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自動車が動かなくなった。――

 自動車が動かなくなった。

 運転手役の軍曹と楊は煙を上げるエンジンの横で早口で言い合いをしていた。

 よく見ると迫撃砲の破片がラジエーターに刺さっていた。大尉には心当たりのある爆発があった。

 口論は何やら極めつきなところまでいったようで、軍曹が唾を吐いて、立ち去り、楊は沙人独特の手を素早くひらひらさせて、大きくパチンと打ち、とっとと失せろと軍曹を追っ払った。楊は軍曹が自発的に立ち去ったのではなく、自分から追い出したという事実をカラヴァッジョ大尉にすり込もうとしていた。だが、大尉はそれ以上にこの先の道が気になった。仙命までかなりありそうだ。六月の太陽は古王国とは違うやり方で照り、ひどく蒸し暑いなか、汗が止まらない。

「歩くしかありませんね」生真面目すぎる沙人が言った。「でも、道なりにいけば、いずれ着きます」

「予定された日時までに着かないと脱走と扱われる」

「それなら九割方の沙人が銃殺される計算になります。大丈夫ですよ。そもそも、あちらさんだって時間通りにわたしたちがやってくるなんて、これっぽっちも思っていないですから」

 二人は草原にいた。何度かこのあたりで戦闘があったらしく、砲弾が作った醜い傷が大地に残っていた。道沿いには、かっぱらえるものは全てかっぱらわれた空っぽの家が並んでいた。写真屋が一軒あり、ショーウィンドウが破れ、カメラやレンズ、フィルム、それに現像に使う薬品が盗まれていた。数枚、家族の写真が残っていて、そのうちの一枚はまだあどけなさの残る若者が軍服を着て、立っている姿を写していた。

「彼はどっち側だい?」

「国王軍ですね」

「どうしてわかる?」

「一緒に写っている家族の服を見てくださいよ。どう考えても、プロレタリアートじゃありません。国王と手を結んで、インチキで金持ちになった顔ですよ。手がまん丸になっていますが、汚れひとつないのはこの粗末な写真からでもわかります。悪漢ほど手は白いものです」

 しばらく歩くと、痩せた檳榔樹びんろうじゅを植えた、低い土手のようなものが道の左手側に現れはじめ、平和なころは茶を飲めたらしい竹の掛け小屋がぽつぽつ立っていた。

「このあたりは巡礼の道だったんですよ」楊が言った。「そんなに大きな寺院ではありませんが、地元の人間は一度はお参りに行くもんです」

 そのうち、道の左右で民家と森が同居を始めて、見晴らしが利かなくなった。風に草原がなびく音はきこえていたが、どれも木立のあいだをすり抜けていて、ざらっとした棕櫚の感触が鼓膜に直接響いている気がした。

「まったく派手な森でしょう!」楊がそう言いながら、森全体が自分の所有物であるかのように適当に指を差した。「花が八色、羽が六十四色。六十四色ですよ。あの鳥は。ちっぽけな体を六十四種類の色で飾るんです。大尉殿の言葉では、あの鳥はまだ名づけられていませんが、我々はあれを『国王の妾』という沙国語をあてています。国王の妾みたいに美しく、国王の妾の服を飾るために狩られる、哀れな鳥ですよ。好きで派手に生まれついたわけでもないでしょう? 鳥一羽見ても、君主制度が悪弊であることが分かります」

「共和国はあの鳥を飾りのために捕獲していないと?」

 楊は笑った。

「していないわけがありません。『国王の妾』は戦争が終わるころには『将軍の妾』に名前を変えていますよ」

 そして、片目をつむって、ずるそうな顔をして人差し指を立てた。

「でも、それも長いことじゃありませんよ。いまに我々はあの欲深な軍閥どもをひと思いにやっつけちまいますから。そうしたら、あの鳥は誰の妾も飾らない、ただの鳥になるってわけです」

 森のなかの道、その左側(つまり北西側)に開けた土地があった。視界は草原まで続いていて、その空き地に塹壕が掘られて、二十人ほどの沙兵が首と銃の筒先だけ出して、草原を見張っていた。楊が何をしているのかたずねると、兵士たちは、敵の弾が一発飛んできて、指揮官が逃げた、新しい指揮官が来るまで、ここを離れられないとこたえた。

 シャツが背中にくっつくほどの汗みどろになりながら森を抜けると、また草原と店屋の道が続き、そのうち、開かれっぱなしの鉄の門を通り過ぎ、大尉は〈仙命〉に入った。〈仙命〉は戦争が起こる前、別荘地だった。いまはほとんどの住民が逃げてしまい、瓜を売る男がいるくらいだが、その男もやがて陽炎となり、横へ開いた煉瓦の路地へ消えていった。空っぽな大通りは白く灼け返す車道のせいで目を開けないほどまぶしく、森ではまったくきこえなかった蝉の声が耳でも潰すみたいに盛んにわめかれていた。

 アッリーゴ中尉は赤い屋根の平屋に住んでいた。背の低い椰子や棕櫚を植えた庭があり、蛇行する敷石の道が灌木を避けながら、玄関の扉に続いていた。別荘地の洋館の割には廊下は狭く、戸口に近いドアをノックすると、どうぞ、と声が返ってきた。

 カラヴァッジョ大尉は敬礼と挨拶の後に野戦憲兵隊の指揮官に任ぜられたことを話した。すると、アッリーゴ中尉はクスクスと笑い始めた。

「僕は中尉で、あなたは大尉なのに、あなたの憲兵隊は僕の中隊の下にある。この国ではそんなことばかりが起こる。あまり、後に延ばさないほうがいいかもしれないので、教えておきますよ。僕はニコロ・アッリーゴのひとり息子です。でも、僕は父さんとは違います」

「〈叔父〉の子どもが〈叔父〉になるとは思っていませんよ」

「でも、実際は〈叔父〉の地位を子どもが引き継ぐケースは多いのです。それが〈叔父〉の弱点でもあります。君主制度を真似しすぎる。それに権力についても、僕と父とのあいだでは相違が多いのです」

「と、言いますと?」

「権力は実施して初めて権力になるんです。もし、その権力を隠蔽し、沈黙に隠しているなら、それはまだ権力かどうかが分からない。〈叔父〉のやっていることはそれです。隠然と支配しているつもりでも、全てを明るみに照らされたら、どうなるでしょうね。たとえば、古王国が共和国になるとか」

「後まで延ばしてもしょうがないので、白状しますが、わたしはそれに賭けています」

「きっと、その賭けは成功しますよ。――でも、こんなこと、転任の挨拶の直後にすることじゃないですが、でも、まあ、無事に終わってよかった。実は、あなたが着任すると決まってから、どんなふうに話そうか、いろいろ練習したんですよ」

 カーキ色の軍服を着たどじょう髭の沙人があらわれて、敬礼した。アッリーゴ中尉は相手の陳情をきき、沙国語で何か命じた。

「いまの軍曹が何をしに来たと思います? 盗賊を打ち首にするから、その許可をと言ってきたんです。僕は父さんのようにはなるまいと思って、軍に入ったのに、父さんがガヴェロットに殺させた数よりも多くの打ち首を命じているんです」

「どうしても打ち首なんですか?」

「そいつは朱央の手下です。朱央というのはこのあたりを馬に乗って荒らしまわっている盗賊の頭で、三千人の部下がいると言われています。味方のなかには敵軍よりも朱央の馬賊を恐れているやつが多いんですよ。というより、敵軍も朱央を恐れている。郭将軍は朱央の一味は見つけ次第、打ち首にしろと言っていて、僕がどうこうできる問題でもありません。もし、よろしければ、見ていきますか? 場所は沙人街です。行くなら車を出しますよ」

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