤く充血していた。

もう間近に迫っている死を、この人は感じている。―――彗にはそう見えた。


「なんでこんな時に……鉄板なんか焼くんスか? 

 これを怪物に……押し付ける気なんスか?」


彗は、震える声で言った。ガスバーナーを握る手が、細かく揺れていた。


「分からないか」

龍信が、壁に寄りかかったまま、ゆっくりと彗の方へ顔を向けた。


「わかんねぇッスよ」


「腹減ったな。まだ夕飯食って無かったわ。……卵かキャベツ、何かねぇか?」


「何言ってんスか! 冗談じゃないッスよ……! 

 ぼくは、ぼくはまだ……若を失いたくないんスよ……!」


堪えきれずに、彗の声が涙まじりになった。


「彗」


「……はい」


「心配すんな。おれは、死なねぇよ」


龍信の声は静かだった。


「おれは、やられっぱなしじゃ終わらない。

 あの怪物(ばかたれ)に――この腕の代償が高くついたと、

 後悔させてやるまでは、死ねるわけねぇだろ」

彼は、彗を見て微笑んだ


「なんでそんな顔で笑えるんスか!」

彗は泣きながら首を振った。

涙がぽたぽたと床に落ち、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


「――そろそろだな」


「えっ……」


龍信の言葉に、彗がはっとして鉄板を見ると、中央が赤々と、まるで地獄の門のように灼けていた。

彗は涙を手の甲で拭い、震える息を整えた。


龍信は、くわえていた煙草をゆっくりと吐き捨てた。

床に跳ねて、火種が飛んだ。


「彗、お前のシャツを破ってくれ」


「シャツ? はい……」

彗は力任せにシャツを裂いた。


「それを――おれの口に詰めろ」

「え?」


「早く」

「……でも、臭いッスよ? 三日も風呂入ってないし……」

龍信は微動だにせず、目だけで命じた。


「若、そんなに腹減ってんスか」

「……ああ、さっさと」


観念した彗は、布を丸め、龍信の口に押し込む。


「た……ごが……いんじゃ、さき……をや……しかねえな」

「え? なんスか?」


(たまごが無ぇなら、先に肉を焼くしかねぇな)――

彗は意味を理解できず、困惑したまま見上げた。


次の瞬間。


龍信は、灼熱の鉄板へ――自らの左肩から、崩れ落ちるように伸し掛かった。


ジュゥウゥーーッ!!


焼けた肉の音が部屋に響く。

焦げた臭いが爆ぜ、血が蒸気のように立ち昇った。


彗が悲鳴を上げ、両腕で龍信を抱き起こす。

「若ああああっ!!」


焼け焦げた断面から、もう血は流れていなかった。

赤は黒に変わり、静寂だけが残った。


彗は、口の中からシャツを引き抜いた。

そして、彼を再び壁に凭れさせるように座らせた。


「若……!」

彗が泣きながら呼びかける。


龍信は、微かに目を開け、囁いた。

「……少し、寝かせてくれ」


「……はい」



「彗っ」


「はいっ」



……



「風呂、入れよ――」


それだけ言うと、龍信はズルズルと身体を傾け、地面へと崩れ落ちた。


彗は、そばの作業服を丸めて、彼の頭の下に敷いた。

――束の間の、黒い戦士の休息。


彗は、龍信の叫び声を聞かなかった。


「凄い人だ」

――その想いが、全身を駆け抜け、鳥肌がぞわりと逆立った。

そして彗の中で、これまで眠っていた“何か”が音を立てて目を覚ました。


立ち上がる。

目線の先には、壁に突き刺さったままの戦士の鶴嘴(つるはし)


両腕に力を込めて、彗はそれを引き抜いた。


ギィ――金属が軋む。


その瞳はもう、かつての彗のものではなかった。

龍信の魂が乗り移ったかのように――彼の目は、戦う狼のそれに変わっていた。

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