屋上での告白
國護神羅という人物を一言で表すならば〝日陰者〟である。
昨今の若者の表現をするならば〝陰キャ〟というものであるが、成績は常に優秀で体育の授業でもその身体能力の高さを遺憾無く発揮している程である。
なのに生徒達の会話に彼の名が上がる事は無い。
テストの順位表が掲載される度、その上位には常に神羅の名が入っているのにも関わらず、生徒達がその名を見ても〝こんな名前の生徒いたっけ?〟という認識でしか無いのだ。
まぁ、あまり目立つことを好まない神羅にとっては非常に好都合な事ではあるのだが、そんな彼の〝好都合〟は一人の女子生徒によって儚く終わりを迎える事となる。
神羅にとっての〝好都合〟を打ち砕いた女子生徒────彼女こそが〝高嶺の花〟と称され、ここ〝倭杜学院高校〟では五本の指に入るほどの美少女である〝矢神弓鶴〟であった。
教室でいつものように眠りこけていた神羅に声をかけた弓鶴……その光景にその場にいた生徒達は驚き、そして高嶺の花に声をかけられた神羅に嫉妬と羨望の眼差しを向けていた。
その視線に耐え切れなかった神羅は弓鶴を連れて誰もいない屋上へと移動した訳だが、そこでも弓鶴から自身の平穏を砕くような一言を告げられる。
「貴方を私の許嫁にする事に決めたわ」
何を言っているのか分からず聞き直した神羅に、弓鶴は今度こそはっきりとそう言い放った。
これには普段あまり動じることの無い神羅も流石に動揺を隠しきれなかった。
「待て待て待て……いきなりどうしてそうなった?」
今この瞬間まで神羅と弓鶴には特に目立った関わりは無い。故に神羅は弓鶴が突然、求婚してきたことに理解が追いついていなかった。
しかし当の弓鶴は気にする様子もなく、求婚をしてきた理由を淡々と述べ始める。
「初めて貴方を見かけた時から気づいていたわ。貴方も〝神威〟を持っているわよね?しかもとても強力な神威だと判断したわ」
〝神威〟────それは超能力とも異能力とも違う、正に神の御業と同様の力を指す言葉。
弓鶴の言う通り神羅もその〝神威〟の保持者であった。しかし神羅は神威保持者である事を認めた上で手を振って弓鶴の言葉を否定する。
「確かに神威を持ってはいるが、あんたが思う程強い神威じゃねぇよ。言うなりゃただの〝身体強化〟だ」
〝自分は評価される程の人間では無い〟と、〝あくまでも大した神威では無い〟と話す神羅。しかし、それでも弓鶴は何かを確信した面持ちで真っ直ぐと神羅を見据えていた。
「言ったでしょう?私は貴方を見かけた時から気づいていたって。当然、貴方の事は調べさせて貰ったわ」
弓鶴はそう話しながらスマホを取り出し、何やらその画面をタップしてゆく。そしてゆっくりと縦にスクロールしながら、そこに記されているのだろう文章を読み上げていった。
「國護神羅。年齢15歳。五月五日生まれ。血液型はO型で辰年の牡牛座。生まれながらにして神威保持者であり、その能力は身体能力を爆発的に強化する事が出来る。家族構成は現在は両親と妹の四人で、幼い頃に妹を虐めていた男の子達を全員病院送りにしている。その事を知った、当時まだご健在であった祖父とご両親により神威を制御出来るよう修行を受ける。小学校、中学校の頃は特に目立った事は無いけれど、非常に成績が優秀な優等生だった。今でもそうだけれど、何故か話題に上がることすら無い程、印象が浅い人物でもある。……まぁ調査の結果としてはこのくらいかしら?」
「プライバシーもクソもあったもんじゃねぇな」
自身の個人情報を調べられた事に神羅は辟易しながらそう言った。
「まぁ、これで俺があんたのお目にかかるような奴じゃねぇって事が分かったろ?〝許嫁〟だっけ?それについては他を当たってくれ。ここなら顔も成績も良い有名人はたくさんいるんだからな」
非常に面倒臭がりな神羅はこれ以上厄介事に巻き込まれたくない一心で話題を切りあげ、弓鶴の前から立ち去ろうとした。
しかし、そんな神羅の思惑に弓鶴が待ったをかける。
「待ってくれないかしら?こう見えて私の勘ってよく当たるのよ」
「へぇ〜……そいつァ便利なこったな?まぁ俺には関係ねぇようだし、さっさと教室に戻らせて貰うわ」
「だから待ってと言ってるでしょう?」
さっさと立ち去ろうとする神羅に弓鶴はパチンと指を鳴らした。すると今まで何処にいたのか、数人の男達が屋上の出入り口を塞ぐように並び立つ。
それを見た神羅は恨めしげな表情を弓鶴へと向けた。
「何のつもりだ?」
「言ったでしょう?私は勘が鋭いって。貴方の神威はただの身体能力強化では無いのだと、私はそう思えてならないの。だから……」
その瞬間、神羅は自身がいる周囲を囲むように見えない何かが覆い包む感覚を覚えた。
それが何かを知っていた神羅は呟くようにその言葉を口にする。
「神威結界────」
「ご名答。申し訳ないけれど、ちょっとだけ貴方を試させてもらうわ」
〝神威結界〟────それは即ち神威保持者が神威を発動させる際、自動的に展開される結界の事である。
これが発動されると外界と隔離された状態となり、例えこの結界内であらゆるものが破壊されようとも、外には何の影響も無く、結界が消えたと同時に何事も無かったように破壊されたものは元通りの状態になるのである。
そんな神威結界を弓鶴が展開させたという事は、弓鶴もまた神威保持者であり、そして彼女の言葉通り神羅は今から試される立場となっていた。
「せっかくだから私の神威を見せてあげるわ。来なさい、〝天之麻迦古弓〟」
そう唱えた弓鶴の手元に現れるは一対の弓矢────弓鶴はそれを構えながら自慢げに話し始める。
「これが私の神威、〝天之麻迦古弓〟とそれと共に現れる〝天羽々矢〟よ。一度この矢を放てば最後、目標を射抜くまで落ちることは無い匹敵必中の弓。避けたとしても無駄よ?貴方を射抜くまで追い続けるのだから。故にその射程範囲は無制限よ」
「美人のくせにえげつねぇもん持ってやがんな」
「代々神威保持者の家系である矢神家の娘だもの。その名の通り弓に関する神威なのよ。それで……どうするの?まさかここまでされて何もしないわけでは無いわよね?」
「チッ……」
正直に言えば付き合ってやるつもりは無い……しかし弓鶴の有無を言わせぬ気迫に神羅は舌打ちしながら自身も神威を発動させた。
「神威顕現」
神羅がそう唱えると、彼の身体を強大な力が覆い包み込む。
それを見た弓鶴は武者震いが起こるのを感じていた。
「それが貴方の神威ね?それにしても名前は付けていないのかしら?」
「そんな事、考えすらしなかったからな」
「そう……それじゃあもう言葉は要らないわね?見せてみなさい、貴方の力を!」
弓鶴は力強くそう言い放つと、ゆっくりと弓を引き、そして矢を持っていた手を離した。
弦が勢いよく弾かれる音と共に放たれた天羽々矢は一直線に神羅へと飛翔してゆく。対する神羅は試しにそれを避けてみたのだが、先程、弓鶴が話していた通り矢は軌道を変えて神羅へと襲いかかった。
「これで避けても無駄だって事が理解出来たでしょう?」
「そうだな」
神羅は体勢を立て直すと、右拳をゆっくりと引いて拳打の構えを取った。
「無駄よ、その矢は鋼鉄をも軽々と射抜くわ!」
「それがどうした」
放たれる神羅の右拳────それは真っ直ぐに飛んできた弓鶴の矢へと放たれ、次の瞬間にはその矢を木っ端微塵に吹き飛ばしたのだった。
これには弓鶴はもちろん、彼女に呼び出されていた男達も驚愕の表情を浮かべる。
「嘘でしょう?!私の矢を……しかも素手でなんて……」
「お嬢様、前────!!」
「え……?」
スーツ姿の男の一声に弓鶴が反応すると、いつの間にか神羅が目の前まで差し迫っていた。
振りかぶる拳……弓鶴は神羅が今まさに自身に向けてその拳を放とうとしているのを理解した。
理解してもなお弓鶴は弓を構えることはおろか、その指すらも動かすことが出来ない。
やられる────弓鶴がそう感じた時には既に、神羅が放った拳は彼女の顔の目の前、寸止めの所で止められていた。
「……」
言葉を発する事も出来ずにその場に崩れ落ち、へたりこんでしまう弓鶴。そんな彼女に神羅は拳を下ろしながらこう言った。
「これで満足か?もし、まだ続けるってんなら今度は止めねぇぞ」
〝次は殴る〟……そう告げる神羅に弓鶴は未だ何も言い返せず、ガックリとその頭を項垂れた。
それを見た神羅は大きく息を吐くと、踵を返して今度こそ弓鶴の前から立ち去って行った。
その頃には結界は解けており、男達は誰一人として神羅を止めようとはしなかった。
神羅が悠然と立ち去っていった後の屋上。それまで呆気に取られていた男達は弾かれたように弓鶴の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですかお嬢様?!」
「ええ……大丈夫よ……」
そう強がっては見せたが、未だに脚に力が入らないという事実に悔しくも少しだけ嬉しそうな表情を見せる弓鶴。
そして彼女は男達ではなく、今も姿の見えぬ者達へと声をかけた。
「どう?貴方達から見ても彼は期待通りだったかしら?」
「「はい」」
声を揃えて返事をするは、左右へと別れた男達の間を通って姿を現した二人の女性であった。
弓鶴よりも年が上だと思われる二人は口々に自身の意見を述べる。
「お嬢様の矢を素手で消し飛ばす程の膂力……初めてその光景を目の当たりにしました」
「彼ならば十分、お嬢様の悲願を達成する為の駒となり得ましょうな」
「〝瞳〟……それは過大評価というものよ?私よりも強い神威保持者はいくらでもいるわ。それと〝刀那〟……二度と彼を〝駒〟などと言わないでくれるかしら?はっきり言って不快よ」
「申し訳ございません。以後、気をつけることに致します」
メイド服に身を包む女性は〝天野瞳〟。〝万里眼〟の神威保持者であり、弓鶴の専属メイドである。
そしてその隣に立つ刀を携えた女性は〝御剣刀那〟と言い、〝次元刀〟の神威を持つ弓鶴の専属護衛役である。
そんな刀那は弓鶴に窘められ、深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べた。
「しかし瞳の言葉通り、彼の神威はかなりのもの……不詳ながらこの刀那、つい手合わせ願いたいと思った次第であります」
「貴方は相変わらずね……でも、確かにどちらが強いのか興味があるわね」
「では、次は私が確かめてみましょうか?」
「いえ、やめておくとするわ。そんな事をして彼に嫌われたくは無いもの」
「お嬢様は既に彼にゾッコンですね」
「茶化さないで頂戴……」
弓鶴は苦笑しながらそう話していたが、対する瞳と刀那は微笑ましそうな笑みを浮かべるだけであった。
そして話題は今後に関するものへと移る。
「どうしますか?あの様子ではお嬢様の求婚は受け入れて貰えないようですが……」
「方法はいくらでもあるわ。そうね……やはり城を崩すには外堀から埋めてゆくのが最適だとは思わないかしら?」
そう言って不敵な笑みを浮かべる弓鶴。そんな彼女を見て瞳と刀那は互いに顔を見合せ、そして苦い顔を浮かべた。
「お嬢様も相変わらずですな」
「私、彼に対して〝ご愁傷さま〟としか言えませんね」
「それじゃあ早速、外堀を埋めていきましょうか?幸いにも、ここには大勢の証人となる方達がいるのだから♪︎」
そう言って心を弾ませ、鼻歌を口ずさみながら 教室へと戻る弓鶴に、瞳と刀那はただただ苦笑いを浮かべることしか出来ないのであった。