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第12話 反撃の風

 リィは咄嗟に、炎を吹きだしていた。

 虚空から炎を生み出す。千面鬼の顔面へ向けて。

 燃え盛った炎は、自分でないものを見ていた醜い笑顔を飲み込む。

 その間、二秒。リィは体を捻って腕から離脱しようとしたが、千面鬼の腕がガッチリと摑んで離さない。いくらもがいても無駄だった。逃れようとすればするほど、

 炎が晴れる。そこには、もうグリムスの顔などなかった。

 黒ずみ、ミイラのようにしわがれた肌。瞳は、瞳孔と白眼の区別がない真っ黒。鼻があるべき場所は平で、二つの小さな穴が開いているのみ。耳は青黒く、大きさが赤子のように小さい。

(もしかして……千面鬼の素顔⁉)

 口調ごと、変わっていた。

「調子に乗らぬことだな、ローサの娘。……幻惑は幻惑でも、いつでも現実にできる幻だということを忘れるな」

「——っ‼」

 痛烈な痛みが右肩を襲う。

突風とともに、鋭利な刃に裂かれたような激痛が襲ったのだ。

 その肩から、ドッと液体が流れだしていく。見るまでもなかった。何事かと動かそうとした右腕に感覚がないのだ。右腕を右肩ごと、風の刃に裂かれた。

 恐慌状態に陥いる。

(痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い——)

「安心しろ。腕無しの鬼力使いなど仲間に引き入れるつもりもない。いずれ直してやろう。まあ……貴様の心が、我に心からの忠誠を誓った時に、だがな」

 頭の中は、痛みと命の危機に対するサイレンでいっぱいだった。

(誓ったのに。ローサを後悔させないって。幸せになってやるって‼)

 なのに、目を覚ませば、絶望の元凶が目の前にいる。

 冷静になろうと周囲を見回せば、更に状況が悪化していることに気が付いた。

 まず、セルケト。

 彼は千面鬼の部下である二体の悪鬼を相手に、抗っていた。そう、戦っていたとか、立ち回っていたと表現するには嘘になる。

 なぜなら、右足が膝から下がなく、左腕に至っては千切られ、まさに悪鬼の片方に食されている最中だったのだ。

 足がなければ、当然セルケトは地面を這いずるしかなく、飛び掛かってくる悪鬼二体に炎や突風を放って追い払っている。が、悪鬼たちは燃えても吹き飛ばされても何度も立ち上がり、傷を再生し、攻撃をかいくぐってセルケトの体にかじりつく。そのたびに、セルケトは残っている腕を振るって、かじりつく悪鬼たちを吹き飛ばした。

 だが、それを繰り返しているのだから、体は見るも無残だ。悪鬼たちがじゃれるように余裕をもって飛び掛かっていくのに対し、セルケトの命はもはや風前の灯と思えた。

 セルケトの右足の膝から先がないのは、千面鬼が風の刃で切り裂いたものだろう。結果、セルケトは悪鬼二体と戦いともいえない無駄な抵抗を繰り広げている。

 そして、ウィルの方はといえば——、真っ赤な血だまりに伏していた。

 爆弾が炸裂したかのような、丸いクレーターの中心に突っ伏していて、夥しい量の血を流し続けている。その血はわき腹の刺し傷から止まらずに流れていて、明らかに致死量を超えていた。

 リィの顔から血の気が引いていく。

 確かに自分が死んだ光景は、幻だった。

 けれど、自分が死んでいないこと以外は、むしろ現実の方がは状況が悪い。幻の中の方がマシだった。

 先ほどの千面鬼のセリフが、醜い笑顔とともにフラッシュバックする。


『……幻惑は幻惑でも、いつでも現実にできる幻だということを忘れるな』


 ブラフでも、脅しでもなく、本当にそうなのだろう。千面鬼がその気になれば、リィもセルケトもウィルも一瞬で首から先を消し飛ばされてしまう。

(そうしないのは、千面鬼のきまぐれ? それとも……?)

 醜い千面鬼が、高笑いを上げている。

 リィは炎を吹きだして焼こうと何度も試すも、謎の力に抵抗されて炎を生み出すことができない。すぐに分かった。千面鬼が、鬼力で炎を発生させようとしている地点の酸素を奪っているのだ。真空では、炎は燃え上がらない。

 セルケトがついに、顔面から悪鬼にかじりつかれてしまう。じたばたともがきつつ、振り払うも、かじり取られた右目から多量の血が流れだしていて、明らかに弱り切っている。悪鬼たちはますます果敢に、セルケトへ飛び掛かる。

「なんで……なんで、ウィルじゃなくって、才能のない私を仲間に引き入れようとするの?」

「クククク……千の顔を持ち、優秀なる頭脳で全てを手玉に取る、我のようなペテン師の言葉を信じたか。青いな、ローサの娘――リィよ。リィ、確かに貴様には普通程度の才能しかないかもしれない。だが、ウィルという少年にはもっと才能がない。あやつの力は、鬼力でありながら鬼力ではない。我々悪鬼の仲間に引き入れるには、あまりにも危険すぎるのだよ」

「でも、そうだとしても——」


「千面鬼が生み出した、獄炎の中を生き残った!」

 

 遮ったのは、セルケトの声だった。悪鬼たちを必死に吹き飛ばし、振り払い、口の端から血を流しながら、息堰切ってセルケトが叫んでいた。


「私にも正直分からないわ。けれど、かの千面鬼があなたを引き入れようとしている。それは——」 


「リィ、あなたの中にそれだけの力があるってことよ。口では何と言おうと、千面鬼が実力のない鬼力の使い手を味方に引き入れることはない」


「リィ——あなたの中の力を信じて‼」


(私の中に……力がある?)

 悪鬼の一体が突然肥大化する。巨大な質量を持った球体となったそれは、身動きの取れないセルケトの頭上から落下。セルケトの上に落下し、セルケトを押しつぶす。

 リィは焦りを覚えつつも、セルケトの言葉を思い返していた。

(千面鬼はペテン師……。もし、あの日屋敷を焼いた炎が、私ごと葬り去ろうとしていた炎だったら? 私が生き残ったからこそ、【闇騎士】たちを引きずり出すための罠に使用しようと方向転換したのだとしたら?)


『リィ、あなたぐらいの鬼力であれば、ちょっと修練を積めば炎を出す以外にもいろんなことができるようになるはずよ。あるいは、この戦いでもできるかもしれないわ』


 鬼力は炎を出すだけの力じゃない。鬼力のコントロールに修練が必要だとしても、私の中に千面鬼も引き入れたい何かしらの才能があるのだとすれば……。

 

『リィ——あなたの中の力を信じて‼』


 リィは、集中する。何に、というわけでもない。ただ目を閉じ、無我の境地に達し、心の中で虚空を見つめ続ける。

 酸素を奪われて、炎を繰り出せない。ならば——。

 リィは、自身の中にある深淵へと潜っていく。

そして、相対した。あの日、あの屋敷、あの業火の中で嘲笑ってきた謎の影と。

影が、ニタァとあの日のように笑みを見せた。

「案ずるでない、リィよ。才能がある、ないの問題ではない。我に対し、人間の身ではどうあがいても——」

 言葉が中断される。

 否、言葉を発することができなくなったのだ。

 千面鬼の頭が宙を舞っていた。赤黒い血を吹きだし、クルクルと旋回しながら。

 貫き、引き裂いたのは、リィが発現した『黒き風の刃』。



 酸素がなくとも、風ならば発現できる。

 だが、それは風を操ることができるならば、だ。ましてや、不意打ちであるとはいえ【鬼将軍(デーモンズ)】である千面鬼の首を切断するとなれば、とてつもない鬼力を込めた一撃が必要である。

 本来、それを覚醒したての鬼力の使い手が思いの強さや、集中力でどうにか発現することは不可能。

 リィには——まだ誰にも分からない、鬼力(デラ)の才能が備わっていた。

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