【6】 指の先、異物の中の論理
田辺博士は、穴の中で人差し指をゆっくりと回しながら、低くつぶやいた。
「……これはボタンではないな。――むしろ、“インターフェースのコネクター”に近い」
「えっ、それって……パソコンの後ろにある、ケーブルを繋ぐやつ、ですか?」
丹波が眉をひそめる。
「でも、……まさか……」
博士は、己の口から出た言葉にすら違和感を覚えていた。
だが、目の前の異形からはどうしても“人工的な意図”の気配が拭えない。
(命令を入力された生物……人間に制御された“生命体”?)
荒唐無稽な想像が頭をよぎる――しかし、それを完全に否定できなかった。
「この怪物にコンピュータを繋いで、何らかの指示を送ったのか。
あるいは、逆に情報を収集させていたとか……」
丹波が言葉を探るように口にすると、田辺博士は沈黙したまま、目を細めて考え込んだ。
日向は口をつぐんだまま、二人の後ろで会話をじっと聞き続けている。
「そんな大掛かりなものじゃなくて……たとえば、人間の言葉を信号に変換して、怪物が理解できるようにしていたとか……」
そうつぶやいた博士の表情には、明らかな迷いが浮かんでいた。
今まで数え切れないほどの生物を解剖してきた田辺博士でさえ、今回ばかりは、頭の中が静かにかき乱されていた。
麟太郎のカメラが、その醜怪な顔を静かに記録していた。
レンズ越しの異形の顔は、まるで長い眠りから目覚めようとしているようだった。
凝視していると、いつその瞼が開いてもおかしくない――そんな錯覚すら覚える。
「……でも、不気味ですね」
日向がそっと呟き、ビニール手袋をした手で、恐る恐る顔の頬に触れた。
その手つきは、まるで猛獣の寝息を確かめる飼育員のように慎重だ。
丹波は、ちらりと彼女を見たが、黙って視線を戻した。
彼の眼鏡の奥の瞳は疲れきっていた。
どんな鋭利なメスを使っても、外皮には傷ひとつ付けられなかったのだ。
最も切れ味の鋭いノコギリ状の刃すら、石の表面をなぞるように滑り落ちるだけだった。
「博士……だめです。皮膚が硬すぎて、傷ひとつ付きません」
博士は顔を上げ、額に深い皺を刻む。
「……レーザーを使ってみなさい」
丹波が頷き、装置の準備に取りかかる。
日向も黙ってケーブルを繋ぎ、メーターの針を上げていく。
博士はその間、怪物の右腕を万力で固定し、三枚の巨大な“爪”をこじ開けようとしていた。
――この異様な突起に、彼がここまで執着するのには理由があった。
どう見ても“自然の産物”ではない。
爪の表面には、どこか人の手が加えたような、意図的な造形の痕跡があった。
自然界の形とは本来、不定形だ。
水も火も、木や山も――ひとつとして同じ形を持たない。
もちろん、人間の体だって例外ではない。
それに比べ、人工物の形状はすべて“理”のもとにある。
直線と曲線、角度と比率――それらの整合こそが、設計という意思を証明する。
高層ビルでも、自動車でも、文字でも、すべては“整えられた線”でできている。
博士はその爪を見ながら、ふと胸の奥にひっかかる感覚を覚えた。
(……この形、どこかで見たことがある)
思い出したのは、ある芸術家が描いた“想像上のUFO”のスケッチだった。
滑らかで、均整の取れた銀の円盤――あの異様な“整いすぎた曲線”に、似ていた。
腕の内側に取り付けられた二枚の爪は、なめらかなアールを描き、まるでボートの底板のような精緻な湾曲をしている。
体から離れた肘側に延びるもう一枚は、やや反り返る平板で、巨大なトンボの羽――あるいは古代の装飾剣のようでもあった。
三枚が閉じ合わさることで生まれる、バラの花びらを思わせる先端のフォルム
その滑らかさと完璧な対称性は、自然の“偶然”ではなく、何者かの“設計図”を感じさせた。
博士は思わず息を呑んだ。
――あの絵を思い出したのには、もう一つ理由がある。
それは、この爪の“色”だ。
タワシで洗い上げ、苔と水藻を取り除いたその表面は、まるで金属のように鈍い銀色を放っていた。
周囲の皮膚は、タイヤのように黒く、濃緑を帯びている。
それなのに、この爪だけは明らかに異質だった。
――金属のようだが、まったく光を反射しない。
それは、まるで生物に“後から取り付けられた”装甲のようだった。
(こんな構造のまま成長するはずがない……これは、生まれながらの形ではない)
博士の喉が、ごくりと鳴った。
理屈ではない、純粋な“恐怖”が脊髄を走った。
そのとき――
焦げるような臭いが博士の思考を中断させた。
振り返ると、丹波の持つレーザーメスが、怪物の堅い皮膚にわずかに焼き痕をつけていた。
隣で日向が電圧の目盛りを上げている。
機器の作動音と焦げた匂いが、実験室の空気を静かに満たしていた。
*
そしてこのとき――
開いた腹の中から、五百年の時を経てなお――
**腐敗を拒み続けた“歴史の異物”**が流れ出してくることなど、
誰も想像すら、していなかった。




