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01.突然現れた少女

 六月も半ばを過ぎて、陽もかなり長くなってきた。それにつれ、吹く風の温度もずいぶん上がってきたように思える。

 だが、夕暮れ時にカロ湖から吹く風は、昼間よりも少し涼しいので気持ちがいい。汗ばんだ身体を、優しく冷やしてくれる。

「さてと……舟の手入れはこれでいいか」

 満足そうに、レガルスはつぶやいた。

 レガルスはカロ湖の魚や貝を捕り、近くの村や街で売ることで生計を立てている。

 森の木々に囲まれたカロ湖はその広く深い水の中の恵みを、一人暮らしをしている十六歳の少年に与えてくれていた。

 今は夕方。時間にして、六時前くらいだろうか。空の色が赤みの強いオレンジから、次第に紫へと変わりつつある頃。

 この日、レガルスは魚を捕る網が少し傷んでいたのでそれを補修し、舟の手入れも一緒にしていた。

 それも終わり、湖の近くにある家へ帰るべく、荷物を持とうとした時。

 レガルスはふと気配を感じて、振り返った。

「え……誰?」

 レガルスの後ろに、少女が一人立っていた。いつの間に来たのか、わからない。さっきまではいなかったはず。足音などはしなかったような。

 見た感じだと、十代後半だろうか。レガルスより少し年上に思える。もしくは、同じ歳でも大人びて見える、とかだろうか。

 ふんわりした金色の髪は腰辺りまで伸び、色白できゃしゃだが身長はレガルスとあまり変わらない。女性としては高い方だ。

 薄いピンク色の、シンプルな長袖ワンピースを着ている。

 そこまでなら「ちょっと背の高い女の子が、じき夜になろうかという時間に一人で湖へ来た」というだけ。

 まさかこんな時間に泳ぎに来た、なんてことはないだろうし、そうなると他に湖へ来る用事なんて思いつかない。この状況を「だけ」というのも少々語弊があるが、とにかくそれだけの話。

 まさか……この子、魔女?

 レガルスがそう思ったのは、少女の目を見たからだ。

 彼女は、少し濃いめの紫色の瞳をしている。大きな目で、普通なら愛らしいと思えるだろう。

 だが、彼女には白目がほとんどない。そのせいで、形や大きさだけならかわいいはずの目が、ひどく異様に見えた。

 こういう目の人間が、実はこの世にたくさんいるのだ、ということをレガルスが知らないだけ……だろうか。

 レガルスは魚を売りに行くため、決まった村や街しか行ったことがない。なので、そういった知識に乏しいのだ。たまたま、今までこんな目の人間に会ったことがなかっただけ、ということもある。

 でも……やっぱり人間じゃない気がする。普通とは思えないし。

 レガルスは、話でしか魔女のことは知らない。これまでに会ったことはもちろんないし、どういう姿なのかも聞いたことはなかった。

 魔女と言うからには女性なのだろうが、それがこんなに人間と変わらないものなのか。目だけが人間離れしているものなのか。こんなかわいいワンピースを着ているものなのか。

 情報がないので、判断できない。

「銀の髪に、濃い青の瞳……これならいいわね」

「え?」

 魔女……かどうかわからない少女は、レガルスを見詰めながらそうつぶやいた。

 レガルスは彼女が言うように、プラチナブロンドの髪に濃い青の瞳をしている。胸まである真っ直ぐな髪は邪魔にならないよう、仕事中は後ろで軽く束ねていた。

 レガルスの名前や、特にこれという特徴のない顔、細いが筋肉質な体型。

 そんなものより、どうやら少女にとってはレガルスの髪と瞳の色が重要らしい。

「今度はうまくいくかも」

 うまくいく……かも? かもって、何?

 レガルスはそう尋ねようとしたが、質問はできなかった。

 気が付けば少女はすぐそこまで接近していて、呆然としているレガルスの口に何かを入れてきたのだ。逃げる暇もない。

 見えなかったので感覚でしかわからないが、小指の爪よりも小さな粒を入れられた。その後、少女は自分の手でレガルスの口を閉じさせる。

 レガルスは水もないのに、その粒を自分の意思に反して飲み込んでしまった。

 え、どうして……。ここは相手の手を振り払って、口の中のものを吐き出すべきだろ。俺、どうして飲み込んだんだ。

 身体の方は、それが当たり前のように飲み下した。彼女が本当に魔女なら、何かしらの力を使って強引に飲ませることができるのだろう。

 いやな予感が走り、レガルスは遅ればせながらも少女の手を必死に振り払った。案外、あっさりと少女はレガルスから手を離す。

 このまま首を絞められるか、口や鼻をふさがれて死ぬかと思ったレガルスはほっとする。

 だが、安心したのも束の間。

 急に身体の中を、熱いものが駆け巡る。まるで、火のかたまりが走り回っているかのような。

 さらにはその熱いものがふくれ、身体が爆発しそうな感覚。レガルスは自分の身体を抱え、堪えきれずに叫んだ。

 だが、自分の口から出た音は、人間の悲鳴ではない。何か巨大な獣の咆吼のようなものだった。その音に、自分がびっくりする。

 え? 何? 何が起きた?

 叫んだ直後、熱いものは身体のどこにもなくなった。今の感覚がうそのように、きれいさっぱり消えてしまったのだ。

 しかし、自分の身体が自分のものではないような、妙な感覚が広がる。今まで身体に当たっていた風の感覚が、微妙に違った。

 ふと横を見たが、少女の姿がない。代わりに、森の木々の枝葉が目に入る。普通に過ごしていたら、絶対「真横」にあるような景色ではない。これは、見上げる位置に存在するものだ。

 視線を下へ向けると、さっきの少女がいた。彼女はこちらを見上げている。その姿がやけに小さい。

 自分が住む小さな小屋の屋根よりも、さらに高い位置から見ているような、不思議な距離感があった。

 まさか彼女が小人になったのでは、などと思う。少女が魔女なら、身体を小さくするくらい、たぶん簡単なことだろう。

 でも、そういうのとは違う気がした。

 何だろう、この銀色……。

 こちらを見上げる少女の他に、銀色の……うろこのようなものが視界に入る。そのうろこに覆われたものの形は、動物の脚のようにも思えた。

 それがずっと上まで続き、太い腕や胸まで見え……それ以上は首が曲げられなくて確認できない。

 え……まさか、これって……。

 レガルスの全身に、冷や汗がどっと流れた。

 もしかしなくても、この銀色のうろこに覆われているのは自分の身体だ。しかも、形が人間ではない。

 全体像がまだしっかりと把握できないものの、明らかに何かしらの獣だ。

 状況の判断が追い付かず、レガルスが固まっていると、その様子を見ていた少女が不満そうにぽつりとつぶやいた。

「小さい」

 そして、少女はその場からふっと消えてしまった。

☆☆☆

 今日もいい天気だった。動くと、少し汗ばむような気温で。

 いつものように漁をして、網が傷んでいたので直して……家に帰る。

 特に変わったことのない一日をすごし、明日も同じような一日が来るはず、だった。

 これという刺激を、今まで求めたことはないはずなのだが……。

 何が何だか、さっぱりわからない。

 目の前から、確かにさっきまでそばにいたはずの少女が消えてしまった。立ち去っていなくなった、というのではなく、本当にその場からふっと消えたのだ。まるで、煙か湯気のように。

 自分の腕や足や……とにかく、自分で見ることができる範囲に銀のうろこがある。しかも、その身体の形がおかしい。

 レガルスはこれらの状況について行けず、しばらくその場でぼんやりしていた。

 自分の理解が追い付かないと、人間は動けなくなるのだろうか。

 頭の中を整理しようとしても、何をどう処理すればいいのかわからない。どこから考え、解決していけばいいのだろう。

 結局、その場でただ呆然とするしかできなかったのだ。

 気が付くと、湖面に美しい満月が映っている。たしか先月の満月の日は雨だったなぁ……などと思いながら、レガルスは湖面の輝く満月をぼんやり眺めていた。

 夜の湖を見るのは初めてではないが、空と湖にある二つの満月がこんなに美しいものなのかと感心する。

 魚がはねたのか、ぴちゃんという小さな音と、水面のわずかな揺れを見て、レガルスははっとなった。

 どれくらいの時間、こうして呆然としていたのだろう。

 驚きすぎて動けなくなったのと、よくないことが自分に起きたことを察知して現実逃避していた。月の高さから見て、二時間くらいはぼんやりしていたはず。

 こ、こんなことをしてる場合じゃない。確かめないと。

 急に正気に戻ったレガルスは、とりあえず自分の身体がどうなっているかをしっかり確認するため、湖に近付いた。

 こんな暗い中で水に映してもわからないかな、と思ったが、満月の光がしっかりとレガルスの姿を映し出す。

「……」

 言葉もなく、また呆然となってしまったレガルスは、水に映った自分の顔を眺める。叫ぶことすらも忘れて。

 頭の中に「何、これ」という言葉だけが、ずっとぐるぐる回り続ける。

 そこにあるのは、見慣れた自分の顔ではなかった。さっきのことは「ちょっと夢を見ていた」という状況だった……というものを期待したのだが、微塵に打ち砕かれてしまう。

 湖に映ったのは、銀のうろこに覆われた竜の顔だった。

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