人間ってやつは。
子供が私を見るとツバを地面に吐き、3歩後ろに下がる。尻尾をゆらりゆらりとさせながらそれを私は眺める。
どうやら人間界では黒猫を見るとその場でツバを地面に吐き、3歩後ろに下がれば不幸にはならないらしい。
「実に滑稽だ」
私はつまらん人間の行動に耳を立ててそっぽ向く。子供はその滑稽な儀式を済ますと視界に私を入れない様、その場から立ち去る。
「実につまらん。そもそも、その儀式をすれば不幸にならんのなら、この国は安泰だろうよ。それより手を小招く白い猫より私を祀って欲しいものだ。ブテブテのアイツよりこのスタイリッシュな私の方が愛らしかろう。人間の美的センスを疑うわ」
私は屋根の上から人間を見下し、ほくそ笑んだ。
もともと私も飼い猫として、ある家庭に飼われていた。後から聞いた事だが、飼い猫は猫界では上流階級にあたるらしい。そして首輪は猫界ではステータスにあたるらしく、家の中から外を見ている猫はチラチラと首輪をちらつかせるのが、自己地位の見せつけであり、覗かせている窓がでかけりゃでかいほど、箔がつくってこれまた飼い猫界も滑稽な集団である。
私はそこそこ猫会では上流の地位だったと思われるが、毎日飼い主のご機嫌取り、同じ味のご飯が嫌になり、不注意で開けっ放しの玄関から脱走を測った。実に簡単な脱獄劇である。
それから、今日に至るまで外の世界を楽しんできた。その中でも特に人間の行動は面白い。以前世話になった人間はいつも手にプラスチックの板を持っている。それを眺めてはニヤニヤしたり、耳に当てて独り言をブツブツ言ったかと思ったら、それをベッドに投げて泣き始めたり、実に不気味である。
「私これからどうしたらのいいの?」だとか言って私を抱きしめた。人間とはこんな時猫に頼りすぎてある。まぁ仕方ない。いつも寝床をくれている恩義がある。顔でも舐めてやるか……どうせ人間のオスのことだろうよ。オスの事ぐらいで人間の女は泣くものなのか?……私には理解できない。子孫繁栄の為の過程でオスにそっぽを向かれたくらいで、この世の終わり様な絶望感を抱き猫である私を巻き込む。そして、ベラベラとオスの悪口を私にブチまける。
この女は自分が悲劇のヒロインである様に自らを錯覚している様だ。猫の私を抱きしめるプラス泣くイコール悲劇のヒロインの方程式なのだろうが、私は早く新しいオスを探す方が早いと思うぞ。もともとそんな図太さあればご主人はいちいちオスに振り回される様な女ではないと思うし、もっと魅力的であったと思うぞ。今はもう知らんが。
それを分からないのは凄く滑稽である。しかしそれが人間の愛らしい部分だ。
まだある。先日夜、いつもの公園で月明かりを楽しんでいた時だ。人間のオスとメスが4人灯りを付けて散歩をしていた。
時々キャーとかウワッとか叫んでいた。夜道を歩いているだけなのに何かに怯えている様だ。私に灯りをあて、「こんな時間に黒猫がいる。怖い」っとオスとメスはベタベタしながら話していた。
こっちからしたら蒸し暑い夜にベタベタしながらオスとメスが散歩をしながら奇声を発している方が余程不気味である。そこにたまたま居合わせた私を不気味がる。良い迷惑だ。しかし、どうやらこれが人間達の求愛行動の様だ。
実に回りくどい。時間をかけ過ぎだ。尻を嗅げば分かることなのに。まあ、しかし。この過程が人間は楽しいのだろう。ニャーっと不気味に鳴いて少し付き合ってやるか。
人間は面白い。でも、猫界とは違う愛情を注いでくれる事もある。
私はある家のポカポカの屋根が好きである。晴れている時はだいたいここで昼寝をする。しかし、この時は日差しが強く屋根で寝てしまえば、こんがり焼けてしまうと思い、この家の縁側の下で休ませて貰った。
すると、高齢のメスのばーさんが、ししゃも皿を乗せておいてくれた。私はご馳走に預かり、外に出てししゃもを頂いた。ばーさんは「こっちに来やい。」っとばーさんが座る縁側に案内してくれた。仕方なく私はばーさんの隣に座り、涼しい風鈴の音色に耳を傾けていた。
「あんたの名前は何て言うのけ。」
私は「主人の家に住んでた時はオハギって呼ばれていた」っと答えた。
「ミャーちゃんて言うのけ。これまたべっぴんな名前だね」
「ミャーちゃんではない。オハギだ」
人間とは会話が成り立たない。しかし、ミャーちゃんでもいいか。ししゃもをくれた恩義である。それから、ばーさんは私にいろいろ話をした。話を聞いているとばーさんと一緒に住んでいたオスは先に死んでしまったらしい。ばーさんの子孫は遠くに住んでいるそうだ。
ばーさんは人間の世界では80歳を越えた老人と言う部類に入るらしく、時々大人が来ては老人を集めた老人ホームという所への入所を迫って来るそうだ。
「他の人が沢山いる所での生活は息が詰まって敵わん」
ばーさんは1人がいいとこの一軒家に住んでいる。1人がいいって所は久々に人間と意見があった。堅苦しい所は御免である。
私とばーさんはそれから日が暮れるまで話した。時々私の頭をブヨブヨとシワシワの手で撫でてくる。これが気持ちよくてたまらない。どれどれ余り嫌だが尻尾も撫で良いぞっと尻尾をチラチラばーさんにチラつかせた。
その時、夕立が降ってきた。ばーさんは外に干してある洗濯物を取り込もうとアイタタっと曲がった腰を重そうに引きずりながら外に出た。私は夕立で濡れるばーさんが少し滑稽に思い夕立降る外へ出てばーさんの横に座った。
少しくらいなら一緒に濡れてやるか。ばーさんは必死に曲がった腰を伸ばし洗濯物をカゴに入れる。もちろん洗濯物はビショビショだ。ばーさんは縁側にカゴを置くと濡れた体で縁側に腰掛け息を細く切らしている。私もビショビショに濡れた体をばーさんの曲がった背中に預ける。
「ミャーちゃん。濡れただろう。今拭いてやるからな。待っとき」
濡れた体を起こしばーさんは部屋に消えていった。水滴を垂らしながらばーさんが帰ってきて私の体を線香の匂いが染み付いたタオルで拭いてくれた。
「身体も濡れたから湯でも張ろかい。ミャーちゃんも入ってくかい。」
私はミャーっと返事をし言葉に甘えることにした。
一緒に風呂に入り、汚れた体をシワシワのブヨブヨの手が綺麗にしてくれた。それから、サバを貰い、ばーさんと一緒にご飯を食べた。ばーさんは私に話しながら裁縫。私は座布団でばーさんの話と夜の風鈴を聴きながら眠い瞼を閉じぬ様堪えた。
何とも心地よい空間である。
またたびの香り。
トラックの排気ガスの匂い。
アスファルト。
名前を知らない葉っぱの匂い。
線香臭いこの家。
ばーさんの隣。
私の好きな物が増えた。なので、しばらくこの家にやっかいになろうと思う。ばーさんはハンカチにミャーちゃんっと刺繍している。
これを明日から首に巻いてやるとするか。
ししゃも一つで釣られた私も実に滑稽であるかも知れないな。
おしまい。
読んで頂きありがとうございました。