ピエトロは刀を置いて、広場を立ち去った。――
ピエトロは刀を置いて、広場を立ち去った。
大尉は楊が止めるのもきかずにピエトロを追い、袋小路に行きついた。そこには赤い板に金文字で〈茶館〉と招牌を掲げた家があった。戸口をくぐると、すぐに下り階段に行き当たり、横には雑誌を手にした大男が座っていて、槐の棒が壁に立てかけてあった。
「二十レラ」
男に二十レラ払って、階段を降りると、札まみれの扉を押し開けた。火屋の汚れたランプ、青磁器のランプ、子豚を模した豆ランプ。綿くずと紙くずが散乱した床。翡翠色の茶を飲む人びとがいた。蓄音機でかけている、気の滅入りそうなピアノ曲が、うつろな目をした男やクスクス笑いが止まらなくなった娘のあいだを流れて、断罪されるような和音をきくたびに、茶を飲む人びとの肩が大きく震えた。
ドアのない、すだれがかかっただけの部屋にピエトロがいた。司祭の写真を壁に立てかけ、死刑囚のように膝を屈して、手を組み、一心に祈禱の文句を唱えていた。茶碗には薄い翡翠の飲み残しが震える灯をひとつ映していた。
楊が追いつき、たずねた。
「お知り合いですか?」
「二年前に一度会っただけだ」
祈祷が終わると、ピエトロは「ああ、中尉さん——」と言いかけ、肩章を見て、「いまは大尉なんですね」と言い直した。
「ええ」
「共和国側ですか?」
「そうです。あちらであるグループとかかわりを持ちまして。古王国を離れることにしたんです。あなたは?」
分かり切っていると思いながらたずね、風邪をこじらせた司祭の死、絶望、生きる目的の消失、禁じられた自殺から、死に場所を求めての義勇軍、将校の寝返りで国王軍から革命軍へ、そして、民衆に殺されるのを目的で志願した斬首刑――分かり切ったこたえを得た。
「このお茶は?」
「きれいな色でしょう? この国の人びとは〈翡翠〉と呼びます。いつもお祈りの前に飲むんですが、そうすると司祭さまを近くに感じられるんです」
「そうですか」
楊が腕を引っぱった。
「行きましょう。大尉」
店の外に出ると、楊は、この茶館はまずいと言った。
「敵にまわしてはいけない男が保護しています」
「麻薬の摂取場所を?」
「保護している人のなかには郭将軍だっているんです」
「なか、ということは他にもいるんだな」
「とにかく帰りましょう。そろそろ本部も気になるころです」
アッリーゴ中尉の家に戻ると、ピエトロのことをきいてみた。
「ああ、テスタ一等兵ですか。覚えていますよ、僕の中隊のなかで一番射撃がうまかった。一緒に降伏したんですよ。本人が言うには死にたいらしいが、まだ生きているんですね」
「首切り人をやっていました」
「しくじると危ない職です。だから、彼はその職にあるんですね。生きているってことは成功したわけですか」
「ええ」
「不幸な男なんですよ。捨て子で拾ってくれた司祭を、それこそ神さま以上に称えているんです。それが死んでしまって、どうしたらいいのか分からないということです。たとえが悪いですが、齢を取って犬を飼うみたいなものですね。残酷です。犬はなくなったご主人のことを探して、困り果てるんですから。齢を取ってから犬を飼うべきじゃありません。犬がかわいそうです」
大尉は翡翠のお茶のことをたずねた。
「ああ、あの茶館ですか。古王国人の兵士のなかにも、あれでイカれるものがいます。ただ、あの茶館は郭将軍が後ろにいます」
「楊の言うには他にも保護者がいるようですね」
「このへんの土地持ちはみなあの茶館の保護者ですよ。できることなら君主制度と一緒に捨ててもらいたい悪習ですが、おそらくなくならないでしょう。もうひとつ、ふざけた悪習があります。今夜、見に行きましょう」
「なんですか?」
「行ってみてのお楽しみです」