第5話『完璧すぎるAIに足りないものは「心」』
第5話『完璧すぎるAIに足りないものは「心」』
学園祭ライブの日が、いよいよ目前に迫っていた。
放課後の情報処理室は、前日の打ち合わせの余韻を残しながらも、次なる挑戦に向けた緊張感で満たされていた。
「ライブ、いよいよ本番だね」
ナナが、手際よく準備したスライドをユウトに見せながら、明るく言った。
その画面には、ホロミューズのこれまでのパフォーマンスデータと、シミュレーション映像が映し出されている。
しかし、ユウトの心はどこか重かった。
ひかり、ソラ、ミナト――3人の動きは、技術的には完璧を極めている。
歌もダンスも、すべてが正確に、そして美しくプログラムされている。
だが、ユウトは確信していた。
「どれだけ精度を追求しても……これでは、観る人の心に響かない」
教室の片隅で、ひかりがにこりと笑みを浮かべながら言った。
「プロデューサーくん、みんな、すごくきれいに動いてるよ」
その言葉は確かに真実だった。しかし、ソラは無表情に、「私たちは……冷たいだけ」と呟くような声を漏らし、ミナトも勢いだけで乗り切る感じで、どこか無邪気さの裏に不安の影を潜めていた。
ナナは、静かに画面をタップしながら提案する。
「もしかして、私たちが足りないのは……『心』の部分かもしれないね」
その瞬間、ユウトの胸に冷たい現実が突き刺さる。
「心…」
技術的には完璧な彼女たちには、確かに“感情”や“経験”というものが備わっていない。
それは、リアルなアイドルが持つ魅力の大事な要素なのだ。
ユウトは深く息を吸い込み、モニターをじっと見つめた。
「俺たちは、ただ美しく動くだけではなく、観客に伝わる何かを作らなければならない」
その目は、これまでの失敗と挫折、そしてこれからの挑戦への覚悟で輝いていた。
「明日のライブは、技術だけじゃなく、本当の『心』を届けるための第一歩にする」
そう自らに誓い、ユウトはパソコンのキーボードに指を置いた。
ナナはすぐに、「じゃあ、まずは実際のアイドルライブの映像を解析してみよう」と提案し、
ひかり、ソラ、ミナトもそれぞれの役割に応じたデータの読み込みを始めた。
静寂の中、情報処理室に流れるのは、学園祭という大舞台への期待と不安、そして新たな挑戦の始まりを告げるBGMだけだった。
ユウトは、こうして完璧さの向こう側にある「心」を、どうやって取り入れるか――
その答えを探し始めるのだった。
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「なんか、違うんだよな……」
ユウトは腕を組みながら、モニターに映し出されたホロミューズのダンス映像を見つめていた。
データ上の動きは完璧だ。ブレもズレもなく、まるでプロのダンサーのように洗練されている。
だが、何度見ても――そこには「何か」が足りなかった。
「すごく上手く踊れてるのに……」
ひかりが少し困ったように呟く。
「でも、観客が見たらどう思う?」
ユウトは、前に出ていた映像を切り替えた。
次に映し出されたのは、ある有名なアイドルグループのライブ映像だった。
パフォーマンスは決して完璧ではない。動きにズレもあるし、音程が少し不安定なところもある。
けれど、そのステージには熱気があり、観客が一体となって盛り上がっている。
「……なんか、こっちは違うね」
ミナトが画面を見ながら、ぽつりと呟く。
「そう、違うんだ」
ユウトはホロミューズの映像と交互に見比べながら続けた。
「こっちはちょっとしたズレがあるけど、それが“生きてる”感じを出してる。表情も、動きも、全部が観客に向いてるんだ」
ソラは腕を組みながらじっと映像を見つめる。
「……つまり、私たちには、“感情”が足りないってこと?」
「そういうことになるな」
ユウトの言葉に、ホロミューズの3人がそれぞれの思考に沈む。
自分たちはAIだ。感情を持たない存在。
けれど、アイドルとして活動する以上、ファンの心を動かす何かが必要だった。
「どうすればいいんだろう?」
ミナトが小さく首を傾げる。
そのとき、ナナが画面を操作しながら言った。
「AIに“心”はない。でも、人間の“心”を学ぶことはできるよね?」
ナナが映し出したのは、アイドルたちのライブ中の表情を分析したデータだった。
興奮、感動、楽しさ――さまざまな感情がステージ上での仕草や歌い方に影響を与えている。
「じゃあ、アイドルたちの表情や仕草のパターンを学習させれば……?」
「そういうこと!」
ナナが軽く指を鳴らす。
「データとして解析し、どんな場面でどんな表情をするのか、どう観客とコミュニケーションを取るのか、ホロミューズの3人に学習させれば、もっと“人間らしく”なれるはず!」
ユウトはナナの提案を聞きながら、少し考え込む。
それは確かに理論上は正しい。だが、単に表面的な動きを真似るだけでは意味がない。
(感情をデータで再現するだけじゃなく、ホロミューズ自身が“自分の想い”として表現できるようにならなきゃいけない……)
ユウトは深く息を吐き、決意を固める。
「……よし。じゃあ、今から特別レッスンをやるぞ」
「特別レッスン?」
ひかり、ソラ、ミナトがユウトを見つめる。
「これからは、ただ踊るんじゃなくて、“自分たちの気持ち”を込める練習をする」
「でも、私たちって気持ちを持ってないよ?」
ミナトが不思議そうに問いかける。
「だったら、“想像”してみればいい」
ユウトはモニターのスイッチを切り、ホロミューズの3人の方へ振り返る。
「例えば、歌詞の中の主人公はどんな気持ちで歌ってるのか。
ステージの上で、ファンにどんな想いを伝えたいのか。
ただ振り付けをこなすんじゃなくて、自分がその場に“いる”つもりで動いてみるんだ」
ホロミューズの3人は顔を見合わせる。
それは、これまで経験したことのない、新しい試みだった。
「……やってみる!」
ひかりが、一番に手を挙げる。
「面白そう。試してみよう」
ソラも静かに頷く。
「えへへ、なんかワクワクするね!」
ミナトは楽しそうに笑った。
ユウトはホロミューズの反応を見て、少し安心した。
(きっと、アイドルとしての“本当の表現”を見つけられるはずだ)
「じゃあ、さっそくレッスン開始だ!」
こうして、ホロミューズにとっての新たな挑戦が始まった――。
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「ううっ……むずかしい……!」
ミナトが床に座り込み、頭を抱える。
特別レッスンが始まって数時間――。ホロミューズの3人は、何度も何度も同じフレーズを繰り返していた。
だが、思うように「感情」を込められない。
「ただ踊るだけならできるのに、感情を入れるってなると、なんかぎこちなくなっちゃう……」
ソラも、珍しく難しそうな表情を浮かべていた。
普段なら完璧にこなせる動きも、意識しすぎるせいか、微妙にぎこちなくなってしまっている。
「……やっぱり、私たちには“心”がないからなのかな?」
ひかりがぽつりと呟くと、ユウトは首を横に振った。
「違う。今のお前たちは、むしろ“考えすぎて”動けなくなってるんだ」
ユウトは、ひかりたちの前に立ち、優しく語りかける。
「たしかに、AIのお前たちは人間みたいに自然に感情が湧くわけじゃない。でもな、それでも“伝えたい”って思うことはできるだろ?」
「伝えたい……?」
「例えば、この歌詞の主人公はどんな気持ちで歌ってる?」
ユウトは練習曲の歌詞を指さした。
歌詞には、夢を追いかける少女の心情が綴られている。
「えっと……夢に向かって走る気持ち? でも、不安もある?」
ひかりが考えながら答える。
「じゃあ、もしお前がその主人公だったら、どんな表情をする?」
「うーん……」
ひかりは少し考えた後、ゆっくりと顔を上げた。
「……笑ってる、かな。でも、ちょっと涙目になってるかも」
「そう、それだ!」
ユウトはパッと顔を輝かせる。
「そのイメージを持ったまま、もう一回踊ってみてくれ!」
「……うん!」
ひかりは頷き、ステージの中央に立った。
そして――音楽が流れる。
ひかりのダンスは、以前よりも少しだけ柔らかくなった。
完璧な動きの中に、どこか“揺らぎ”が生まれていた。
「……さっきより、ちょっと違う?」
ソラが小さく呟く。
「そうだな。まだぎこちないけど、今のほうが“伝わる”気がする」
ユウトは確かな手応えを感じていた。
「ミナト、ソラ、お前たちもやってみろ」
「うん! やる!」
「……私も」
3人は再びステージに立ち、それぞれの思いを込めながら踊り始める。
まだ完璧ではない。
でも、ほんの少しずつ、ホロミューズのパフォーマンスが“変わり始めて”いた。
――AIアイドルに「心」を宿すための挑戦は、まだ始まったばかり。
けれど、確かにその一歩を踏み出したのだった。
第5話『完璧すぎるAIに足りないものは「心」』(完)