運命の歯車
コトン・ド・テュレアールの闘技大会は二回戦目にして選手側の観戦が解禁される。
もともとは、国民の戦意高揚と個人武力の強化を目的に始まった、質素で武骨な大会であった。
できるだけ『実力』を正確に測りたいために、事前準備などできないよう、一回戦はお互いの試合が見れないルールが出来あがった。
しかし、大会が注目されるにつれ商業的な意味合いが強くなってしまい、今ではケアンテリアの商会が仕切るまでになった。
トーナメント方式、全六回戦のこの大会だが、シード権は寄付金の多さで決まるようになってしまっていた。
十年連続優勝、英雄であり国内最強と言われる白炎のゾルバが一回戦第一試合から出場していることからも、実力でシード権が決まっていないことははっきりしていた。
「第二回戦、第一試合! 白炎のゾルバ対パピヨン伯爵家三男ヴァランタン・アズリット・ド・パピヨン!!」
綺麗な銀色の鎧を身に着けた、細身の男が頭を抱えながらゾルバの向かいに立っていた。
「最悪だ。戦場に出る前の拍付けと思って出場したけど、いきなりゾルバ……お金ケチり過ぎたか?」
全身を鎧で覆った青年は、手に持っていた兜をかぶり、細剣おざなりに構える。
明らかにやる気のない様子に、ゾルバは小さく息を吐いた。
「……まあ、鎧には金かけたし相手は素手。この最新のプレートメイルを素手で貫けるものなんか」
「――では、両者構えて! 試合開始!!!」
「――いるわけな……」
貴族の三男、ヴァランタンは最後まで言葉を吐くことはできなかった。
――ゴンッッ!!!!!
会場内に、重い金属音が響く。
ヴァランタンの鎧の腹の部分に、ゾルバの右腕が突き刺さっていた。
「よ、鎧の上から打撃って……化け物か…………」
そのままヴァランタンは気絶する。
ゾルバの右手が離れると、新品らしい銀色の鎧は大きく凹んでいた。
「……先ほどの若者は、鎧無しでこの一撃を耐えたんだがな」
誰にも届かないゾルバの独白とともに、彼の勝ちが告げられたのだった。
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ハチと小石丸も、シードで上がった貴族の子息との対戦で、危なげなく二回戦を突破。
一回戦よりも簡単に三回戦に進んでしまった。
「シードの選手……泥仕合過ぎないか?」
目の覚めたカトルが、選手用観覧席でライカに水をあげながら呟く。
「全くです。この大会で活躍すれば国の有力者にも顔を覚えてもらえるようになる――というのはいいんですが、“アイポロス商会が”お金でシード権を買えるようにして以来、二、三回戦は実力も無い貴族たちが残念な試合をするようになってしまって……嘆かわしいことです」
カトルの隣に座っている青年が、心底悔しそうに答える。
「えっと、あなたは?」
「あ、失礼しました。私はトリスタン・シュナウザー。一応貴族ですが、貧乏男爵家なので一回戦から出場してます」
トリスタンは、隣で水を飲むライカに人好きのする笑顔を向けたあと、カトルに向き直る。
ブロンドの好青年で、十代くらいに見える。
皮鎧で急所を護ってはいるが、確かに他の貴族たちの様に重装備はしていなかった。
「今から三回戦が始まりますが、お金しか取り柄の無いシード同士の戦いを勝ち上がった人たちばかりなので、次も楽勝でしょう」
いま闘技場の上では、ゾルバが重そうな鎧に身を包んだ男を一撃で沈めていた。
「さて、次は私の番です。次勝てばゾルバ様と戦えるので楽しみです」
トリスタンは傍らに立てかけていた剣を腰に差し、舞台へと上がる。
「三回戦、第二試合! シュナウザー男爵家嫡男トリスタン・シュナウザー対、海の向こうから初出場!南の暗黒大陸よりの刺客、鬼人ホシクマ!」
トリスタンの対戦相手は、二メートルを大きく超える巨漢で、皮膚が赤く、腕がトリスタンの腰と同じくらいの太さ。
「鬼人族……? しかも暗黒大陸からの出場?」
カトルの記憶では、南の暗黒大陸は魔王の居城があり、強靭な魔物が大量にいるため、人間は住んでいないはず。
「危険すぎて船の行き来もほぼなかったハズ……」
すでに二回戦を勝ち進んだ選手のはずだが、カトルは気絶していたため、どんな戦い方をするのか見ていなかった。
トリスタンは、自分より頭三個分は大きい鬼人を見上げながらも、恐れはないようで、油断なく見つめている。
「――すまない、人間。手加減はできない。どうか……死なんでくれ」
鬼人ホシクマは、分厚い胸板に手を置くと、ゆっくりと頭を下げる。
重低音で響いた言葉の内容に驚きながらも、トリスタンは笑顔で頷く。
「死んだらそれまでの人間だったってことです。それに――私が負ける前提で語らないでください」
「すまない。どうしてもゾルバ様に合わなけりゃならんのだ」
「……暗黒大陸の鬼人がゾルバ様に?」
「ああ。だから勝たなきゃならん」
ホシクマは、成人男性の身長くらいはあろうかという棍棒を構える。
トリスタンも、表情を引き締めて腰の剣を抜いた。
「――では、試合開始!!!」
開始の合図とともに、ホシクマが無造作に歩いてトリスタンに近づく。
警戒心などは皆無なその歩みに面くらいながらも、油断なく円を描きながら横に回る。
リーチの差は歴然、身長も高く得物も巨大なホシクマの方が断然有利である。
しかし、懐に入ってしまえば素早く動くトリスタンを捉えられないはず。
じりじりと二人の距離が詰まってゆく。
そして、ホシクマが棍棒を振り上げた瞬間が合図だった。
トリスタンは瞬時に横に飛び、棍棒を紙一重で避ける。
あまりの威力に風圧だけで体制を崩しそうになるが、かろうじて持ち直し、ホシクマの懐に潜りこむことに成功した。
「至近距離は小兵の間合いですよ!」
動きを止めてしまえば、あとは素早い自分に分があるはずだ。
彼はホシクマの足に向けて、刺突を繰り出した。
「……え?」
だが、皮膚を少し傷つけた程度で剣は弾かれてしまう。
「な、なんて硬い皮膚だ――」
動きを止めるまでは諦めずに攻撃を続けなければ。
トリスタンが腕を振り上げもう一度刺突をしようとしたとき、頭上から重低音が降って来た。
「……人間、すまない。歯を食いしばれ」
避ける暇などはなかった。
ホシクマが無造作に繰り出した蹴りが、トリスタンを吹き飛ばす。
まるでボールでも蹴ったかのように吹き飛んだトリスタンに、会場がひとときの静寂に包まれる。
「……しょ、勝者ホシクマ!」
かろうじて絞り出された審判の声に、ホシクマは深く礼をして舞台を降りた。
トリスタンは、そのまま担架で運ばれたのだった。
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闘技大会三回戦が始まったのと、ほぼ同時刻。
王都グレートデーンの騎士団執務室で、ココ・デッドネトル・ボルゾイは憂鬱そうに窓の外を眺めていた。
「妹が攫われてから約十日。父さんはまだ身代金を払う決心をしてないのか……」
妹のシエルを攫ったと、アルサシアン一家から連絡が来たのが八日前。
要求金額の金貨千枚は、普通の子爵家なら払えない法外な金額である。
「でも、国に治める税すら着服して蓄財してる父さんなら払えない金額でもないでしょうに」
領民に重税をかけ、それを隠して私腹を肥やす。
そんな父が嫌いだった。
母も酷い吝嗇家の父に愛想をつかして、家に帰らない日が多かった。
「女子供には手をかけないアルサシアン一家だから妹は無事だろうけど――捜索を急がせるか」
『義賊』と呼ばれるアルサシアン一家だから、意図して圧政を敷くボルゾイ家を狙ったのだろうが、女子供には手を出さないと言われているだけに、彼の父ボルゾイ子爵も状況を甘く見ているようだった。
「妹が心配だ。父さんには任せておけない」
アルサシアン一家のアジトを見つけるために、騎士団は動かせない。
ケアンテリアの魔女を頼ってはどうかと助言をもらうこともあったが、そんな怪しげなものに頼る気も無い。
父も信用ならないし、弟も城塞都市の闘技大会に出場中。
何かいい手立てはないものか。
思案に沈むココは、頭をはっきりさせるため、テーブルの湯飲みから冷めかけた紅茶をカップに注ぐ。
そのとき、執務室の扉を叩く音が響く。
「――あの、副団長宜しいでしょうか」
現れたのは、まだ雑用係の新兵だった。
「副団長当てに手紙が。差出人が……その……」
なぜか言いよどむ心配に、ココは怪訝な表情を見せる。
「どうした? 怪しい手紙か?」
「……いえ。差出人がマイ・ヨークとなってるんですが」
「ヨーク? ヨーク公爵にマイなどという子供がいたか?」
「いえ。あそこの一家は一族郎党子供に至るまで――殺されたはずです」
そうだ。ヨーク公は一家全員殺されたはず。
そちらの対処は騎士団でしなければならないが、問題は膨大な領地の跡継ぎがいなくなってしまったことで、父のボルゾイも含めた諸侯がヨーク家の領地を狙っていた。
「――とりあえず、手紙を読んでみるか」
ココは、手紙の封を切った。
「ふむ。妹を助けたければ商業都市ケアンテリアに来られたし――か。父が金を払わないことに業を煮やしたアルサシアン一家の罠の可能性もあるが……」
だが、他に手がかりがないのも事実。
「飛び込んでみるしかない、か」
マイ・ヨークなる人物と面識はない。
だが、父であるボルゾイ子爵を知っているものならば、あの吝嗇家の父が息子に金など持たせていないことは分かるはず。
であれば、万が一この手紙が嘘を言っていない場合、後悔することになる。
「本当に名前通りヨーク公の血縁であれば、相続権の問題も解決する。罠であったとしても妹の手がかりくらいは掴んでみせる」
ココは雑用の新兵に馬を取りに行かせ、自身は旅装を整える。
馬を飛ばせばケアンテリアまで半日で行けるだろう。
「シエル待ってろ。兄が行く」
彼は執務室を出ると、部下に幾つかの指示を出し、そのまま馬に跨って走り出す。
様々な人間の思惑が絡み合い、世界は大きく動き始める。
陽気な神の笑い声が、微かに聞こえた気がした。




