闘技大会、一回戦
白炎のゾルバは、気絶したカトルを抱きとめると自ら医務室の方へ運んでゆく。
誰も期待していなかったカトルの健闘に、会場も一層盛り上がる。
「ゾルバ相手に二撃以上耐えた人間を初めて見たぞ!!」
「英雄相手に良く戦った!! 大したもんだ!!」
気絶したカトルには、賞賛の声は届かない。
結局一撃も入れられなかったにもかかわらず、歓声は鳴りやまなかった。
それだけ、毎年ゾルバが圧倒的強さを見せつけて優勝している――ということなのだろう。
「では、次の試合始めます!! 港町ウィペットの漁師シシドと対するはシュナウザー男爵家長男トリスタン・シュナウザー!!」
試合は、粛々と進んでゆく。
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控室では、ハチが木を削って、器用に短刀を作っていた。
殺してしまっては負けというルール上、本物のナイフで戦うのは難しすぎる。
なにせ、ナイフの戦い方は基本急所狙い。
一撃で致命傷を与える訓練しかしていない。
刃を潰した木のナイフでも、急所に当たれば痛いだろうが、死にはしないだろう。
『人間の中でどれだけ戦えるか、試してやる』
コカトリスに村を追われ、カトル達村人たちにも負け、再度のコカトリスの襲撃で死にかけた。
とにかく自分の無力さを痛感されられる毎日であった。
『カシム様について来て良かった。ゾルバ様の戦い方も参考になる』
同じ犬系の見た目をしているからか、ハチはゾルバに自然と「様」を付けて呼んでいた。
人型の魔物と獣人の違いは、ほぼ、言葉が通じるかどうかだけである。
ただ、人に交わり生活していた獣人たちはほとんどが滅び、今ではゾルバ一人を残すだけになってしまっていた。
『ゾルバ様かカシム様に当たるまでは負けない――!』
公平を期すために、トーナメント表は選手たちには発表されない。
皆、いつ呼ばれ、誰と戦うか分からないまま一人で控室で待ち続けることになっていた。
「ハチさん! 次出番です!!」
控室の戸が叩かれ、ハチが呼ばれる。
キュウと二人であの時人間の言葉を勉強しておいて良かった。
声帯が発音に向かないため、言葉を発することは出来なかったが、それでも今役に立っている。
『母さん、行ってくる』
誰にも聞こえないように、小さく「わん」と吠えたハチは控室を出るのだった。
「さあ、やってまいりました。一回戦第四試合!!!」
ハチがコロシアムの舞台に足を踏み入れると、向かいには全身黒服の男が立っていた。
「素顔も声もすべて謎、正体不明の小兵ハチ!!」
声に合わせて、歓声があがる。
どうやら会場は盛り上がっているようだ。
「対するは、暗殺者一族の戦士トキシィ!! どちらも武器は短刀だ!!」
ハチは先ほど削った木の短刀を、相手は金属の短刀を構える。
「さて、どんな戦いが見れるのか! 試合開始だ!!!」
両者同時に地面を蹴り、一気に距離が詰まる。
ハチは、右肩を狙ったトキシィの短刀を躱し、カウンターで首を狙う。
相手もギリギリで躱して距離を取った。
「……なかなか速いな。だがこちらの勝ちは揺るがない」
トキシィは、連続で短刀を繰り出す。
だが、ハチはことごとくを避け、反撃に転じる。
狙いすましたハチの一撃が、トキシィの脇腹に刺さる。
「く――やるな」
ダメージを負ったトキシィは、ガムシャラに短刀を突き出す。
狙いすました一撃ではない。
どこにでもいいから当たれという破れかぶれの一撃に見えた。
防御を無視した連続攻撃が、ハチの腕の皮膚を軽く傷つける。
血も出ないほどのかすり傷。
だが、トキシィは勝ちを確信したかのように満足げに嗤うと、ハチから大きく距離を取った。
「ふはは、油断したな。この短刀には特別に調合した毒が塗ってある。すぐに手足が動かなくなり、意識を失うだろう。そして――放っておけば暫くして死ぬ」
確かに、かすり傷を負った腕が、少しずつ重くなっているように感じる。
だが、殺してしまえば反則負けのはず。
「――勝ち名乗りを受けてしまえば、そのあと対戦相手が死んでも関係ない。だからわざわざ死ぬのに時間のかかる毒を選んだし、今こうして時間をかけて説明してやってるわけだ」
トキシィは、勝ち誇って笑った。
じりじりと距離を詰めようとするハチから一定の距離を保つように後ずさる。
確かに、片腕が重い。毒は体内に入ってしまっているだろう。
『でもなぜだろうな。毒で負ける気がしないのは』
毒ならもう、もっと危険なものを大量に浴びている。
『コカトリスの毒はこんなに優しい物じゃなかった!』
ハチは、地面を蹴って一気にトキシィとの距離を詰める。
相手も遅い方ではない。
だが、小石丸に付いて毎日走っているうちに、ハチの速度も確実に上がっていた。
『カシム様はもっと速い。そしてオウルベアはもっと強かった!』
本気の速度で迫るハチに、もう逃げきれないと覚悟したトキシィは短刀を構える。
右手で再度脇腹に一撃を入れる――と見せかけて、左手の木のナイフを膝の裏に突き立てる。
「ぐがっ!!!」
機動力を奪ってしまえば、もうハチの敵ではない。
そのままトキシィの首に木のナイフを突きつける。
「……まいった」
さすがに木で出来たナイフとはいえ、首に突き立てられれば無事では済まない。
トキシィは負けを認めると、力なく項垂れた。
「それまで! 勝者ハチ!!!」
ハチは、勝ち名乗りを受けると――そのまま小石丸の控室まで走った。
『カシム様とライカが一緒にいるのは匂いで分かってる。他の出場者の控室に行ってはいけないルールはたぶん無いと思うから――』
小石丸の控室と思しき扉を開けると、彼は叫んだ。
『ライカ、毒くらった!! 助けて!!!』
普段冷静な彼なのだが、まだまだ締まりきらないハチなのであった。
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「さあ、一回戦ラストの試合。オウルベアを殴り倒した男、カシム!!」
なぜオウルベアの話が漏れているのか。
情報源は分からないが、小石丸の登場に会場がどよめく。
小石丸は、いつも通り落ち着きなく走り回っていた。
「対するは、傭兵歴十五年にして闘技大会歴も十五年。最高成績は準決勝進出。歴戦の猛者ランベール!!」
全身に負ったいくつもの古傷が、彼の戦歴を物語っていた。
ランベールは丁寧に頭を下げると、油断なく大刀を構える。
小石丸は、落ち着きなく走り回りながらも、先ほどハチに言われた言葉を思い出していた。
それは――
「それでは、試合開始!!」
掛け声とともに、小石丸がランベールに向けて駆け出す。
目にも止まらぬ速さで、彼の右腕がランベールの腹に突き刺さった。
――試合前、きっと闘技大会のルールなど覚えられないであろう小石丸に、ハチはライカに涙を絞り出して貰いながら、これだけを伝えていた。
『試合開始――と言われたら全力で駆け寄って相手の腹に一撃入れてください』
ハチの作戦は当たり、歴戦の猛者ランベールは彼の十五年の闘技大会歴の中で初めて、手も足も出ずに初回敗退という経験することになった。




