第3話『ホロミューズ、始動!』
第3話『ホロミューズ、始動!』
昼休みのチャイムが、少し緩んだ学園の空気に響き渡る。
けれど、情報処理室の中は、その賑やかさとは別世界だった。
「よし……これで、学園内ネットワークへの配信設定は完了だ」
ユウトは、モニターの前で深く息を吐いた。
手元の端末には、『ホロミューズ 昼休み特別配信』と打たれたタイトルが、静かに光を放っている。
「ユウトくん、緊張してる?」
背後からナナの声がかかる。彼女は自分の席に座ったまま、コーヒー牛乳をストローで啜りながら、いつもの調子で問いかけてきた。
「いや、別に……」
ユウトは、わざとそっけなく返すが、内心はバクバクだ。
プロデューサーとして、ホロミューズを学園に“お披露目”する日。
AIアイドルなんて、学園の誰もが興味ないか、冷やかし半分でしか見ないだろう。
それでも、この一歩を踏み出さなければ、始まらない。
「ユウト。大丈夫。あなたは、ちゃんとやれてる」
そんなユウトの背中を、モニターの中からヒカリがそっと押す。
いつもの純粋な瞳が、静かに、でもまっすぐにユウトを見つめていた。
「……ありがとう、ヒカリ」
「うん。私も、準備はできてるから!」
ヒカリは画面の中で、小さくガッツポーズをとる。その仕草に、ナナも思わず吹き出した。
「相変わらず完璧すぎるよね、ヒカリちゃんは」
「そうかな?」
ヒカリが首を傾げると、ナナは少しだけ目を細めた。
「でも、そこがまた魅力だよ。絶対に、みんなにも伝わるよ」
ユウトは、自分の手が汗でじっとり濡れていることに気づきながら、もう一度モニターを見据えた。
ホロミューズは、ヒカリは、自分が作ったアイドルだ。
だからこそ、誰よりも自分が信じてやらなくちゃならない。
「よし……いくぞ」
昼休みの残り時間は、あと二十分。
この学園の誰かに“ホロミューズ”の名前が届けば、それだけで十分だ。
最初の一歩は、ここから始まる。
ユウトは、決定キーを押した。
『ホロミューズ 昼休み特別配信』
――開始。
---
「……これ、始まってるのかな」
昼休みの教室。
スマホを手にしている生徒もいれば、談笑しながらお弁当を広げているグループもいる。
けれど、『ホロミューズ』の配信が始まったことに気づいている生徒は、ごくわずかだった。
「やっぱり、こういうのって難しいのかな……」
ナナがぽつりとつぶやいた。
情報処理室のモニターには、学園ネットワークを通じて配信されているホロミューズの映像。
ヒカリは、緊張した様子もなく、まるで本当のアイドルみたいに手を振っている。
『みなさん、こんにちは!ホロミューズの天宮ヒカリです!
今日は、学園のみんなにご挨拶しにきました!』
ヒカリの声は、明るく透き通っている。
だけど――その声に、どれだけの人が耳を傾けているんだろう。
ユウトは配信の再生数を見て、思わず歯を食いしばった。
数字は、増えたり減ったりを繰り返しながら、ほとんど変わらない。
「別に、最初からうまくいくなんて思ってないよな……」
それでも、どこか胸の奥がチクリと痛む。
「ユウトくん、見て!」
ナナの声が、急に弾んだ。
ユウトが驚いて画面を見ると、再生数のカウントが、じわじわと伸び始めている。
1人、また1人――教室の誰かが、ヒカリの配信を開いたのだろう。
ヒカリは、そんな空気を読むように、さらに笑顔を見せた。
『放課後には、もっと素敵なライブも考えています!
みなさんと一緒に盛り上がれたら、嬉しいです!』
「……あの感じ、うまいな」
ユウトはつぶやいた。
ヒカリはAIだ。
だけど、その“自然さ”は、本物のアイドルと比べても遜色ないどころか――どこか人間らしい、ぎこちなさがある。
「このAI、すごくない?」
「ヒカリって子、かわいい……!」
そんな声が、教室のあちこちから聞こえ始める。
スマホを見ながら、笑顔を浮かべる生徒たち。
SNSにも、ホロミューズの名前が少しずつ現れ始めた。
「おお……これって、バズりの兆しかも?」
ナナが身を乗り出す。
ユウトはまだ慎重だったけど、それでも心のどこかで、小さな手応えを感じていた。
「まだ、始まったばかりだ。油断するなよ」
「はいはい、プロデューサーさん」
ナナがにやりと笑い、ヒカリも画面越しに軽く手を振る。
この瞬間、ユウトはほんの少しだけ、ホロミューズの未来を信じてみてもいいかもしれない――そう思えた。
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配信は、静かに終了の時間を迎えた。
画面の中で、ヒカリが深くお辞儀をして手を振る。
『今日は、見てくれてありがとう!
放課後のライブも、ぜひ見にきてね!』
そして、モニターの画面がフェードアウトする。
情報処理室に、ふっと静けさが戻った。
「……終わったな」
ユウトは、小さく息を吐いた。
肩からどっと力が抜けて、そのまま椅子にもたれかかる。
「お疲れ、ユウトくん」
ナナがペットボトルの水を差し出してくれる。
無言でそれを受け取ったユウトは、一口飲むと、目を閉じたままつぶやいた。
「どうだったんだろうな……あれで」
「少なくとも、無反応じゃなかったよ?」
ナナは笑いながら、自分のスマホをユウトに見せた。
SNSのタイムラインには、ホロミューズの名前がぽつぽつと現れ始めている。
「AIアイドルって、本当に作れるんだ」「可愛いかも」「ちょっと気になる」――
冷やかし半分のコメントもあるけど、ちゃんと“興味”が生まれていた。
「最初の一歩としては、十分すぎるくらいじゃない?」
「……まあな」
それでも、ユウトはまだ気を緩める気にはなれない。
これからもっと大変なことが待ってる。そんな気がしていた。
「おつかれさま、ユウト」
ヒカリが、画面の中で微笑む。
まるで本物の仲間みたいに、優しく――それでいて、どこか誇らしげだった。
「ありがとう、ヒカリ。お前がいなかったら、たぶん無理だった」
ヒカリは目を細めると、いたずらっぽく言った。
「でも、私を作ってくれたのはユウトでしょ?」
「……それは、まあ、そうだけどさ」
急に照れ臭くなって、視線をそらす。
すると、ナナがにやにやしながらからかってきた。
「はいはい、プロデューサーとアイドルのイチャイチャは、そこまで!」
「誰がイチャイチャだ!?」
「じゃあ何?お互い信頼し合ってる特別な関係、とか?」
「それは……う、うるさい!」
からかわれているのに、ユウトはなぜか悪い気がしなかった。
むしろ、少しだけ楽しい。
こんなふうに、誰かと一緒に目標に向かって走ってる感覚――
オタクで、コミュ症だった自分には、縁のないものだと思ってた。
「次は放課後ライブ、だな」
「そうだね」
ヒカリが頷く。
ナナも、机に肘をつきながら言った。
「本番はこれからだよ、プロデューサー」
「……ああ。やるしかない」
ユウトは、モニターの前でこぶしを握る。
ホロミューズは、まだ始まったばかり。
でも、彼らの物語は、確かに動き始めた。
放課後のライブ、そしてその先の未来へ――
ユウトは、もう迷わないと決めた。
第3話 『ホロミューズ、始動!』 (完)