第1話 野獣先輩
新卒社会人としての第一歩を踏み出した俺は、戦々恐々としていた。
この春、晴れてサラリーマンとなったものの、
配属先のオフィスは未知の世界。
右も左もわからぬまま、言われるがままに自席へ向かうと、
そこには──
野獣がいた。
いや、正確には野獣のような男がいた。
分厚い胸板、隆々と盛り上がった上腕二頭筋、
パツパツのワイシャツ。
まるでシャツが悲鳴を上げているようだ。
鋭い眼光、無駄なく整えられた短髪。
これが本当にオフィスにいるべき人間なのか?
俺はすぐにでも人事に問い合わせたかった。
「おう、新人か?」
低く、響く声。
俺は条件反射的に背筋を伸ばした。
「は、はい! 本日からお世話になります、小鹿です!」
「おう、俺は野獣だ。よろしくな」
言った。
この人、自分のことを野獣って名乗ったぞ。
……いや、さすがにそんなわけはない。聞き間違いか、
それとも俺の頭がパニックを起こしてるのか。
しかし、事態はさらに混迷を極めることとなる。
「小鹿くん、何かわからないことがあったら、野獣先輩に聞くといいよ」
上司の言葉に、俺は盛大に目を見開いた。
やっぱり合ってた!?
この筋骨隆々な先輩社員は、正式に『野獣先輩』と呼ばれているらしい。
そんな馬鹿な。
世の中にはまだまだ知らないことが多すぎる。
「よろしくな、小鹿。遠慮はいらねぇ」
野獣先輩は豪快に笑い、俺の肩をポンと叩いた。
その衝撃は、まるで小型トラックに撥ねられたようだった。
──俺の社会人生活、大丈夫か?
そんな俺に追い討ちをかけるかのように、
さらなる試練が待ち受けていた。
「さて、初日だからな。会社の中を案内してやるよ」
野獣先輩の言葉に、俺は一瞬安堵しかけた。
だが、それも束の間だった。
オフィスを出て廊下を歩く俺たちを、
なぜか男性社員たちがじろじろと見てくるのだ。
まるで好奇の目に晒されているようで、落ち着かない。
なんだこの視線……?
「えっと、野獣先輩……なんか、皆こっちを見てません?」
「ん? そうか?」
先輩は特に気にする素振りもなく、ズンズンと進んでいく。
「まずは総務部だ。
ここは経費精算とか備品管理とか、事務的な仕事をやってる部署だな」
「あ、はい……」
説明自体は普通だ。
だが、俺はそれどころではなかった。
すれ違う男性社員たちが、明らかに俺と野獣先輩を交互に見ながら、
何かを言いたげな顔をしている。
一体、何なんだ……?
俺の初出勤、どうやら前途多難らしい。