商業都市ケアンテリア
カトル達の村ユナヴィルから、商業都市ケアンテリアまでは徒歩で約一日の距離である。
街道も整備されていて歩きやすく、馬車や人通りもそれなりに多い。
牛に空の台車を引かせている物売りらしき男性や、貴族らしき派手な馬車、荷馬車に乗った行商人等、様々な人間とすれ違う。
日が暮れる前につければいい――と思って早朝に出発したカトルは、自身の考えの甘さを思い知ることになった。
彼ら、この世界の人間は知らなかったのだ。
柴犬――という犬種の恐ろしさを。
「ぜぇ、ぜぇ、すまんカシム……少し休ませてくれ」
カトルの言葉に、ハチも息を切らしながら「わふっ」とほぼため息のような同意の鳴き声をあげる。
すでに二時間、走りどおしである。
小石丸はというと、背中にライカを背負ったまま汗ひとつかいていない。
「え、ご飯?」
「うん、もうご飯でいいから……休ませてくれ」
柴犬は、とにかく散歩が好きである。
そしてなにより、スタミナにあふれている。
小石丸は、朝の冷たい空気の中を楽しそうに走った。
すでに十時間かけるはずだった旅程の半分を過ぎていた。
「お肉! お肉!」
多分しっぽがあったらぶんぶんと左右に振られていたであろうご機嫌さで、小石丸はカトルから干し肉を受け取る。
カトルとハチは――水を飲みながら道にへたり込んでいた。
「身長差があるとはいえ……カシムの体力は尋常じゃないな」
干し肉を口に咥えながらぐるぐる走り回る小石丸を見て、ライカは『さすが御前様なのよ』なんて言っているが、カトルには届かない。
コカトリスと戦った時の傷も打ち身程度で大したことは無く、毒も“アルラウネの涙”ですっかり消えているから食事をして一晩寝たことで体力は回復したと思っていた。
実際、体に不調は感じない。
なのに、ついていくだけで精いっぱいである。
「やっぱり強くならなきゃな……」
カトルの呟きに、隣で座り込んでいたハチも小さく頷いた。
言葉が通じれば気の合う奴だろうな――なんて、カトルは思うようになっていた。
「ねえ、カトル! ハチ! 見て、捕まえた!!」
小石丸が、うさぎの耳を掴んで嬉しそうにカトル達に見せる。
「お、うさぎじゃないか。宿についたら調理してもらおうか」
こいつは本当に体力の塊だなと、苦笑しつつも感心するカトルであった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
二度の休憩を挟んでほぼ全力で走り続け、十二時間を見ていた道程を、なんと五時間でケアンテリアまで走破してしまった。
町は石壁で囲まれていて、門番は立っているが出入りは自由なようで、多くの人たちが往来していた。
「もう……一歩も動けん…………」
『オレも……無理だ…………』
カトルとハチは門の中に入るなり、道のわきに座り込んでしまった。
『ひ、人がいっぱいなのよ……町、怖いのよ……』
門を入った瞬間、それまでとは全く違った景色が広がっていた。
馬車が数台はすれ違える広さの道の左右は、石造りの建物が並び、多くの人間たちが忙しなく行き来している。
道の奥の方を見ると、商店が立ち並んでいるようで、何人もの呼び込みの人間たちが競うように大声を張り上げている。
道の突きあたりには、ひと際巨大で絢爛な建物が見えた。
その奥には幾つかの塔。
歴史の古い都市らしく、古い建物もいくつも見えるが、中心部分は新しく生まれ変わっているようだ。
「すごい! カトル、ハチ、ライカ! 行こう!!」
現代日本の都市部に住んでいた小石丸は、大量の人間には見慣れている。
だが、西欧風の石造りの街並みは目新しく、彼の目には楽しそうに映った。
「……ま、待ってくれ。少し息を…………」
『同じく…………』
『人間多すぎて、少し酔っちゃったのよ……待ってなのよ御前様』
三者三様に動けないでいたが――もう小石丸の目には楽しそうな街並みしか映ってなかった。
彼は振り替えることなく走り出してしまった。
「なんて体力なんだ………ハチ、あとで匂いで追えるか?」
『カシム様の匂いなら……もう覚えてるから大丈夫だ』
カトルには「わんわん」としか聞こえないものの、雰囲気と身振り手振りでハチが何を言いたいか、なんとなく分かるようになっていた。
「まあカシムなら強いし、暴漢に襲われても返り討ちにできるから、一人にしても心配はないだろ……」
動けない彼らは、言葉とは裏腹に不安を覚えつつも後で追うことを誓いながら、瞬時に遠くなる小石丸の背中を見送った。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「串焼き、子羊の串焼きだよ! 二本で銅貨一枚!!」
「パン、焼き立てパンはいかが。歯のいらない柔らかさだよ!!」
「果物はいかが! 氷室で冷やしてたから新鮮そのものだよ!!」
いくつもの露店に、涎を流しながら見惚れる小石丸は、串焼きの店の前に立つ。
一口大に切り分けた肉を四つ、串にさして焼いただけのそれは、五時間走り続けた小石丸の腹の虫を刺激した。
店主にも聞こえるほどの音量で、腹が「ぐぅ」と鳴る。
「ははは。兄さん串焼き買うかい? 今日のはさっき絞めたばかりの肉だから新鮮で旨いよ」
「食べる!!」
「よし、銅貨一枚ね」
右手を出す店主に、“お手”で返す小石丸。
「おいおい兄さん。お金だよお金」
店主は小石丸に銅貨を一枚見せる。
小石丸の食欲を司る脳の領域がフル稼働して、奇跡的に答えを導き出した。
――そういえば村を出るとき、似たようなキラキラしたものを渡された!
彼は懐から、カトルに渡された銀貨を一枚取り出す。
「お金、これ?」
「そう、ってこれ銀貨じゃないか」
「え、お肉食べれない?」
「いやいや、全然足りるさ! 何本欲しいんだい?」
「何本……? いっぱい!!」
店主は満面の笑顔で、銀貨一枚を懐に入れると――銀貨一枚分、二十本の串焼きを紙袋に入れて小石丸に手渡す。
そして、さらにもう一本手に持って、直接差し出す。
「たくさん買ってくれたからな、一本おまけだ!!」
「ありがとう!!!」
両手に抱えるほどの肉である。
キラキラと明るい星が飛んでいるのを幻視するほどの満面の笑みで、小石丸はお礼を言ってその場をあとにした。
そのやり取りを見ていた人間がいたことに、小石丸は気付かなかった。
商業都市ケアンテリアは、西に行けば王都グレートデーン、南は港町ウィペット、西はフェリス神聖国との防衛拠点である城塞都市コトン・ド・テュレアールと、重要都市を繋ぐ交易の要所として発展した町である。
多くの物資と富が集まり、富が集まる場所には人も集まる。
大きな商会との冒険者契約を求めて、腕自慢も集まる。
お金の動きと人の動きが大きいという事は、商売に失敗した人間や一獲千金を夢見て敗れた人間など、物乞いや犯罪者などを多く生み出すことにもなる。
肉を買って満足顔の小石丸は、ゆっくり食べるために、無意識に人気のない道に入り込んでいた。
「なあ、兄ちゃん。俺たちにも分けてくれよ」
「いいよ?」
どうやらスラムに迷い込んだようである。
荒くれた男たち三人に囲まれる。
とはいえ肉は二十一本もある。
三本あげても、まだいっぱい残る。
小石丸は男たちに一本ずつ手渡すとその場を去ろうとした。
「おい。なめてんのか。全部置いてけ。ついでに金目のものもな!!」
一人の男が小石丸の肩を掴む。
不運だったとしか言い様がない。
小石丸が、ちょうど口に入れようとした肉が、口元からポロリと落ちた。
もともと犬である小石丸は、気にせず拾って食べようとしたが男はなんとその肉を踏み潰した。
「なあ聞いてるのか兄ちゃん。死にたくなかったら全部置いてけ」
痛い目を見せてやる、とばかりに男が殴りかかってくる。
だが、小石丸の相手ではなかった。
「……お肉、踏んだ!!」
左手に肉の袋を抱えたまま、殴りかかって来た男の腹に右手で一発。
残りの二人の男も、ナイフを構えて振りかざしてきたが、難なく躱して顎と脇腹に一発ずつ。
コカトリスを素手で殴り倒す小石丸の突きが、男たちに突き刺さった。
暴漢たちは全員一撃で気絶。瞬殺である。
やはりそれを見ていた、視線が一つあった。
視線の主は、小石丸を見ながらつぶやく。
「――これは、使えるかもしれません」
商業都市ケアンテリア。
商人たちが知恵を武器に“金”という命を奪い合う権謀術数渦巻くこの都市で、元柴犬はちゃんと生きていけるのだろうか。
町にある大聖堂の鐘が、正午を告げるために十二回鳴った。
小石丸はその美しい音色に耳を澄ませながら、もう一本串焼きを取り出し、豪快に頬張るのだった。




