今井陽
小石丸がカトル達と出会う少し前、今井陽は見渡す限りの草原にため息をついた。
「魔王を倒せって異世界に転生させられたけど、まずここはどこ……?」
少し遠くに木立が見える。
どうやら林になっていそうで、その先に人里があるようにも思えない。
昔サバイバルのテレビ番組か何かで『困ったときは川を探せ。飲み水が確保できるし、川沿いには人里があることも多い』と言っていたので探したいけれど……
「こんな草原の近くに川なんてあるんだろうか……」
状況を整理したい。
(まず、僕は死んでしまった。これは間違いないんだと思う)
さっき見た神は言っていた。
――君は、死んでしまった。殺されたんだ。
犯人の顔は見ていない。
なぜ殺されたのか、殺されなければならなかったかも分からない。
恐怖を感じる前に気を失って、気付けば一面青の世界にいた。
――月並みだけどね、僕の世界の魔王を倒してほしい。
神は言った。
ただの中学一年生である、陽になにができるというのだろう。
――そう、だから君にひとつ願いを叶えてあげる。
魔王を倒すとか、良くわからない。
そもそもどんな力を持ったとしても、平和な世で生きていた陽にファンタジー世界で生きていけるものだろうか。
しかも一人で。
陽は、おとなしい子供だった。
両親の言うことをよく聞き反抗することもない。
勉強も好きだったし、あまり怒られた記憶もない。
仕事で忙しく、家を空けることが多い両親の負担になりたくなかったのもある。
『陽は本当にいい子ね』
両親に、頭を撫でられながらこの言葉を言われるのが幸せな時間だった。
自分が起きる前に出勤して、寝てから帰ってくる両親。
寂しくないわけがなかった。
それでも、一生懸命働いている両親にわがままは言えなかった。
そんな陽が唯一、犬(小石丸)を飼いたいと言った時だけ真剣に食い下がった。
道端に捨てられていた柴犬。
その犬は傷だらけで、酷く衰弱していた。
アニメやマンガのように段ボール箱に入れられているなんてこともなかった。
ただただ、ボロボロの体を横たえて、その犬は死にかけていた。
首輪はついていない。
周囲に人もいない。
陽がこのまま通り過ぎたら、死んでしまうかもしれない。
でも、捨て犬を拾ったら両親に怒られてしまうかもしない。
手を出すことも、去ることもできず、その場からしばらく動けなかった。
衰弱しきったその仔犬は、陽に気付いてかゆっくり立ち上がろうとした、
だが、それもかなわず、仔犬は血を吐いて動かなくなってしまった。
もう、放っておくことはできなかった。
家に連れ帰ろうと抱きかかえた仔犬は、小学生であった陽の両手に収まるほど軽くて小さかった。
それでも必死で生きていた。
「いま、病院に連れて行ってあげるから!!」
陽は急いで家に帰り、お年玉をためている貯金箱と仔犬を抱えて動物病院へ走る。
明らかに捨て犬である。
ボロボロなその捨て犬を、小学生が動物病院に持ち込む。
よく考えれば、事情を聴かれて親に連絡されてもおかしくない場面だったように思う。
でも、必死で「助けて」と頼む陽に若い獣医は微笑んで治療を受け入れてくれたのだった。
(血を吐いてたしすごい弱ってたから死んじゃうと思って急いで病院に駆け込んだのに、空腹で小石を飲み込んでただけなんだもんな)
獣医さんが小石を吐き出させると、程なくして子犬は動けるようになった。
石を食べちゃうほどの食いしん坊、なのに小さくて丸っこくて可愛い。
だから“小石丸”と、名前を付けた。
(忙しいから私たちは助けてあげられないよ、って言う両親に、絶対に自分で面倒見るから! って困らせたんだった)
忙しくて家にいない両親。
でも、小石丸が家に来てから寂しいと思うことは無かった。
――お願い事はどうする?
陽は、目の前にいる少年神にまっすぐ視線を向けて言った。
「小石丸を助けてください。絶対に死なないように面倒見てあげてください」
――それでいいの?
「はい。小石丸の世話はほとんど僕がしていたので心配で……」
――君自身の願いはないのかい? このままだと普通の人間のまま異世界に行くことになるよ?
「……小石丸が一番大事だから」
小石丸が家に来てから、一人の家が明るくなった。
毎日散歩に連れ出せと、学校から帰るたびにじゃれ付いてくるのが嬉しかった。
ご飯をあげるのも、散歩に連れて行くのも手のかかる弟ができたようで、本当に楽しかった。
両親よりも、長い時間を一緒に過ごした。
だから。小石丸にだけは生きていてほしい。
――分かった。小石丸くんを助けよう。
陽の思考を読み取ったかのように、少年神は頷いた。
そして、こう言った。
――異世界でも困らないように“言語能力”だけはあげるね。魔王も無理して倒そうとしなくていいから、君も僕の世界で“生きて”。
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(で、飛ばされたのがこの草原。言語能力もらったところで話す相手すらいないんだけど……?)
陽は再度、周囲を見回した、
(あれ……? あんなのあったっけ?)
見渡す限りの草原。少し遠くに木立が見える――だけのハズだった。
それが、いまは少し離れたところに大きな三枚の瑞々しい葉をつけた草があった。
草原の芝の途中に、陽の膝くらいまである大きな葉の草が生えている。
食べ物だったらいいな、という期待を胸に、陽はその草を両手でつかんで――引き抜いた。
「キイイィィヤアアアァァアアアア!!!!」
周囲に、絹を裂くような叫び声が響き渡る。
一瞬目が眩むほどの音量だった。
『な、なにするのさ、人間!!』
陽は、自分の掴んでいる草を見た。
そこには頭から草を生やした少女がいた。
「えっと、ごめんなさい。まさか人だとは思わなくて」
草の少女は陽と目を合わせないまま、それでも憤慨した様子で言った。
『アタシを人間と間違えるなんて!! アタシはアルラウネなのよ!!』
「あ、アルラウネ???」
『そうなのよ! 断りも無くいきなり引き抜くなんて失礼千万! 憤懣やるかたないのよ!!』
なんて言いながら、少女は陽の手を払って地面に潜り、そのまま去っていった。
陽はしばらく呆然としたまま、確かに異世界に来たんだなという実感を嚙み締めていたのだった。