創作合宿初日――物語はまだ、定まらない
午前11時、受付ロビーにて。
合宿所の中は、木の匂いがほんのり漂う、落ち着いた空間だった。
受付前のロビーには、すでに十数名ほどの参加者が集まり、スタッフの案内を待っている。
「はい、ではこちらが参加者リストと、部屋割りになりますねー」
スタッフのお姉さんが明るい声で話すなか、僕は隣の安宅マコトと並んで名簿に名前を書いた。
……間違えずに、ちゃんと【佐藤ユウ】と書けた。
今回は“ミオ”も“アメリア”も、登場しない。大丈夫。
「佐藤、お前、第一回目の合宿って感じするな」
「……うん。なんか、まだ実感ないというか」
「まあ、昼メシ食って、ちょっと歩いて、夕方から本番って感じだからな。気楽にいこうぜ」
そう言って安宅は、スタンプラリーの紙みたいなスケジュール表を僕に手渡した。
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昼食後、各自が自由に作業できる「創作スペース」へと誘導された。
窓の外には森が広がり、蝉の声と風のざわめきがかすかに耳をくすぐる。
ロビーやカフェテリアに分散した参加者たちは、各々の作業机にノートやタブレット、ラップトップを広げていた。
僕もそっと椅子に腰かけ、ノートPCを起動する。
> “この物語は、好きになるまでの物語だ。”
画面に現れたのは、あの恋愛短編集の冒頭。
(……これを、続きを書くのか。それとも――)
しばらく指が止まったまま、動かない。
背後から、軽やかなペンの音が聞こえてくる。
横の席では、ボブカットの女性がスケッチブックにキャラデザインを描き込んでいる。
向かいの席では、無言でキーボードを打ち続ける長髪の男性。ちらっと画面を覗けば、黒背景に白文字の“暗黒ファンタジー”っぽい語り出し。
「すごいな……」
この場所に集まっている人たちは、誰もが“自分の世界”を持っている。
そして、それを表現しようとしている。
僕はまだ、迷っていた。
「今回のジャンル、どうしよう?」
恋愛? ファンタジー?
僕の中には、どちらの物語もある。
でも、今この場所で書くべき“声”が、まだはっきり聞こえない。
そんなことを考えていると、斜め後ろから安宅が声をかけてきた。
「佐藤、お前ってさ、どんな話を書きたいんだ?」
「え……」
「ほら、ラブコメとか、異世界とか。いろいろあるだろ?
ジャンルって、迷うもんだよな。俺も昔は“とにかく感動!”って方向に逃げてたけどさ」
「……うん、今まさに、その迷い中」
「でもまあ――ジャンルなんて、最後に決まるもんだろ。
最初に動くのは“キャラの気持ち”だからさ。何を書きたいか、じゃなくて、誰を書きたいか、ってことさ」
安宅の言葉に、何かが少しだけ腑に落ちた気がした。
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日が傾き始めた頃、僕はようやくノートを一枚めくった。
キーボードに指を乗せて、目を閉じてみる。
――誰を、描きたい?
ミオ? カレン? ユナ?
それとも、まだ出会っていない誰か?
(……書いてみよう。とりあえず、動かしてみよう)
やがて、画面に最初の一文が打ち込まれる。
> 夏の風が、あの日の声を思い出させる。
まだジャンルは決まってない。
でも、書きたい“気持ち”が、今ここにある。
合宿初日の夕暮れ。
創作の灯は、静かに灯り始めた。




