↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第7話 星空に静かに抱きしめる夜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/84

【6】 指の先、異物の中の論理

解剖室――


白い蛍光灯が、

無機質な光を降り注いでいる。


濡れたコンクリート床。


排水溝へ残る泥水の筋。


消毒液と、

湿った鉄の匂い。


そのすべてが、

冷えた空気の中へ重く沈んでいた。


部屋の中央――


高い天井から吊られた鎖が、

わずかに揺れる。


――ジャリ……。


乾いた金属音が、

静まり返った解剖室へ小さく響いた。


その音の中で。


穴へ差し込まれていた田辺博士の人差し指が、

ぴたりと止まった。


博士は、

ゆっくりと指先を回しながら、

難しい顔で呟いた。


「これは……ボタンではないな……」


低い声。


だが、その響きには、

博士自身も整理しきれていない困惑が滲んでいた。


「むしろ……これは、

 “インターフェースのコネクター”に近い」


「えっ……?」


丹波が、

思わず顔をしかめる。


「あの……パソコンの裏とかにある、

 コードを繋ぐやつ……ですか?


 でも、そんな――」


ゆっくりと首を振った。


「まさか……」


再び穴を覗き込む田辺博士自身も、

自分の口にした言葉が信じられなかった。


だが。


この怪物の身体からは、

どうしても“人工物”の気配が消えない。


(金属質のような三枚爪……。


 耳の後ろの真円。


 そして、この内部構造……)


頭の奥が、

静かにざわついていく。


(命令をインプットされた怪物……。


 人間にコントロールされていた生命体……?)


そんな突飛な発想が、

ふいに脳裏を過ぎった。


しかも――


否定ができなかった。


「この怪物へ、

 何らかの装置を接続していたのかもしれん……」


博士が、

低く呟く。


「それで命令を送り、

 コントロールしていた。


 あるいは逆に――


 情報を収集させていたとか……」


「何らかの装置って……」


丹波の喉が、

わずかに鳴った。


「戦国時代に……


 誰かが、これを“使ってた”ってことですか?」


田辺博士は答えない。


ただ、

目を細めたまま考え込んでいる。


背後では、

日向が無言のまま立ち尽くしていた。


その顔色は、

すでに青白い。


「いや……。

 もっと単純なものかもしれん……」


やがて博士が、

迷うように口を開いた。


「たとえば――


 人間の言葉を信号へ変換し、

 怪物が理解できる形へ置き換えていたとか……」


そこまで言って、

博士は口を閉ざす。


自分でも、

何を言っているのか分からなくなり始めていた。


今まで、

数え切れないほどの生物を解剖してきた。


未知の深海魚。


奇形種。


腐乱死体。


だが――


今回だけは違う。


豊富な経験をもってしても、

目の前の存在を“生物”として整理できない。


科学の言葉そのものが、

静かに崩れていく。


麟太郎は、

その一部始終を無言で撮影し続けていた。


レンズの向こう。


醜怪(しゅうかい)な顔が、

アップで映し出される。


長く見続けていると――


今にも、その閉じた瞼が、

ぱちりと開き。


ゆっくりと起き上がってくるような錯覚を覚えた。


麟太郎には、

それは死体ではなく――


長い冬眠の途中。


あるいは、

仮死状態のまま眠り続けている“何か”のように見えていた。



――十分が過ぎた。


解剖室には、

機械の低い駆動音だけが残っていた。


その解剖台の上で――


巨大な異形だけが、

まるで時間から切り離されたように横たわっていた。


「……でも、不気味ですね」


日向が、

そっと呟く。


ビニール手袋をはめた指先で、

恐る恐る怪物の頬へ触れた。


「この生命体の……何もかもが」


その手つきは、

猛獣の寝息を確かめる飼育員のように慎重だった。


丹波は、

その様子を眼鏡の奥の細い目でちらりと見やる。


だが、何も言わない。


――彼は先ほどから、

でっぷりと膨らんだ腹部を開こうとしていた。


だが。


まったく歯が立たない。


解剖用メス。


骨切り鋏(こつきりはさみ)


小型の振動ソー。


持ち込まれていた器具を、

次々と試した。


だが――


この異様な外皮には、

傷ひとつ付かなかった。


最も切れ味の鋭い電動ノコギリですら、

触れた瞬間。


キィィ……。


まるで石材の表面を擦るような嫌な音を立て、

逆に刃先の方が削られていく。


肉を切っている感触ではない。


「教授……無理です」


丹波が、

苦い顔で口を開く。


「皮膚が硬すぎる。

 傷ひとつ付きません」


田辺博士は、

ゆっくりと顔を上げた。


額へ、深い皺が刻まれる。


怪物の黒い腹部を見つめたまま、

低く言った。


「……レーザーを使ってみなさい」


その瞬間。


解剖室の空気が、

わずかに張り詰めた。


丹波は黙って頷くと、

電動ノコギリを脇へ置く。


そのまま無言で、

装置の準備へ取り掛かった。


日向助手も、

静かに手袋を外す。


何も言わないまま、

濡れた床を這うコードの配線へ加わっていった。



田辺博士は、

怪物の右腕を万力で固定し、

三枚の巨大な“爪”を慎重にこじ開けようとしていた。


博士が、

ここまでこの異様な構造へ執着するのには理由がある。


――どうしても、

これが“自然の産物”には見えなかったのだ。


この爪には、

どこか“人工的な意図”が見え隠れしていた。


・水の流れ。

・炎の揺らぎ。

・山脈の稜線。

・海岸線。


自然界の形には、

必ず微細な“揺らぎ”が存在する。


・完全な直線も。

・完全な対称も。


現実には、ほとんど現れない。


もちろん――


自然界にも、

規則性そのものは存在する。


・蜂の巣。

・貝殻の螺旋。

・昆虫の翅。


生物は時に、

驚くほど幾何学的な構造を生み出す。


だが。


それらは、

あくまで“生き物としての合理性”から生まれた形だ。


対して――


人工物には、

別種の規則がある。


直線。


均一な曲率。


無駄のない対称性。


・高層ビルも。

・自動車も。

・精密機械も。


そこには必ず、

“設計者の意思”が存在している。


そして――


この爪から感じるのは、

自然の合理性ではなかった。


“誰かが設計した形”――


その不気味な気配だった。


田辺博士は、

この“爪”の形状を、

どこかで見た記憶があった。


それは――


有名な芸術家が描いた、

空想上のUFOのイラストに似ていた。


博士が、

この爪へ“人工物”の気配を感じた理由は、

まさにそこにある。


腕の内側に配置された二枚。


それは、

滑らかなアールを描く板状構造だった。


まるで、

ボートの底板のように。


精密で。


無駄がない。


そして――


肘側から覆い被さる最後の一枚。


それは、

わずかに湾曲した平板で、

巨大なトンボの羽にも、

古代の装飾剣にも似た独特の造形をしていた。


三枚が閉じることで生まれる、

先端の尖ったシルエット。


それはまるで――


銀色の薔薇の花弁だった。


滑らかすぎる。


整いすぎている。


その完璧な対称性は、

自然界の“偶然”というより、

明らかな“設計意図”を感じさせた。


そして。


田辺博士が、

あのUFOの絵を思い出した理由は、

もうひとつある。


――色だ。


タワシで苔や水藻を洗い落とした後の、

その巨大な爪は、

鈍い銀色の光沢を放っていた。


まるで金属。


周囲の体表は、

タイヤのように黒く、

濃い緑を帯びている。


だが――


この爪だけが、

明らかに異質だった。


色そのものが、

“別素材”であることを主張している。


あるいは――


後から取り付けられた、“部品”。


こんな構造のまま、

胎児から成長したとは思えない。


むしろ。


これは生物の器官ではなく――


どこかで“装着”されたものなのではないか。



そのとき。


焦げるような臭いが、

博士の思考を断ち切った。


顔を上げる。


丹波が握るレーザーメスの先端から、

白い煙が細く立ち上っていた。


怪物の硬い外皮へ、

ようやく、わずかな焼き痕が刻まれている。


奥では、

日向が無言のまま電圧の目盛りを上げていた。


機器の低い作動音。


焦げた匂い。


そして、

白く冷えた蛍光灯の光。


解剖室の空気は、

まるで異形の儀式場のように、静かに満たされていった。



そして、このとき――


開かれた腹の奥から。


五百年の時を経てもなお、

腐敗を拒み続けていた

“歴史の異物”が流れ出してくることなど。


ここにいる誰ひとり、


まだ、想像すらしていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。