表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第6話 信長の鬼伝説と信玄死の謎

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/44

【6】 封印された死と、繋がる石箱の謎

外はいつの間にか夜の闇に沈み、窓ガラスには向かいの宿舎から漏れる外灯の光が、ぼんやりと滲んでいた。

時貞は息を整え、静かに語り始める。


「ここまで破竹の勢いで快進撃を続けていた“甲軍”――つまり武田軍が、突然、兵を引き始めるんだ」


「へぇー、武信玄ちゃん、家に帰っちゃったの? ……JRで?」


「ちがう……」

時貞は呆れたように大きく首を振った。

その拍子に長い前髪が顔にかかり、ふと目を上げると、一織がにこにこと笑っている。


――はぁ、と、時貞は小さくため息をついた。


「そのとき、武信玄ちゃんは……負けそうだったの?」

首を傾げる一織に、時貞はきっぱりと首を横に振る。


「いや、全然。

 近江で信長の背後を脅かしていた朝倉義景が、上杉謙信の要請を受けて撤兵したことはあった。でも――」


「つまり、フリーになった“天下無敵の織田ノブピー”が、いよいよ動くってわけね。

で、破竹の武信玄ちゃんとガチンコ勝負。……でも、なんで朝倉くんは、あっさり兵を引いたの?」


ふざけた口調とは裏腹に、その問いは鋭かった。


「信長が、謙信に鉄砲や弾薬を送って、朝倉に謙信から、間接的に“兵を引け”と圧をかけたんだ。

 裏工作が成功した。だけど浅井軍や一向一揆はまだ動いていたから、状況的には武田軍のほうが依然有利だったと見られている」


「じゃあ、なんで武信玄ちゃんは軍を引き上げたの?――京へ行けんのに」

一織の眉が寄る。


時貞は、アイスティーを一口飲んでから答えた。

「……それがね、信玄の撤退理由は、いまも“歴史の謎”なんだ。

 確実な記録がなくて、学者たちが“それっぽい説”を並べてるだけで」


「ふーん。でもどっかで読んだよ。たしか、武信玄ちゃんは病気だったって」


その言葉に、時貞が小さく頷く。

「うん。病に伏していたという説がある。長篠近くの鳳来寺に滞在していたとも言われてる」


「病気って、何の?」


「今で言えば、肺結核とか胃がん。『甲陽軍鑑』にはね――天正元年四月十一日の午後二時、容体が急変して“口の中にくさけができ、歯が五、六本抜けた”って、かなり生々しい記述があるんだ」


「うわ、リアル……怖い。

 でも、他にもあるんでしょ? “じゅーそー”とかいう説?」


「ああ、“銃創死因説”だね」

時貞は頷くと、少し目を伏せた。


「武田軍が野田城を攻略中、夜になると城内から笛の音が聴こえてきた。

 その村松 芳休(むらまつ ほうきゅう)の美しい横笛の音色に誘われて、信玄が耳を傾けていたところを――城内の鳥居三佐衛門という武士が鉄砲で撃った。弾は右肩に命中し、それが悪化した……という説だね」


「え、それ……悲しいけど、ちょっとロマンチック」

一織の声が小さくなった。


戦の夜。

月明かりの下で、静かに笛の音に聴き入る名将・武田信玄――

その光景が、時貞の脳裏にも浮かんでいた。


「……きっと武信玄ちゃん、目を閉じて聴いてたのよね」

「……うん、たぶん」

曖昧に頷きながらも、どこか心を動かされている自分に気づく。

信玄が目を閉じていたかどうかなど、専門家たちはきっと気にも留めないだろう。


「でもね、信玄の場合、死因だけじゃなくて“死後”の扱いにもいくつか説がある」

時貞は立ち上がり、小型の冷蔵庫から冷えたペットボトルを取り出した。


窓の向こうでは、夜の闇に紛れて、小さな羽音が跳ねるように聞こえる。

七月の湿った夜気に誘われて、蛾や羽虫が外灯に群がり、ガラスにコツリとぶつかっては、反射した光に吸い寄せられるように何度も舞い戻っていた。


時貞は、冷蔵庫から冷えたアイスティーのペットボトルを取り出すと、紙コップに注いだ。


「それって、葬儀のことよね」

一織が視線で時貞を追いながら、人差し指を立てて言う。


「そう。ひとつは、駒場の長岳寺で火葬(荼毘(だび))されたという説」

時貞は、もうひとつの紙コップにもアイスティーを注いで歩み寄り、


「もうひとつは、息子・勝頼に“三年間は喪を秘せ”と遺言したという説。

 そして最後が――“わが遺骸(いがい)を諏訪湖に沈めよ”という遺言説だ」

と、そっと彼女に手渡した。


「……遺骸?」

「そう。遺骸っていうのは、火葬後の灰じゃなくて、遺体そのもののことなんだ」


「ふーん、それゾンビになるやつじゃん。――意味深だぞい!」

一織が冷たい紙コップを手に、唇を尖らせた。


「信玄の死因は不明瞭で、記録も少ない。だからこそ、さまざまな説が生まれた。

 でもね――一致してることがひとつある」


時貞はゆっくりと一織の方へ顔を向けた。

「信玄は、天正元年四月十二日。

 三河街道を甲斐へ戻る途中、浪合と駒場のあたりで、五十三歳で亡くなった――とされている」


「……“されてる”だけでしょ? 本当かどうか分かんないじゃん」

「まあね」

時貞は曖昧に笑ったあと、静かに言葉を継ぐ。


「でももし、本当にその辺りで死んだとしたら――」


一瞬、空気が止まった。


「……“石箱を沈めた日”は、そのすぐ後なんだ」


「――あっ!」

一織の目が、ぱっと見開かれる。


「そうか……ここで“あれ”と“これ”が繋がるんだ!」


「古文書に記された沈下の日付は――天正元年、四月十五日」


「……死んだのが四月十二日。

 だったら、沈めたのは、その三日後。

 ――あの石の箱って、武信玄ちゃんのお墓……なの?」


静かな夜の中で、その言葉だけが妙に響いた。


時貞は、腕を組んだまま、黙っていた。

たしかに、一織の推測には一理ある。だが、胸の奥で何かが引っかかっていた。


何故、信玄は、死んだ際に大々的な葬式を行い、歴史に自身のピリオドを残さなかったのか。

自分の死をそれほどまでに隠す必要がなぜあったのか?


また、古文書に、頻繁に出てくる、鬼(獄禍(ごっか))と、大きな首無し武者。

そして時を同じくして、信玄の突然の撤退と、死。


―――時貞には、この次元を超えた歴史のパズルが、

何処かで全てがひとつに繋がるような気がしてならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ