【4】 血塗れの静寂、壁を貫く
顔を向けた――その源次の顔にも、敗色の色が濃い。
長引く戦いで、相当に体力を消耗していた。
そのとき、日向が立ち上がり、源次の元へ駆け寄った。
――その動きに、怪物の反応が走る。
鉄筋を右目に突き刺したまま、怪物が、ぐるりと振り向いた。
鉄の棒の先端がゆるやかに弧を描き、
〈キィィ……〉と、床を擦る金属音が静かに響いた。
「グギャアァァォォオオオーーッ!!」
怪物が吠えた。
ワニを思わせる巨大な口が、左右に裂けるように開き、
唸るような怒声が部屋中に反響する。
怪物は向き直ると、突き刺さった鉄筋を左手で掴み、
ゴギッ……ゴギギ……ッ!
軋む音とともに、力任せに引き抜いた。
〈ズシャッ!〉
鮮やかな緑色の血液が、前方へ飛び散る。
怪物は、胸の前にある頭を、二、三度ゆっくりと左右に振った。
そして次の瞬間。
左手に握っていた鉄筋を、ガランッ…… と床に落とした。
そのまま、怪物は右腕をゆっくりと降ろした。
その動きに呼応するように、肘から――鋭利な平板の爪が、
カチンッ! と音を立てて、勢いよく外側へと飛び出した。
右肘に出刃包丁を取り付けたような、異様な姿。
その薄い刃先が、微かに揺れている。
怪物は一歩――また一歩。
まるで獲物を値踏みするように、静かに、確実に距離を詰めてくる。
その足取りは重く、無慈悲で、迷いがなかった。
源次は、首を振りながら、大きくひとつ息を吐いた。
そして、怪物から目を離さぬまま、低く、だがはっきりと言い放つ。
「……俺がこいつを引きつけてるうちに、二人は逃げろ。今しかない」
言葉に込められた覚悟に、麟太郎と日向助手は一瞬動けなかった。
だが、すぐに互いに目を合わせ、小さくうなずくと、
部屋の奥――もう一体の怪物の死骸が横たわる解剖台の裏へと、身をかがめた。
源次は、その両腕が無く、腹を裂かれた怪物を、ダンスでも踊るかのように、ぐっと両手を回して抱き起こした。
腹の裂け目に手を入れて掴む。胴が太すぎて手が回らないからだ。
怪物の死骸が引き起こされて、解剖台の陰に隠れていた麟太郎と日向助手の顔が覗いた。
二人は無言で顔を見合わせると、慌ててもう一段、頭を引っ込める。
「……それ、まさか、着るんですか?」
ぽつりと漏れた麟太郎の言葉に、すかさず、
「ばかやろう!」
と、源次の怒声が飛んだ。
源次が、怪物の死骸を力いっぱい持ち上げた。
グロテスクな顔が肩の上に乗っている――死体とはいえ、ぞっとする光景だった。
両腕も内臓もないとはいえ、怪物は源次より一回り以上も大きく、優に百五十キロは超えていた。
それでも持ち上げてしまうのが、源次の規格外な馬鹿力だった。
額の血管が浮き上がり、全身に力がみなぎる。
「うぉりゃーッ!!」
気合とともに、源次は怪物の死骸を抱えたまま、もう一体の“生きている怪物”に向かって一直線に突進する。
まるで、子供が巨大な熊のぬいぐるみを担いで走っていくような光景だ。
そのまま――
抱えていた怪物もろとも、全身で体当たりを叩き込んだ。
――その直前、怪物の右腕が、空を裂いた。
次の瞬間。
二頭の怪物――その死骸もろとも、左隅へと弾け飛ぶ。
そして反対側には、源次の身体が吹き飛ばされた。
〈ガァシャーン!!〉
背中から金属ロッカーに激突し、そのまま俯せに倒れ込む源次。
重量のあるロッカーが音を立てて崩れ落ち、容赦なく彼の背中にのしかかった。
「……っぐ……ふっ!」
鈍い音と共に、源次の口から低いうめき声が漏れる。
肋骨が――四、五本――一気に砕けた。
「源さん!!」
麟太郎が、思わず叫んだ。
その声は、自分のための悲鳴だった。
――源次が倒れることは、自分たちの死を意味していた。
源次が顔を上げると、右腕一本で、一気にロッカーを弾き飛ばした。
彼の肉体も強靭であった。
薄暗い室内で立ち上がるその姿は――
怪物に散々痛めつけられ、満身創痍になりながらも、これから最後の反撃に挑もうとする、
まさに“瀕死のスーパーヒーロー”のようだった。
破れた白いランニングシャツからは、鍛えぬかれた筋肉が窮屈そうにはみ出している。
強そうな口髭も健在だ。
源次が、身体に残っているシャツの一部を、自ら引き裂いて、横へ投げ捨てた。
――そして、一歩。
怪物へ向かって踏み出そうとした、その時だった。
「ぐっ……!」
右脇腹に、鋭い痛みが走る。
その場で膝をつくと、喉の奥から鉄の味が込み上げた。
「ゲホッ……!」
血混じりの唾を吐き捨てる。
だが、それでも――
源次は、ゆっくりと、確かに立ち上がった。
反対側の壁際では――
自らの上に倒れこんだ仲間の死骸を、怪物がぐいと払いのけて立ち上がった。
転がった怪物の死骸は、腹が横一文字に裂けていた。
先ほどの、怪物の一振りであった。
怪物の腹の厚みが薄かったら、源次は間違いなく立ち上がれ無かったであろう。
「こっちだ!」
源次は、足元に転がっていたパイプ椅子を投げつけた。
そして右脇腹を押さえながら、ふらつく足取りで部屋の外へと出ていった。
怪物が、二、三歩、源次の後を追って進んだ。
だが途中で、ぴたりと足を止める。
――そして、ゆっくりと顔を横に向けた。
薄暗い部屋の奥――麟太郎と日向が、その鋭い視線に気づいて息を飲む。
慌てて身を伏せると、怪物の影が、二人の後ろの壁に映り、だんだんと大きくなっていく。
ズシン――ズシン――。
歩み寄るたびに、怪物の重たい足音が床を震わせる。
(助けられるわけがない。この女を囮にすれば……俺は、生き残れる)
麟太郎と日向は、解剖台の下で顔を見合わせた。
「同時に、別方向へ逃げよう」
麟太郎が、息を潜めてささやく。
「合図したら、おれは窓の方へ向かう。君は出口の方へ逃げてくれ」
彼女は、小さく頷いた。
他に手はなかった。怪物の足音は、すぐそこまで迫っている。
麟太郎は、大きく息を吸った。
「――よし!」
その声と同時に、日向がテーブルの下から飛び出し、出口へ駆け出した。
麟太郎は、立ち上がらない。
彼女を“囮”にして、自分の生存率を高めるためだった。
その刹那――
怪物が、日向の動きを捉えた。
右腕が唸りを上げ、金属性の解剖台を横殴りに振り払う。
それはまるで、巨大な弾丸のように空気を切り裂いて飛んだ。
「――あっ!」
衝突音とともに、骨の砕けるような鈍い音が響く。
解剖台が、出口へ駆け出した日向助手の華奢な背中を直撃した。
そのまま壁との間に押し潰される。
日向助手の口からは、泡混じりの血がこぼれ落ちた。
そのまま、横倒しになった解剖台の下で動かなくなった。
解剖台の下――キャスターがクルクルと音を立てている。
飛ばされた解剖台のあった場所――
そこに、頭を抱えた麟太郎はしゃがみ込んでいた。
怪物が、すぐ目の前に立っている。
無機質な金色の瞳が、じっと足元を見下ろした。
そして顔を上げた麟太郎と目が合った。
怪物の右腕がゆっくりと持ち上がり――
その三枚の爪が、カチリと音を立てて閉じる。
三角形に尖った、まるで東京タワーのような殺戮の槍が現れた。
慌てて麟太郎は立ち上がった。
ただ、無我夢中で窓に駆け寄り、開けようと、手を伸ばした――その瞬間。
ズドンッ!
鋭い衝撃とともに、怪物の右腕が突き出された。
爪は、麟太郎の背中を貫き、そのまま前方の壁をも突き破る。
〈ガシャーン〉
破砕音とともに、麟太郎の頭が窓ガラスを突き破った。
両腕は、万歳するように外へ投げ出され、
無防備にぶら下がっている。
そして、そのすぐ下――壁を貫いた穴から、
東京タワーのように尖った“爪の先端”が、建物の外に不気味に覗いていた。
◇
【バトルロワイヤル戦況ログ】
<現在時刻> 0時30分。
――諏訪湖畔・プレハブ本部棟(解剖室)。
午前4時30分の物語開始から20時間経過。
生存者の息遣いは、もう風の音に紛れるほどにか細い。
――◇――
■ 生存者:20名
・源次:重傷。肋骨多数骨折。なおも前線にて交戦中。
・龍信/碧:湖畔エリアからの帰還途上。
・一織:研究棟別室にて熟睡中。
・賀寿蓮組 作業員16名(彗・翔太を含む)
→ 宿舎棟で睡眠中。
■ 負傷者:2名
・時貞/日向:解剖室内で重体。意識なし。
(止血処置済み、呼吸微弱)
■ 死亡者:8名
・チャンネル9撮影班:風見麟太郎(死亡)
・田辺研究所:田辺博士、丹波助手(死亡)
・水篠物産:東峰、林、山本(死亡)
・長野県警:金田、斉藤(死亡)
■ 獄禍(GOKKA)個体データ
・個体A:鎖吊り個体 ― 右眼損壊/活動再開確認。
・個体B:石箱由来個体 ― 腹部破壊/機能停止。
・他個体:未確認。
■ 状況
・戦場区域はプレハブ本部棟・解剖室に限定される。
・建物構造の崩壊進行率は 16%。
・プレハブ本部棟の電力消失。(非常灯のみ)
<残り時間>
・終了予定時間:午前5時30分。
→「25時間」より逆算――残り5時間。
獄禍との戦いは、まだ半分も終わっていない。




