第8話 異変その2
異様な空気が漂う中、野獣先輩がデスクにいる部長に向かっていった。
「部長。さっきの言葉通り、このプロジェクト、俺が引き継ぎます。
そのかわりに——」
野獣先輩が、大きく深呼吸して言う。
「プロジェクトチームのメンバーは、俺に選ばせてください」
その場の空気が、ピシリと音を立てて凍った気がした。
いや、比喩でもなんでもなく、マジでみんなの動きが止まった。
パソコンのキーボードを打っていた社員はフリーズし、
書類をめくろうとしていたOLは指を空中で止めたまままばたきすらしなかった。
「……メンバーを、自分で?」
上司が言い終わるよりも先に、野獣先輩は力強くうなずいた。
「そうでなければ、自分の実力が発揮できないんです!」
さっきまで「出社遅れてすまん」とかなんとか言ってた人間の言葉とは思えない。
落ち着きと威圧感がセットになったその口調に、
部長は数秒だけ固まった後、小さくため息を吐いてから、うなずいた。
「……わかった。君に任せよう」
その瞬間、緊張感でギュウギュウに詰まっていた会議フロアから、
一気に息を吹き返すような安堵の空気が広がった。
プロジェクト関係者らしき社員たちが、目に見えてほっとしているのがわかる。
中には目元をぬぐっている人までいる。
何? これドラマなの? 感動のワンシーンなの?
そんな空気をよそに、俺は一歩だけ後ずさった。
(……頼む、フラグ立てるなよ。今だけは、俺に触れないでくれ)
そう心の中で祈った。
だって、無理だろ。プロテイン? 栄養素? 完全食?
俺、昨日カツカレーでテンション上がってた新人だぞ。
——しかし、現実は非情だった。
「まず、一人目。新人の……小鹿!!!!!!!」
その声が俺の名前を呼んだ。明確に。
しかもはっきり、野獣先輩の口から。
時間がスローモーションになった気がした。
俺の心の中では、ちっちゃい俺たちが全員頭を抱えて倒れていた。
『ですよね〜』ってBGMが流れていた。
予測できる絶望って、なんでこんなに心に優しくないんだ。
「えっ……あ、あの……俺ですか?」
「そうだ」
即答。
「昨日、お前のキーボードの入力速度を見て思った。
遅いが、丁寧だった。向いてる」
向いてる!?なにが!?
「……わかりました……」
断れる空気じゃなかった。
俺は周囲の「がんばってね!」という無責任な笑顔の中で、
引きつった笑みしか浮かべられずに、首を縦に振った。
こうして、俺は完全に予定外の
“社運をかけたプロジェクト”に放り込まれることになったのだった。