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血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第5話 湖の真ん中に、どうやって石箱を?

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【1】 沈黙の箱と“戦国の覇者”

午後二時十分。


チャンネル9の碧と麟太郎は、空き時間を使って、神童教授へのインタビューを始めた。


カメラが回ると、碧がすぐに切り出す。


「どうして諏訪湖に石箱が沈んでいると分かったんですか?」


時貞は、先ほどまでの飄々とした雰囲気を消し、真剣な表情で答え始めた。


――◇――


――昨年の夏。


長野県松本市。

諏訪湖からほど近い小さな村で、一人の老人が亡くなった。

その家は武田家に縁を持つ旧家で、十六代続く家系だった。


祖父の死を機に、家族は老朽化した土蔵を取り壊すことにした。

だが、祖父は生前、何度も言い残していた。


「あの蔵だけは、決して壊すな」


先祖代々伝わる“禁忌”のような言葉。

しかし老朽化は限界で、家族は意を決して蔵を解体する。


古い木材が軋み、土埃が舞った。

その中から、ひとつの石箱が現れた――

壁が二重構造になっており、その隙間に巧妙に隠されていたのだ。


箱は、ひとつの巨大な岩をくり抜いて作られたもので、高さは胸元ほど。

人力では動かせぬ重厚さで、蓋の表面には“武田菱”が彫られていた。


――◇――


家族は、歴史考古学に詳しい、跡見大学にそれを持ち込んで鑑定をしてもらうことにした。

同大学には、世界的にも有名な歴史考古学者を父に持つ、神童時貞(しんどう ときさだ)が若き教授として在籍をしていた。


箱は大学に運び込まれ、慎重に蓋が開けられた。

中には、さらにもう一回り小さな箱――“内箱”が収められていた。


時貞は四人のスタッフとともに、内箱を慎重に取り出し、その蓋を開けた。

すると中から現れたのは、今にも崩れてしまいそうな、七冊の古文書(こもんじょ)だった。


時貞は白い手袋をつけ、そっと埃を払いながら、ひとつひとつ丁寧にテーブルの上へ並べていく。

その扱いはまさに、歴史に触れる者の手本だった。


この貴重な資料はすぐに、美術品や文化財の修復を専門とする業者に依頼し、すべてを複写・保全することに決めた。

何よりも、未来へ残すべき大切な歴史の財産だったからだ。


――◇――


調査を始めてから二か月が過ぎた頃、ついに古文書の内容から、大まかな事実が浮かび上がってきた。


時貞は、その内容を淡々と語っていく。

麟太郎のカメラがその横顔を捕らえている。


「――この家の祖先は、武田家に仕える身。

 その命を受け、ひとつの巨大な石を設計し、造り上げました。

 そして、天正元年、桜咲く頃――西暦1573年四月十五日、

 その箱は時の記憶を封じるように、諏訪湖の底へと沈められました」


碧は、時貞の話を遮らず、静かにメモを取っていた。


「沈めた場所も特定できました。

 諏訪大社下社から南西へ、茶臼山城(現在の諏訪高島城)から北西へ線を引き、その交点にあたる地点です」


時貞は一拍置く。口調に、わずかな緊張が走る。


「そして、当時の武田領内では『首なし武者』が荒れ回っていた、という不可解な記述があります」


碧は、ペンを持つ手を止めて、身を乗り出した。


「首なし武者……それは怪異の類ですか?」


時貞は静かに頷く。


「おそらく、そうでしょう。

 もしくは、その怪異が具現化する元となった、何らかの事象があったのかもしれません。

 さらに、文中にはたびたび、『“獄禍(ごっか)”』という、底知れぬ名が繰り返されていました」


碧の瞳が、一気に鋭くなる。

「“ごっか”……ですか? それは、何を意味する単語ですか?」


「それが何を意味するかまでは、今も探究の途上です。

 ですが、この石箱が背負う背景――歴史という布地の裏側に、

 奇妙にして、底光りする不穏な謎が横たわっているのは確かでしょう」


何を、何の目的で沈めたのか――そこまでは分からなかった。

だが、武田家が自らの手で巨大な石箱を諏訪湖に沈めたという事実だけは、古文書からほぼ確実に読み取れた。


時貞は、まっすぐカメラを見据えながら続ける。


「そして調査を進めるうちに、私はある重大な謎に突き当たりました。

 それは、文書の随所に記されていた、戦国の覇者――『織田信長』の名です」


「織田信長……!」 碧は思わず声を上げる。驚きが隠せない。


「なぜ、武田家の秘蔵文書の中に、織田信長の記述が繰り返されるのか?

 《沈められた石箱》と《織田信長》――

 両者の間に横たわる、得体の知れない“つながり”に、私は強く引き寄せられました」


時貞は、ここで一旦言葉を区切った。


「それで、教授は発掘をご決意されたのですね?」


碧が尋ねると、時貞はゆっくりと頷いた。


「ええ。まず、諏訪湖に石箱が沈んでいるかどうかを、自分の目で確かめたくなったんです。

 有るか無いかは分からない。五百年という時間は、予測をするにはあまりにも長すぎますから」


「それでも、『必ずある』という確信があるのですか?」


時貞は椅子に深く腰掛け直し、静かに答えた。


「私は必ず、まだそこにある、あるべきだと思っています。

 箱が沈めたことは、古い書物が物語っていました。

 問題は、その後引き上げられたかどうかです。

 以後。現代に至るまでの間に、引き上げた者がいないとは言い切れません」


時貞は、掌を前へ差し出し、顔を上げる。

「――ですが、考えてみてください」


優雅な動作。その彫刻のように整った顔立ちは、

まるで異世界から切り取られた存在のようだった。


「あれほど巨大で重厚な石箱を、五百年前という時代の制約の中で、

 湖底深くから引き上げることは、論理的に不可能に思えます。

 仮に、その偉業が成されたとすれば、それは歴史的な大事件として、

 現代まで人々の記憶と記録に刻まれていなければならないはず。

 ――にも関わらず、その痕跡は、どこにも残されていないのです」


「つまり、まだ、必ず諏訪湖の底に眠っていると」


時貞の瞳に、確信の光が宿る。


「そうです。――私は、そう確信しました」


碧はペンを置き、深く頷いた。


「なるほど……理屈の通った“確信”ですね」


ここで約束の時間となった。

カメラが止まり、静寂が落ちた。


――◇――


引き上げを決意した時貞は、

まず、箱の持ち主である家族の了承を取りつけた。


そして――その足で、スポンサー探しに動き出した。


諏訪湖という巨大な湖底を捜査するには、莫大な費用がかかる。

個人研究の予算では到底まかなえない。


だが、その話にすぐ反応した企業があった。

地元の名門、水篠物産(みずしのぶっさん)


会長は、ロマンと郷土愛に燃える人物だった。

時貞の話を聞くなり、即決で協力を表明した。


しかし――社内は真っ二つに割れた。


「五百年前の技術で、あの湖の真ん中に、何トンもある石箱を運べるわけがない」

「そもそも、そんなものは沈んでいるはずがない」


反対派の筆頭は、営業部長・岩城雅也(いわき まさや)

四十五歳。大学時代は考古学を専攻し、“自称・理論派”。


彼の主張は、驚くほど単純だった。


「運べないものは、存在しない」


理屈の鎧に身を包んだ、典型的な現実主義者。


一方、水篠会長は正反対のタイプだった。

「夢があるじゃないか」と笑い、大いに乗り気だった。


歴史ロマンへの憧れ。

地元への貢献。

そして――企業としての全国的な知名度アップ。


もし石箱の中から“武田家の財宝”でも出ようものなら、

一夜にして日本中の話題になる。


だが、話はそう単純ではなかった。


もし本当に、五百年前の技術で

「湖の真ん中に巨大な石箱を運び、沈める」ことが不可能なら――

この計画そのものが、夢物語で終わってしまう。


――◇――


そこで、反対派の代表・岩城部長と神童教授の「対決の場」が設けられた。

場所は、水篠物産本社の最上階、重役専用の大会議室。


テーマはただひとつ。


「――どうやって、あの石箱を湖の真ん中に沈めたのか?」


神童時貞は、いつも通りの落ち着いた表情で席に着いた。

対する岩城部長は、水篠会長が同席するということで、気合十分。

張り切ってスーツの襟を正しながら、密かに勝利を確信していた。


――彼には、絶対に崩れない“論理の壁”があったのだ。



午後の光がガラス壁を透かし、

湖面の揺らぎが、会議室の天井に淡く映っていた。

まるで、五百年の底に眠る“何か”が、微笑んでいるかのように――。

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