第2章 1話 烈火
——熱かった。
とてつもない熱さが全身を襲うと同時に、ソレはこの世に生まれ落ちた。
鉄の味が口の中で広がる。温かくて赤い液体に、全身が濡れていた。
やがて、鋭利な爪を持った腕に抱き上げられ、赤い液体溜まりから引き上げられた。ジュルリ、と唾液をすする音が聞こえた後、鋭い歯が並ぶ口内が眼前に迫る。
『赤子ハ、コノ上ナイ、極上ノ——』
生まれたばかりのソレにとって、命の危機であるという現状が理解できるわけもなければ、自身を食べようとしている化け物——悪鬼が自身の父親だとは知る由もない。
しかし、結論から言ってしまえば、ソレは生き残った。
次の瞬間——前触れもなく、親である悪鬼がかき消されたのだ。爪の一枚、血痕一つとすら残らなかった。まるで……その場には、元から何も存在しなかったかのように。
「……」
かくしてソレは、獄炎の世界に取り残される。
腹を裂かれて絶命し、苦悶の表情で焼き焦がされ続ける、人間である母の遺体とともに。
——
「——っ‼」
(苦しい…)
ガタゴトと揺れる馬車。その車内でのことである。
少年の顔面は、少女が強く息を吞む音とともに押し付けられた。柔らかくて温かい、かすかな膨らみに。
15歳のである少女リィの、発育が乏しい板のような胸に、である。
大きなため息を漏らしたのは、セルケトだった。
「こら、ウィルが可愛いのは分かるけど。そんなに女の武器を押し付けないの。煩悩で脳殺する前に、窒息死しちゃうわよ」
「ご、ごめん……ウィル。こ、…こんなに可愛い生物、今まで逢ったことがなかったから……」
「う、うん。別にいいけど……少し苦しい……かな」
「本当に……ごめんなさい!」
と、顔を申し訳なさそうに歪めながら、頭の裏に伸びてきたリィの両腕によって、少年の顔面は、またもや小さな隆起に押し付けられている。
ちなみに……。5歳の少年であるウィルに、男の欲望が詰まったような現状を飛び上がって喜ぶような欲はない。
いい匂いはするし、リィから向けられる好意は素直に嬉しいのだが…、息のしずらい苦しさで±〇程度。
ウィルが思春期を迎えるには、もう少しだけ年月が必要だった。
セルケトはそんな光景を第三者視点で眺め、小さな溜息をもう一つついた後、窓から外の景色を眺めながら続けた。
「ま、気を抜きすぎない程度のリラックスは大切なことよ。運よく、前の街で馬車を捕まえることはできたけれど、【神英騎士団】の追手は必ずやってくる。いつ襲われてもおかしくないし、【闇の騎士】の基地についたらついたで、あなたを試す【鬼力試練】が待っているわ。気を抜けるのは、今のうちだけかもしれないもの」
「……はい」
リィが、たちまち視線を落とす。
ウィルから見ると、彼女は今、自身のせいで追手のいる現状を申し訳なく思っているように見えた。
リィが小さく、「しっかりしなきゃダメだ、しっかりしなきゃダメだ」と呟く。
(リィのお姉ちゃんは、優しくてしっかり者な気がするけど……、優しすぎるのかな? よく暗い顔をしている気がする)
ウィルは思考を巡らす。
そして、出会ってからここまで何度かそうしてきたように、リィに慰めの言葉を投げ——ようとした。
「リィお姉ちゃん。大丈夫。千面鬼を出し抜いたリィお姉ちゃんなら——」
馬車全体を、強烈な衝撃が走った。
慰めは中断され、世界がひっくり返り、胃がめちゃくちゃに反転し——たところで、セルケトに抱き留められていた。目を回して混乱するリィも、同じ筋骨隆々な腕の中にあった。
「噂をしてたら、なんとやらね」
馬車の回転が、地面への強烈な激突ともに終了すると——瞬く間に車内が燃え上がって、視界が紅炎に包み込まれた。
——熱かった。
この世に生まれ落ちた、あの日のように。




