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血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第12話 果てし戦士へレクイエムを

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【1】 血の代償と削られる戦士たち

彗は、倒れている龍信の身体に手を回した。

上半身――シャツは、血でぐっしょりと濡れている。


「若ぁー!」


――


「……ん?」


「ひぇー、えっ?」と、彗は、慌てて龍信の首元を覗き込んだ。



源次は、深く息を吸うと、足元に転がっている“それ”をまじまじと見つめた。


薄暗がりに転がっていたのは――

黒い皮手袋をはめた、龍信の太い“左腕”だった。


そうあの時――

怪物の右腕はチェーンソーを受け止めて封じられていた。

その隙を突いて、龍信が鶴嘴を振るった。

――そこに、罠があった。


あえて左目を晒し、“右側からの攻撃”を誘ったのだ。

龍信の右利きを読んでいた怪物は、両腕を素早く入れ替え、

スウィング軌道の内側――その首筋を、的確に狩り取った。


冷酷な知性と、獣の本能。

その融合が、まるで戦場に舞う剣豪のような正確さを生んでいた。


龍信は、瞬時に悟った。


「避けられない」――ならば、せめて。


咄嗟に左肩を前に出し、頭を引く。

刹那、首の代わりに太い左腕が宙を舞った。


肘の少し上で、断面は驚くほど滑らか。

まるで業物で断たれたように、肉も骨も抵抗なく分離していた。


――同時に、怪物もまた危険を賭けていた。


右腕の爪は、源次のチェーンソーによって初めて拮抗された。

左腕には爪がない。切り落とされれば終わり。

それでも怪物は、自らの片腕を賭け、龍信という脅威を排除するための一撃を選んだ。


結果、龍信は首を守り抜いたが――左腕を失った。

怪物は腕を保ち、代わりに、人間の戦意を一つ削ぎ取った。


それは、互いの“命を削り合う取引”だった。


――◇――


「若っ!!」

彗が両手で抱き起すと、龍信の首は――まだ、そこにあった。

だが、左腕の切断面からは、止めどなく鮮血が溢れていた。


「若、しっかりしてください!」

彗は震える手でシャツを引き裂き、左肩の付け根を強く縛った。

それでも血は止まらない。指先に熱が伝わる。


「……彗」

その声に、彗が顔を上げる。


龍信は、残った右腕に力を込めて、ゆっくりと上体を持ち上げた。

まるで片腕だけの腕立て伏せのように、地面を睨みつけるようにして、身体を起こした。


「若、なんですか!?」


「さっき……お前が持ってきた……ガスバーナー。今すぐ、持って来てくれ……!」


彗は頷いて、向き直ろうとしたときに、大きな影に気がついた。


顔を上げると怪物が、すぐ後ろに立っていた。

怪物は、龍信にトドメを刺しに追いかけてきたのだ。


右腕を下げると、目前で外側の平爪が開いた。


〈ガシュ……シュル……シュルルル……〉


鋼が擦れるような、乾いた音が響いた。


その時、後ろから――


「やめろォォォッ!!!」

源次がチェーンソーで振り上げて襲いかかった。

限界を超えた最後の死力であった。


怪物は、向き直った。

その金色の片目が、血走っている。


標的はもう決まっていた。

――死に損ないの、源次。


ズシッ……ズシッ……

重く鈍い足音を響かせながら、怪物は歩み寄る。

まるで、逃げ場のない死をじわじわと押しつけてくるかのように。


源次は、チェーンソーで威嚇しながら、じりじりと出入口の方へ後ずさった。

呼吸は荒く、肋骨の痛みが一歩ごとに突き上げる。

それでも、歯を食いしばりながら、足を動かした。


――その脇を。

「若、待っててください……!」


彗が走り抜けた。

潰れたスニーカーが血だまりを踏みつける音が、生々しく響く。

彼の目的はただひとつ――ガスバーナー。


「くそっ……間に合え……!」

彗は自分に言い聞かせるように呟いた。


源次は、血のにじむ足取りで後退しながら、なおもチェーンソーを振るっていた。

――誘き出す。怪物を、この部屋の外へ。

それだけが、残された道だと分かっていた。


けれど――もう限界だった。

体力も、腕の力も、気力さえも尽きかけている。

これ以上、化け物と渡り合うには、自分はあまりに人間すぎた。


さっき、あれほどの一撃を叩き込んだというのに、あいつの左腕ひとつ落とせなかった。


ならば狙うべきは、あの金色の左目か、脇の下――

……だが、それは現実味のない理想だ。今の自分には、届かない。


(無理だ……もう手立てがない。完全に、終わった)


源次は、後ろへ下がりながら、かすかに首を横に振った。

どこか遠くで、誰かの死を受け入れるような、静かな動作だった。


――そのときだった。


「どいてっ!」


彼の脇を、ボンベを引きずる音とともに、ひとつの影が駆け抜けた。

――彗だった。

泣き腫らした目をグシャグシャにしながら、ガスバーナーとボンベを必死に運んでいる。


「若が、死んじゃう……っ!」


歯を食いしばりながら、ボンベを転がし、涙で滲んだ視界のまま、彗は突っ込んできた。

――その姿は、どこか滑稽で、だが、誰よりも勇敢だった。


彗の顔を見た瞬間――

源次の脳裏に、ある言葉が蘇った。


「いま、セメントを流し込んでます」


そうだ。彗は、確かにそう言った。

あの石箱に……怪物が出てきた、あの採集室の中央にある石箱に、今セメントを注いでいるはずだ。


(だったら……そこに、落とせばいい)

落として、蓋を閉めるんだ。

あの“封獣”を、ふたたび地に沈めるために――。


時貞は腹を抉られて、龍信も左腕を失って、二人は虫の息。自分の体力もあと僅か。

戦う戦士が一人ずつ減り、これ以上の強力な助っ人は、期待できなかった。


だったら――

もう、これしかない。残された唯一の道。


「……賭けるか」


源次は歯を食いしばると、全身の力を振り絞って怒鳴った。


「ほら! こっちだ、こっちへ来い!!」


その叫びには、もはや斬り倒す意思はなかった。

“箱に落とす”――それだけに、すべてを懸けるつもりだった。


後ろ向きに採集室へと足を踏み入れた源次――。



石箱の上部、ミキサー車の運転席には、白いワンピース姿の碧が座っていた。

パネル横の時計を見ると、――午前一時五十分。


彼女は無言でハンドルを握り、巨大なドラムから流れ出す灰色のセメントを、慎重に石箱の中へと注ぎ込んでいる。


その傍らには、ひょろりと背の高い翔太がいた。

スコップを手に、流れ出すセメントの周囲を均しながら、何とか作業を手伝っていたのだ。


しかし、その穏やかな一瞬は――すぐに、破られた。


「ぎょえぇぇぇえッ!!」


翔太が叫んだ。

背後に気づき、振り返った彼の目に、源次の後ろ――巨大な怪物の姿が映ったのだ。


スコップが手から滑り落ち、カンッと金属音が床に響いた。

翔太は足をもつれさせながら、セメントのぬかるみを滑りそうになりつつ、後退した。


翔太の悲鳴に、ミキサー車のキャビンから碧が顔を出す。


「……な、なに?」


その視線が怪物に届いた瞬間――


「きゃぁぁぁああああッッ!!」


絶叫。

かき消されるように響くセメントの流れる音。


室内に響き渡るのは、碧の悲鳴と、怪物の唸り声――

そして、逃げ場のない戦場の始まりだった。


隣の解剖室よりも、こちらの採集室の方が外部に面しており、外が吹き抜けになっていて、中庭のライトが差し込んでいた。

そのため、室内は比較的明るく、今や“シルエット”だった怪物の姿が、はっきりと浮かび上がっていた。


――肌の表面を覆う、どこか黄色がかった緑色の粘膜。

裂けた口から垂れ下がる、よだれとも血ともつかぬ濁った液体。

その一滴一滴が、床に落ちるたび、ぬちょり、と湿った音を立てた。


碧は、気が遠くなるのを必死で堪えた。

ここには、もう彼女を支えてくれる龍信の姿はいない。


怪物は、採集室に足を踏み入れると、その場でピタリと立ち止まった。


「うぉおおらぁあッ!!」

源次が大声で叫び、チェーンソーを振り回して威嚇する。

しかし、怪物は一歩も動かない。


――微動だにしない“それ”は、右腕をひと振りして、源次の威嚇をただ払うようにいなした。


そして、首をわずかに動かす。

金色の片目玉が、ゆっくりと、しかし確実に室内を横断するように動いた。


左側――ミキサー車の運転席に座る碧の姿を捉える。

右側――石箱の傍に立ちすくむ翔太の存在を確認する。

そして、中央へと視線が戻る。


そこには、既にセメントが三分の二ほど流し込まれた石箱があった。

白く湿ったその砂状の質感を、怪物はしばらく凝視する。


――その目が、何かを計算しているように、怪しく光った。

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