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前編


 俺にとって太郎は、鬼門だ。


 ちょっと人には言いにくい。説明そのものも厄介だ。第一、そんなことを真剣に信じていると知られたら、頭がおかしいと思われるに決まっている。立場が違えば、俺でもそう思う。だから、俺自身、半信半疑だ。だが、気をつける価値はあると信じている。


 つまり、こういうことだ。太郎、と名のつく人間が俺の周りに出現したら、そいつは俺にとって不愉快な立場をとる確率が高い。


 例えば、俺の初恋は小学校の同級生だった。彼女が好きになった相手は、隣組の坂本太郎という、すかした野郎だった。俺はめげずに中学生の時にも恋をした。バレーボール部の恵ちゃんという、胸に柔らかそうなバレーボールを二つ抱えた女の子だ。さわやかな彼女には、二中の太郎という不良の兄貴がいて、妹に近寄る男の全てに睨みをきかせていた。

 従って、誰も近寄れなかった。当然、俺も告白すらできなかった。


 高校生の時には、帰宅部の文ちゃんと付き合うことができた。幸せは長く続かなかった。受験勉強に専念したいからと言って、間もなく別れを告げられた。

 文ちゃんには親戚の家庭教師がついていて、そいつがやっぱり太郎と言った。後で噂に聞いたところでは、奴が俺たちの交際を親に告げ口したのが別れる原因だったという。



 俺がこの法則に気付き始めたのは、大学生の時である。最初に入った下宿の大家が山井太郎といった。

 その頃まだ俺は法則など頭になかったから、別になんとも思わなかった。


 他の下宿生からは、やれ部屋を掃除しろとか、共用部分の掃除当番をさぼるなとか、小うるさい爺だと聞いてはいたものの、俺には経験がなかったので、言われた奴らが相当汚くしていたのだろうと思っていた。

 当然、俺は当番をさぼったりしなかった。部屋は大してきれいにしていた訳ではないが。


 一方で俺は、生活費の足しにアルバイトを始めた。

 初めてのバイトは、コンビニエンスストアの店員だった。コンビニなら普段から使っていて勝手もわかると思って応募したのだ。高校生でもできる仕事なら楽勝だとも。


 世の中甘くなかった。コンビニを見ていて楽しいのは、どんどん新製品が入ってくることである。そして、いつ行っても新鮮な品物が揃っていることである。ということは、売る側は、次から次へと入ってくる新製品を次から次へと並べなければならず、古くなった物は素早く新しいものと交換し、常に店内をぴかぴかにしておかなければならないということである。


 しかも、年齢が上であろうと下であろうと、先に仕事を始めた方が先輩である。運動部で上下関係に慣れていたつもりでも、学校の先輩後輩関係はほぼ年齢に比例している。年下の先輩などというものにはまずお目にかかれない。

 バイト先では、高校生の先輩に大学生の俺が叱り飛ばされる憂き目に遭った。


 そして、客であれば小憎らしい小学生にも頭を下げねばならない。俺は、働く大変さを初めて味わった。

 会社に就職してから振り返ってみると、学生バイトの大変さなんて、まったくたかが知れていたのであるが、それまで働いた事がなかったし、若くもあったので、少しのことでも大袈裟に感じたのだ。


 その後、ファミレスのバイトを経て居酒屋のバイトに辿り着いたのは、二十歳の頃だった。


 ここでバイトをすると、ビール一杯とかサワー一杯とかの無料券や割引券をもらえたし、賄いで軽い食事ももらえた。酒の味を覚えた学生には、おいしいバイトに思えたのだ。


 波ちゃんは、バイトの後輩だった。一緒に働いているうちに、何となく付き合うようになった。そして、辻田太郎も、バイトの後輩だった。俺はまだ法則にまで思い至らなかったが、奴の名前を聞いた時から、何となく警戒はしていた。それまでの経験から、本能がそうさせたに違いない。


 辻田は、俺の警戒心などどこ吹く風だった。真面目な上に気が利いて、人の嫌がる仕事も進んでするような男だった。店長を始め、誰もが奴を気に入った。

 波ちゃんや、俺でさえも気に入らない訳にはいかなかった。奴には高校時代から付き合っている年上の彼女がいた。奴が波ちゃんに手出しする気遣いはなかった。


 だが、太郎の災いは思いもかけない方面からやってきた。辻田が、先輩の俺を差し置いて、チーフに抜擢されたのだ。確かに奴は仕事がよくできた。

 でも、俺だって負けないくらいの仕事はしていたつもりだった。周囲の皆も、次のチーフは俺だと思っていた筈だ。


 俺はバイトが終わってから、休みだった波ちゃんを下宿に呼び出して、酒を酌み交わしながら愚痴をこぼした。

 だんだんいい雰囲気、というか、怪しい雰囲気になって、俺は波ちゃんを押し倒した。酔っぱらったせいで、ボタンを外す指がうまく操れない。アダルトビデオで見たみたいに、力任せに引っ張ったら、ぴっとずる剥けにならないかな。思いついて引っ張ってみた。変なところから音がして、服は全然脱げなかった。


 「こりゃあ! 何やっとんじゃ我!」


 頭が鐘になったみたいに、わんわん鳴った。なるべく頭を揺らさないようにして振り向くと、大家の山井太郎が、顔を真っ赤にして仁王立ちしていた。


 俺は下宿を追い出された。居酒屋のバイトも辞めた。波ちゃんともそれっきりになった。どうにか見つけた安アパートで悶々と過去を蒸し返しているうちに、不幸の共通点に気がついたという訳だ。



 太郎というのは、一番目に生まれた男の子につける名前だ。よく書類の記入例に、○○太郎なんて使われるくらい、ありふれた名前だ。だから、太郎と名のつく人間は山のようにいて、その分、俺の災難に関わる確率が高くなっただけだ。と普通は考える。


 だが、もう少し考えてみよう。最初に生まれた男の子につける名前には、もう一つある。一郎である。一朗とか、伊知郎という書き方もある。


 同じ太郎でも、健太郎とか祐太朗と名付けることもある。翔太とか広太とか付ける場合もある。それに、太郎は次郎三郎と後に続く子どもたちの先頭にあってこそ引き立つし、何よりわかりやすい。


 昔のように頭数が多くなければ、一人一人に最高の名前を考える余裕も生まれる。竜平とか、勝也とか、何番目に生まれたのかわからない名前をつけられることも今では珍しくない。


 ただ単に、子どもに太郎と名付けることは、実は思ったより少ないのだ。だから、太郎という名前のついた人間が心に引っかかるのだ。他にも太郎という人間がごろごろしていれば、そもそもそんな法則を思いつかない。


 また、常識の範囲内では、こう考えることも可能だ。一般的に太郎という名前が実際つけられることは少なくなったが、俺の住む地域では習慣が根強く残っている。だから、俺の周りには元々太郎が多い。


 ところが、俺は小学校の時に引越している。大学の時に住んだ地域も、これまで住んだことのない土地だった。

 三つに共通するのは、同じ国ということだけである。都会もあれば田舎もあり、城下町だったり新興住宅地だったり、どれも違う性格を持っていた。


 もちろん、俺が引っ越す先々の土地に限って、偶然にも同じ習慣が残っていた、という可能性はゼロではない。

 それを言ったら、常識的には、俺の不幸に太郎という名前の人物が関わったのも全て偶然である。偶然で片付けば、俺だってくだらない心配などしない。しなくて済むものなら、しない方がよいに決まっている。


 でも、避けられる危険があるならば、避けるのもまた常識ではないか。


 誰だってわざわざ、冬用タイヤとチェーンを持っているのに、雪道を普通タイヤの車で走ったりしないだろう。

 通り魔がうろついているのに、子どもを一人で外へ遊びに行かせることもしないだろう。確率で言えば、子どもが通り魔に遭わないことだってあり得るし、普通タイヤの車でも、雪道でスリップせずに目的地まで着くことが絶対にできないとは言い切れない。


 それでも敢えて試す人は少ない筈だ。俺が太郎に気をつけるのも、それと同じである。


 全国の太郎が何をしているのか調べる訳ではない。身近な太郎を見つけ次第、抹殺する訳でもない。俺に関わらなければ、どんな名前を持っていようが知ったことではないし、太郎という名前を持っていても、絶対に俺を不幸に陥れるとは限らない。


 太郎の災厄は、どんな形で襲ってくるのか、予想もつかないのだ。予想するだけ無駄とも言える。

 まして、こちらから手を出すなどもっての他である。


 でも、身近に太郎がいると知ったら、何か起こるかもしれないと気をつけることはできる。


 ちょうど、いつか起こる大地震に備えるようなものである。

 どうせ地震で壊れるんだからといって、家を建てるのを止める人はいない。地震に備えて、防災ヘルメットを常時携帯している人もいない、と思う。


 でも、生きている間に大地震が起きるとは限らなくとも、水を持ち歩いている人はいるだろうし、地震が起きたらどうする、と決めている人もいる筈だ。こういう人たちは、いざ事が起きた時には、何も考えていない人よりはましな行動ができるだろう。


 俺も、太郎を見つけたら、何か起きるかもしれない、と心積もりをするようにしている。 

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