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勇者、柴犬―飼い犬が異世界に転生して飼い主を探すようです―  作者: konzy
煩悩の犬は追えども去らず
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魔王を倒すべき神使の悪魔

「おや、なぜ私は睨まれてるんでしょうか。怖いですねえ」


羽場土海禰は、小石丸の人間になった姿を知らない。

だから、突然向けられた鋭い視線に戸惑いつつ、困ったような笑みを顔に貼り付けていた。


この匂いは忘れられない。


(こいつが、陽くんとおれを、殺した――!!)


柴犬だったころと同じ金髪を逆立てる勢いで、海禰を睨みつけている。

以前の小石丸なら飛びかかっていただろう。

一度殺されたことによって、警戒心が強く働いていた。


今までにない小石丸の剣呑な空気に、ハチは警戒を強め、ライカは離れて地面に逃げる。

唯一人間側であるカトルだけが、戸惑いながらも冷静に口を開く。


「なあ、あんたカシムの知り合いか?」


海禰は「ふむ」と呟いて、思案顔を“作る”。


「カシムさんですか。知らない方ですねえ。そもそも私、こちらの世界――国に知り合いなどいない筈なんですが」


自殺後に異世界転生して、魔王討伐に送り込まれたので――などという事はおくびにも出さず。

コボルトのハチと威嚇を続ける小石丸、探るような視線を向けるカトルを見回した海禰は、心底感心したように呟く。


「ふむ、本当にファンタジーの世界に来たようだ。転生直後に敵意を向けられるとは思わなかったが」


小石丸の鼻は、ある程度人間の感情を匂いで推量することができる。

人間に飼われていた飼い犬ならではの能力なのか、柴犬時代からなんとなく分かった。


だが目の前の人間はどうだ。

まったく感情の揺れが感じられない。


笑顔であっても、困ったような顔をしても、こちらが敵意を向けても――なにも感じられない。

ハチですら、相手の異常さを感じているようで見えないように懐のナイフを掴んでいる。


「会話が出来るようなら良し、金や食料を持ってるならなお良しと思って話しかけましたが、最初に出会った方たちにこれほど警戒されるとは」


風上にいる海禰から、彼の匂いが明確に伝わってくる。

特別な感情は、なにも感じられない。

目でみても変化が感じられない。

目の前にいて、匂いもあって肉体もあり声もするのに、人間らしい温かみが感じられない。


明らかに、陽やカトルとは違った人間がそこに立っている。


「お前、なぜ来た!!」


相手の出方が解らない以上、飛びかかるわけにはいかないと小石丸の警戒心が最大限の警鐘を鳴らす。


「なぜって――言ってわかるんでしょうか。私はね、魔王を倒しに来たんですよ。この世界の神に頼まれて」


『神だって……? 何を言ってるんだ!?』


すでに警戒心を隠していないハチが叫ぶ。


カトルには「ワオオオオン!!」という威嚇の遠吠えにしか聞こえないその声に、海禰は笑みを深くした。


「おお、これはこれは。魔物とも会話できるなんて。さすが神の“言語能力”」


海禰は確かにそこにいるのに、妙に声が遠く感じる。

小石丸以外に、コボルトの言葉が理解できる人間がいるとは。

いや、そもそも魔物の言葉が解る人間が短時間に二人も現れるなんて、理解の外だった。


『お前もオレ達の言葉が解るのか』


この国に、いや、世界に何が起きている。


人一倍危機に敏感なライカは、すでに遠くに離れたようだ。

カトルも男の異様な雰囲気に警戒を強くしていた。


「言葉、分かりますよ。良いですねえ。ファンタジー世界最高だ」


ゆらりと、海禰の姿が揺れた――ように見えた。





「魔物は死ぬとき、どんな言葉を吐いてくれるんでしょうか」





声は、ハチの耳元から聴こえた。

首元にひやりと何かが突き付けられる。


死んだ、と思った。

だが、聞こえてきたのは海禰の残念そうな声だった。


「ああ、そういえば何も武器を持ってないんでした。残念」


ハチとカトルには、男の動きが見えなかった。

先ほどまで少し離れた場所にいたではないか。


左手を首筋に突き付けられたハチの頬から冷や汗が流れる。


――小石丸の、我慢の限界が来た。


彼は海禰に向けて、人間離れした速度で突進する。

右拳が、海禰の腹を捉えた――ように見えた。


「なんてスピードですか。怖いですねえ」


次は音もなく、カトルの横に立っていた。


「う、うおっ、こんな近くに!?」


「つくづく、ナイフすらないのが惜しいですねえ」


突然、真横に現れた海禰から飛びのくカトルを見もせずに、残念そうに嘆息する。


おかしい。


ハチだってスピードには自信がある。

骨格的にも種族的にも、腕力には期待できなかったから、とにかく速度とナイフ遣いを鍛えた。

動体視力にも自信があった。


なにより、コカトリスに圧倒的強さを発揮した小石丸すら、海禰の動きについていけていない。


(見えないほどの超高速で動いている? 人間が?)


小石丸の鼻は、確かに違和感を捉えていた。

カトルの後ろに現れた海禰は、確かにそこに見える。


なのに。



――匂いだけ、移動してる?



自分と陽を殺した最大の敵である海禰を前にして、警戒心と敵愾心が小石丸の鼻を曇らせていた。

犬の頃の彼なら、もっと嗅覚を信用していたはずで、ここまで惑わされなかったはずだ。


男は確かにそこに見えるのに、そこにはいない。



『気を付けるのよ!! 多分その男、幻覚使いなのよ!!!』



ライカの声が響き渡る。


植物にも、幻覚を見せて動物を養分にする魔物がいる。

その知識が、少し離れたところで様子を見ていたライカに気付かせた。


カトルの後ろにいた海禰は瞬時に消え、全方位から笑い声が響き渡る。


「もう一人いたんですね、これは――楽しみだ」


海禰は、元いた場所から動いていなかった。

寸分たがわず同じところに現れた男に、カトルは小さな叫び声をあげる。


「幻覚を使う人間だと? そんなのどうやって戦えばいいんだ!?」


見えた場所にはいない。声もいたるところから聴こえる。

しかも気付けば隣にいて、移動を察することもできない。


普通の人間には勝ち目がない。


優位を確信してか、今まで表情に感情が感じられなかった海禰の口元に、薄い二日月の笑みがこぼれていた。


「神からもらった幻覚の力、もうバレるんですか。もっと使い方の研鑽が必要ですね」


妙に芝居がかった所作で、海禰は空を見上げる。


「魔王を倒したら、世界を好きにしていいんですよね。神様」


口元の笑みが深くなる。


ハチも、カトルも、ライカも、あまりに禍々しい笑みに凍り付いたように動けない。

これほど強い悪意を身に宿した人間がいるなんて。

彼らの心が、海禰とはかかわってはいけないと、拒絶反応に悲鳴をあげていた。


ただ、小石丸だけは違った。

彼だけ、この悪意に一度さらされている。


だから。



小石丸は、惑わされないように目を閉じた。


「目に頼れないなら目を閉じて、心眼に頼ろうとても言うつもりですか? いいですねえファンタジー」


海禰の言葉に、小石丸は首を横に振る。


「違う。匂い、だ!!」


彼は叫ぶと同時に、誰もいない場所に向けて走り、何もない空間に右手を突きだした。


「幻覚、匂い、消せてない!」


何もいなかったはずの空間に海禰が現れ、小石丸の突きは頬にしっかりと刺さっていた。

彼は口から血を流して数メートルは後ろに吹き飛ぶ。


「がはっ! この速度と威力。それにそこの犬の魔物(コボルト)より鋭敏な嗅覚に私への敵意……何者ですか貴方……」


「――おれは、元柴犬。小石丸、だ!!」


「小石丸――ああ、あの犬ですか、なるほど」


以前、治療をした時のことを思い出しながら、そして右足に噛みつかれた傷痕の痛みを噛み締めながら、海禰は立ち上がる。


そして、小石丸にゆっくりと近づき――


「私、動物を殺す趣味はないんですよ」


小石丸の鼻に向け、口から血を吐く。

そしてそのまま――消えてしまった。


鼻についた血の匂いが、完全に海禰を見失わせたのだった。

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