07.追われるレガルス
「ここ数ヶ月くらいかねぇ。湖の周辺に何かいるんじゃないかって、噂になってるのよ」
ある程度予想はしていたが、やはり竜の声が噂になってしまっているようだ。
ハンターや好奇心旺盛な物好きが来るくらいだから、この話はレガルスが想像している以上に広がっていると思われる。
「ああ、それ。竜じゃないかって言ってる人がいるみたいよ」
別のおばさんも話に加わる。
「何かって聞いたけど、竜なのかい? 竜ってもっとおどろおどろしい所か、神秘的な所にいるもんじゃないのかねぇ」
「竜にだって変わり者がいるんだよ。だから、こんな田舎に来たんじゃないかい?」
「こんな所へ、何しに来たんだろうねぇ」
おばさん同士で話が盛り上がる。
「どうなんだい、お兄ちゃん。あんた、何か見たかい?」
見たも何も、それはレガルス本人。でも、そんなことは話せない。
「俺は何も。湖の周辺は森ですからね。獣くらい、いますよ。俺は見たことないですけど」
「だけど、声は聞くだろ?」
「ええ、まあ。でも、街の人が言う声と、俺がいつも聞く声が同じかはわからないですし」
さりげなく「そんな獣の声なんて日常だ」と暗ににおわせておく。これ以上、噂を広げられてはたまらない。
「まぁ、そんなものかねぇ」
確証があるでもなし、自分が実際に声を聞いたのでもない。
近くに住んでいるレガルスが「知らない」と言えば「そうなのか」とおばさん達は思うしかなかった。
それに、突っ込んであれこれ聞く程には、そんなに興味もないのだ。自分達が安全なら、それでいいから。雑談のネタの一つ程度だ。
その場は切り抜けたレガルスだが、その後も街へ行くと噂は消えていない様子だった。半月以上経って、湖まで来る人はいなくなっても、街での噂だけは生きているらしい。
そんな噂に不安を覚えながらも、表面上は静かな生活を送る。
気が付けば、十月。そして、また満月の夜が来た。
身体の中が熱くなる。何かが爆発しそうな感覚。この感じも、もう五度目だ。時間も予測通り、六時。
レガルスはすでに、家から離れた所で待機していた。ただし、今までのように叫んでも声が出ないよう、口に布を突っ込んでいる。
また叫び声が響けば、あのハンター達や街の怖い物知らずな人間が押し寄せるだろう。今度はあきらめずに、竜が現れるまで帰らないかも知れない。
それで、次の満月の日にレガルスが竜になったら……見付かれば、殺される。
ハンター達が持っていた剣を思い出すと、レガルスは背筋が寒くなった。何もしていないのに殺されるなんて、絶対にごめんだ。
しかし、身体の中が爆発しそうな苦しさに、どうしても声を出さずにはいられない。その声が、自分の命を縮めてしまうのに。
満月の夜までにレガルスはどうすればいいかを考え、少しでも周囲に響かないようにと布を口に突っ込むことにしたのだ。
さらに、自分の手の甲を噛むようにして、口を押さえる。姿が人間だろうが竜だろうが、こうすることで、かなり声が抑えられるはずだ。
竜になるのはともかく……いや、それも困るけど、この身体が熱くなるのがなくなってくれれば、まだ状況はましなのに。だいたい、いつまでこんなことが続くんだよ。
泣きたい気分になりながら、レガルスは声を抑えようとした。
いつもよりは、叫び声もましだった……かも知れない。だが、竜の身体は人間の時より大きい。その分、声も大きくなる。
さらに言えば、竜になって大きくなった口に、人間の時に突っ込んだ布の量なんて微々たるものだ。
つまり、ほとんど無駄な抵抗だった。出てしまった自分の声に、レガルスは焦りまくる。
ど、どうしよう。今の声、絶対に聞こえたよな。あのハンター達が絶対に来る。あ、よく考えたら、魔法使いに自分が竜になってしまうってこと、話してたんだ。
今頃になって、竜になってしまうので何とかしてくれ、と魔法使いのバレモザに相談しに行っていたことを思い出した。
しかも、レガルスは自分の名前を告げている。どこに住んでいるかは詳しく話していないが、湖のそばで魔女に会って……といった話をしてしまったような。いや、した。状況説明のために。
あの魔法使いの口は、軽いだろうか。聞いた話をペラペラと周囲に話していたら、それをハンター達が聞いているかも知れない。
ただ、あの魔法使いを周りの人達が信用するかは、何とも微妙なところだ。
それ以前に、そういう会話をする相手が、あの魔法使いにいるとは思えない。あんな性格の悪さだと、人付き合いはよくないだろう。バレモザのことを教えてくれた人達も、あまりいい顔はしなかったから。
ただ、今回は目撃者がいて、数はわからないが声も聞かれている。バレモザが誰かに話していたら、一致するのでは、と考えた人間がやって来る可能性は十分にある。
今夜はここでぼんやり座っていたら、絶対に見付かるよな。
「おいっ、あれは竜じゃないのか」
いきなり見付かったーっ!
その声に振り返ると、この前ここへ来たハンター達だ。
今の姿とレガルス本人が結びつくとは思えないが、何か関係があるのでは、と思われないようにしなければ。人間に戻った時に、捕まえられてしまう。
それ以前に、今の時点で逃げなければ捕まえられてしまう。
弓を持ったハンターが、こちらに矢をつがえているのが見えた。剣を持ったハンター達は、その剣を鞘から抜く。
本当に殺すつもりだ。俺、声をあげただけで、何もしてないのにっ。
抗議したいところだが、竜の身体になると人間の言葉は出ない。いや、出たとしてもこちらの話を聞くつもりなど、ハンターにはないだろう。
彼らは「人間に害をなそうとする竜」を退治する気まんまんだ。首尾よく退治できれば名前も上がるし、今後の仕事の報酬もよくなる。
もしくは、竜の身体から得られる皮や角などを売りさばいて、金にするつもりなのだ。
とにかく、逃げるっ。
レガルスは、森へ向かって走り出した。
「逃げたぞっ」
そりゃ、逃げるよ。そっちが武器を振りかざしてるんだからっ。
すぐそばを矢がかすめ、前方の木に刺さった。かろうじて当たらなかったが、一気に血の気が引く。人間なら、真っ青になっているはず。
うわっ、本当に矢が飛んで来た。追われる獣って、こんな気持ちで逃げてるのか。
森の木々が邪魔をするので、ハンターもすぐ攻撃には出られない。だが、レガルスの方でも竜の身体で走ることには慣れていないので、追い付かれるのも時間の問題だ。
冗談じゃない。こんな状況で殺されてたまるか。
レガルスは必死に脚を動かした。自分の足ならもっと速く走れるが、竜の脚では一歩の幅は広いものの、身体が大きいので重くなる分、速さに欠ける。
人間と竜では、どちらが速いのだろう。どれだけ差があるのか確かめたいが、そうすることでスピードが落ち、追い付かれたら最悪の結果になる。
そうだ。上へ逃げれば。
レガルスは背中にある、身体に対して小ぶりな翼を動かした。先月は木の上まで浮いたから、少なくとも剣の攻撃からは身を守れる。
弓はわからないが、枝葉が邪魔をしてしっかり狙えない……と思いたい。
必死に翼を動かしたおかげで、先月より早く木の上まで浮かぶことができた。
下から「逃がすなっ」という声が聞こえる。だが、木の上まではよく見えないようだ。
暗いこともあり、夜目が利かない人間にはなおさらわかりづらいはずだ。飛ぶところも、見えたかどうか。
一方のレガルスは、これまで意識したことはなかったが、暗くても人間の時よりはある程度周囲が見えている。暗さがあまり気にならないのだ。
もっとも、今は森の木々の上にいるので、視界に入るのは森の木ばかりだ。
殺されそうという危機感からか、先月よりはうまく浮いている。意識すると、その方向へ動いた。どうやら少しは「飛ぶ」ことができるようになったらしい。
先月のうちに練習しておいてよかったー。だけど、どこへ逃げれば……。それに、いつまで飛んでいられるかもわからないし。
遠くへ逃げることは、まず無理。そう長い時間は飛べない。今より高く飛んだところで、姿を隠してくれるものがないから、逆に見付かりやすくなってしまう。
周囲を見回したレガルスの目に、満月に照らされた湖が映った。
あそこへ逃げよう。
レガルスは、ハンターがいるであろう位置からもう少し離れ、そこから湖へと向かう。
ハンター達は、レガルスが飛んだところを見ただろうか。見ていなければ「竜は森のどこかへ逃げた」と考えるはずだ。
木の葉がもっと落ちていれば、飛んでいる影がどちらの方向へ飛んだか見えただろうが、十月の今はまだしっかりと枝に葉が残っている。レガルスがどこにいるかはわからない……はず、だと思いたい。
人間の彼らは飛ぶことができないので、どの方向へ行くにしても森の中を自分の足で歩くしかないのだ。ハンター達がそうしている間に、レガルスは森に囲まれた湖の中へ身を潜めようと考えた。
竜の身体が水中で呼吸できるかは試したことがないが、身体は水中に沈めて前に伸びている鼻を外に出しておけばやりすごせる。
この湖は中央がかなり深いので、この身体でも隠れられるだろう。
朝まで水の中、というのはいただけないが、命には代えられない。