【1】 石箱、開封せよ
湖畔に引き上げられた――巨大な石箱。
その石蓋の両隅、諏訪湖から見て左側の二ヵ所に穴を開け、
そこへワイヤーを通してクレーンのフックに掛ける。
右手の二基が唸りを上げ、ゆっくりと持ち上げを開始した。
ゴゴォォォ……グゥゥゥウ……ッ――
地鳴りにも似た唸りが、湖畔全体を震わせた。
数トンはあるであろう一枚岩の平蓋が、左から右へ――
ゆっくりと、確実に、五百年の封印をほどくように、その口を開いていく。
その瞬間、どこからともなく――
血と鉄の匂いが、ほんのかすかに漂った。
獣と汗の混じった、革鎧の湿った臭気。
刀が抜かれ、泥を蹴る足音。
鋼がぶつかり、怒声が飛び、馬が嘶く――。
耳の奥で、それらが一瞬だけ蘇った気がした。
まるで五百年前に、ここで封を施した者たちの“最期の気配”が、
石の隙間からこぼれ出したかのようだった。
やがて石蓋はゆっくりと垂直に立ち上がり、静止した。
湖側から見れば、それはまるで巨大な逆L字の構造物。
蓋の上に積もっていた泥がズルズルと崩れ落ち――
その下から、うっすらと“四つの武田菱”が姿を現す。
蓋の中央には、小さな円形の穴。
そこから覗く空の青が、湖面の光を受けて淡く揺れた。
観覧エリアの人々が一斉にどよめく。
報道カメラのフラッシュが雨のように弾け、
「歴史的瞬間です!」と叫ぶレポーターの声が重なり合った。
高揚と混乱の熱気が、湖風に押し流される。
――箱の内部。
巨大な外箱の中心には、さらに一回り小さな石箱が据えられていた。
四辺を精密に削り出し、底の凹みにぴたりと収まる構造。
それは、五百年前の職人技の極致とも言える精度だった。
側面に開けたドリル孔の高さまで湖水が抜けた箱内部には、
がらんとした空洞が広がっている。
そこには泥の塊がいくつももっこりと盛り上がっているほかは、何もない。
この外箱内の詳細調査は、明朝に持ち越される予定だった。
やがて龍信と源次が、クレーンを操り――
内箱にワイヤーを掛け、慎重に持ち上げていく。
外箱の側にはレールが敷かれ、
その上には巨大なトロッコ状の台が静かに待機していた。
二人は息を合わせ、石箱をその上に降ろす。
“小箱”とは名ばかり――
一辺七・五メートル、高さおよそ二・八メートル。
外箱と同じ硬質岩で造られた、まさに“石の棺”だった。
トロッコは電動モーターに引かれ、
ゆっくりとプレハブの本部棟の中、
――小型飛行機の格納庫のような採集室へと運び込まれていく。
天井からは太い鎖が垂れ、
石箱はそれに繋ぎ替えられて、中央に掘られた穴へと慎重に下ろされた。
湖畔側への出入口は、巨大な木製の二枚扉――
今、その扉が――ギギィ……と重々しい音を立てて閉ざされた。
*
十八時――。
報道は、ここで打ち切りとなった。
西の山稜に夕陽が傾き、
湖畔は、ひときわ長い影に包まれる。
建物の周囲には黄色いテープが張られ、
立ち入り禁止の札が次々と掛けられていった。
見学に来ていた地元住民は、
興奮の余韻を残したまま、少しずつ湖畔を離れていく。
報道クルーたちも、機材を畳み、
蜘蛛の子を散らすように中継車へと乗り込んでいった。
――やがて、誰もいなくなった。
雑木林に囲まれた湖の裏手は、
再び静寂に支配される。
国道を行き交う車のライトが、遠くで瞬いた。
一瞬だけ熱を帯びた湖畔は、
いま、何事もなかったかのように――
深い夕闇の中へと、静かに溶け込んでいった。
その湖面を漂う影が、わずかに――息を吹き返した。




