04.頼む相手
朝になると、やはりレガルスは人間に戻った。
三回目ともなると、少し状況に慣れてくる。とは言っても、本当なら泣き叫びたいし、走り回りたいし、何かに八つ当たりの一つもしたい。
だが、そんなことをしたって、自分の身体に変化は起きない。魔力のない人間が何かしたいと思ったところで、どうしようもないのだ。
それより、現実にどうするかを真剣に考えなくては。
レガルスは冷静にこの状況を観察し、自分のわかる範囲で竜の身体になってしまう条件を絞ってみることにした。
まず、竜になるのは夕方。魔女にあの粒を飲まされた時と同じくらいの時間に、姿が変わってしまうようだ。
季節が移り、最初の時よりも陽が長くなっているので正確ではないが、だいたい六時頃、だろう。
いつも急に身体が熱くなるので、時計を見る余裕がない。次に……なってほしくはないが、なった時は時計をしっかり見られるようにしなければ。
戻るのは、朝。これもちゃんと時計を見て確認していないから正確には言えないが、六時から七時くらいか。
だとすると、竜になっている時間はおよそ半日。十二時間前後だと思われる。
次に、どれくらいの間隔で竜になるのか、を考えた。
暦を見る限り、同じ日ではない。それに、だいたい一ヶ月毎のように思われるが、まるまる一ヶ月は経っていないようだ。
あれこれ考えるうち、湖面に映る満月が頭に浮かぶ。竜になった時、いつもその満月を眺めていた。
「つまり、満月の夜から次の朝までが竜の時間ってことか。魔女は最初の時だけで、あとはずっと来てない。竜の俺を見ても不満そうな顔だったし、俺の所へ来た理由はわからないけど、今は完全に興味なしって考えてもいいか」
だとすれば、ここへはもう来ない。この状態を何とかしてくれ、と頼むことはできないのだ。
もちろん、どこにいるかなんてレガルスには知る術もないので、押しかけることも不可能。できたとしても、頼んで相手が聞いてくれるかどうかだ。
かと言って、魔法などできないレガルスが竜の身体をどうこうするなど、問題外。
「だとしたら、魔法使いに頼むしかないか。できるのかな」
これは人外の力だ、人間の魔法使いにどうこうできるのか。
しかし、レガルスにはそれ以外に頼る相手がいない。
もっとも、レガルスには魔法使いの知り合いなどいなかった。普通の知り合いさえ、あまりいないのだ。
「街にいる魔法使いに頼んでみるか。……高いのかなぁ」
こういう依頼をすれば、どれくらいの料金になるのか。今まで魔法使いと会話すらしたことのないレガルスには、予測不可能だ。
でも、魔法という特殊技術を使ってくれと頼むのだから、安くはないはず。湖の魚を売って、細々と暮らしている少年に払える金額ではないだろう。
とは言うものの、ことはレガルスの一生に関わるのだ。
分割にしてもらうとか、いっそ街へ出てもう少し稼ぎのいい仕事を探すなりして払わなければ。あきらめる訳にはいかない。
一般的に考えて、レガルスの人生はこの先長いのだ。
レガルスは腹をくくると、いつも魚を売りに行くネアトーンの街へ向かった。
☆☆☆
ネアトーンの街は、そんなに大きな街ではない。レガルスは他の街を知らないので比べようもないのだが、それはともかく。
この街には魔法使いがいる、と聞いたような気がする。……気がする、なので、いたとしても一人だけかも知れない。
もしその魔法使いが「この術は解けない」と言えば……別の街にいる魔法使いを紹介してもらうなりしてもらえばいい。一人目や二人目がダメでも、何人かにあたれば解いてくれる人がいるはず。
それができる魔法使いが別の街にいるのなら、足を伸ばすしかない。
レガルスは期待と不安を抱きながら、ネアトーンの街に着いた。
最初に見掛けたおばさんに、レガルスは声をかけてみる。
これまで何度もこの街へは来ているが、そのおばさんを見たことはなかった。
そんなに大きな街ではない、と言っても、人はそれなりに多いのだ。レガルスが覚えてないのも仕方がない。
だが、どう見ても普段着だから、この街に住んでいる人だろう。魚を買ってくれる顔見知りの人達でもいいが、今は魔法使いの有無を聞くだけだから、誰でもよかった。
「あの、ちょっとお尋ねしたいんですが」
「何だい、お兄ちゃん」
「この街に、魔法使いはいますか?」
自分の母親が生きていればこれくらいかな、と思える年齢の女性。レガルスの顔を見て笑顔で対応してくれたが、魔法使いという言葉を聞いて表情を曇らせた。
「魔法使い? まぁ、いるにはいるけどねぇ」
ため息が出てきそうな表情を見る限り、あまりいい話が聞けるとは思えない。
だが、他の話ならともかく、竜に変わってしまうこの身体をどうにかしてもらわなければならないのだ。教えてもらわなければ。
「大した腕じゃないって噂よ。そのくせ、偉そうにするらしいし」
自分の能力を棚に上げて大きい態度に出る人間なんて、魔法使いに限らず存在するもの。そこは目をつぶるしかない。
「そう、ですか。でも、魔法使いに会いたいので、教えてもらえませんか」
おかしなことを言い出したら、さっさと逃げた方がいいわよ、などと言いながら、おばさんは魔法使いがいる場所を教えてくれた。
レガルスがこの街へ入って来る時は、いつも東にある門を使う。つまり、ここは東エリア。魔法使いは西にある門の近く、西エリアにいるそうだ。
街を横断する形になるが、仕方がない。そんなに広い街ではないことが救いだ。
西エリアに来てから詳しい場所を二度尋ねたが、誰もがあのおばさんのように表情を曇らせる。
レガルスはかなり不安になったが、ためらってばかりもいられない。
ようやく着いた魔法使いの家の外観は、レガルスの粗末な小屋を少しきれいにした程度のものに見えた。この周辺は裏町、という訳ではないので、周辺の家はもう少しまともなのだが。
大した腕じゃないっておばさんが話してたし、それで魔法使いへの依頼が少ないのかも。大丈夫かな。
レガルスはこれまでの何倍も不安に思いながら、魔法使いの家の扉を叩いた。壊れそうな気がしたので、優しく。
「誰だ」
扉が開いて現れたのは、五十代後半であろう男性だ。
八割以上白くなった肩までの髪を全て後ろになでつけ、レガルスより背の低い身体は力仕事とは無縁の貧弱さ。魔法使いっぽく黒いローブをまとっているが、全体的にほこりだらけで灰色に見える。洗ってないのだろうか。
つり気味の細い目は、少し濁った黒。その目は、遠慮なくレガルスに向けられている。
「あ、あの、魔法使いのバレモザさん、ですか?」
街の人達に聞いた名前を出してみる。
「そうだ。お前は?」
明らかに年下だとわかる相手とは言え、初対面でずいぶんな応対だ。
「レガルスと言います」
相手の言い方にむっとしたが顔には出さず、レガルスは答えた。
「で?」
「え?」
「何の用だ」
あまりに横柄な態度と口調にレガルスは帰りたくなったが、ここで帰る訳にはいかない。
「その……魔法使いに頼みたいことがあって」
レガルスが言うと、バレモザは家の中へ入る。
「あ、あの」
「話があるなら、中へ入って来い」
一応、話を聞いてくれるようだ。
周りからあまりいいように見られてないけど、実はこういう人に限ってすごい力を持ってる、とかもありだよな。
自分に言い聞かせ、レガルスは中へ入った。
「うっ……」
くっさ。
中はレガルスの小屋と同じく、一部屋しかない。端には汚いベッドがあり、その上に汚いシーツが丸まっている。
中央のやや傾いたテーブルには、倒れた酒瓶と何か食べ物が載っていたのであろう食器が放ったまま。その横にあるイスは、脚の長さが違うのか、テーブルよりさらに傾いている。
きっと、長年掃除はされてない。ほこりっぽさと酒臭さが混じり、部屋の中はとにかく臭かった。
バレモザが一人暮らしかは知らないが……いや、この状態で妻や同居人と呼ばれる存在があるなら、もう少しましな部屋のはず。同じ男の一人暮らしでも、レガルスはもう少しきれいにしている。
「で、話ってのは?」
倒れた酒瓶を持つと顔の上で逆さにし、一滴でも落ちないかと振っているが、瓶からは何も出てこない。
バレモザは小さく舌打ちしてから傾いたイスに座り、レガルスに視線を移した。こういう部屋なので、もちろんレガルスに座る場所などない。
「あの……魔女におかしな粒を飲まされて」
「は? 魔女だぁ?」
レガルスは、自分が会った少女のことを説明した。もちろん、自分が竜になってしまうことも。
魔法使いが相手だから、話せることだ。こんなこと、普通の人には話せない。バカにされるのがオチだ。
「お前、何をつまらねぇ作り話をしてるんだ」
……バカにするのは、普通の人だけではなかった。
「作り話なんかじゃ」
竜や魔法使いの話を魔法使いにして、頭から否定されるとは思わなかった。
「魔女が人間に何かしてそれっきりなんて、ありえねぇ。何のためにそんなことをしたってんだ」
「そんなこと、俺が聞きたいですよっ」
レガルスだって、教えてもらいたい。あの少女は何がしたかったのだ、と。
「魔女に何か飲まされて、竜になった。でも、次の朝には戻る。何だ、その中途半端。竜だろうが何だろうが、なったらなったままだぞ。魔女の仕業だってんなら、ひやかしもいいところだ。どんだけヒマな魔女なんだよ。魔女の呪いが聞いてあきれらぁ」