第10話 漆黒
目の前で起こっている出来事が妙に遠い出来事のように思えた。例えるならば、寝ている時に見る夢の中に似ている。
出来事の何もかもが急展開していって、そして真っ暗闇だけが少女の目の前に広がる。
(私……死んだんだ)
心が絶望に染まり、死んだという現実にどうしようもない悲壮感を覚える——のが正常なのだろうが、どうにも感情が一部欠落しているように思える。やっぱり夢の中のできごとのようなのだ。悲しんでいる自分もいるのに、それを第三者視点から俯瞰的に観察している自分もいる。
そして、突然世界が真っ赤に燃え上がった。
どこまでも広がる空間に、突如見渡す限りの火が出現したのだ。もだえ苦しむ、無数の真っ黒な人影たちと一緒に。
(この人影って、あの時私を絞め殺そうとした……って、あれ……? そういえば、熱くない……)
リィの周囲で苦しむ真っ黒な人間たちは、明らかに熱さで苦しんでいる。けれども、リィだけは何も感じなかった。屋敷で火事が起きた日と同じように。先ほど体験した、死の瞬間と同じように。
(今まで起こったことが……全部、夢……?……なわけないか)
あの日、屋敷で起こった出来事から全てが夢だったと考えられるなら、どれだけ楽だろうか。屋敷での虐げられる日々も、悪鬼や千面鬼の恐ろしさを前にすれば、ぬるま湯にすら思える。
(……むしろ、ローサが死んだあの日から、全部夢だったらいいのにな)
あの日まで、リィは本当に幸せだった。いや、その頃は当たり前の日常だから、そう感じていたわけでもないけれど、苦しさや辛さを経験すればするほど、あの日々がどれだけ幸福な日々だったか思い知らされる。
戻りたくなる。後悔する。他の選択肢はなかったか、と模索してしまう。死にたいと思ってしまう。
(そうだ……死ねたんだ)
ずっと死にたいとも思っていたはずだ。その痛みや苦しみを恐れて逃げていたけれど、死は今のリィが最も求めていたものだったじゃないんだろうか?
ローサにも会えるんじゃないだろうか……?
と、思っていたら、突然場面が転換されて花畑にいた。
一面に広がる色とりどりの花々とサンサンと輝く太陽。そして、その中心で微笑むローサ。
「こっちにいらっしゃい……リィ」
「……?」
リィは、ローサの顔に影がかっていて、表情が読み取れないことに気が付く。
感動の再会のはずなのに、心が揺り動かされない。さっきから、急展開なんてレベルじゃないのだ。
死後の世界にしても、あまりにも——おかしすぎる。
『……私に会いに来るのは早いわ、リィ』
「え……?」
気が付いたら、今度はまた真っ暗闇な空間に立っていて——グリムスの姿を借りた千面鬼がその真ん中で高笑いを上げていた。
聞こえてきた声は明らかにセルケトのものじゃない、というよりかはローサのもので、だからリィは必死に姿を探す。
花畑でローサを見た時とはまるで違う。
とにかく、渇望して。迷子になった子供が、親の姿を探して焦るように。
一周視界を回して、上を見て、下を見て——どこにもいない。
「ローサ、ローサ‼」
『私たちの仲間になりなさい、リィ……。私やセルケトたちの仲間に……』
「え……?」
声は反響して聞こえていた。頭の中で響いている気もする。……というか、どっちでもあってどっちでもなくって、むしろどこか遠くから聞こえてくる気だってする。
けれど、リィは必死に姿を探す。
どこまでもどこまでも漆黒が広がっているだけの空間。そんなことしたって無駄だって分かってるのに、心が求めて求めてやまない。彼女の存在を。大好きなローサという存在を。
『私たちの仲間に……』
「そこに……いるの?」
そして、リィは虚空を見つめてそういった。
そこには何もない。同じ真っ暗闇が広がっているだけで、言葉がそこから響いてくるわけでもなくて、周囲と何も変わらない。
……けど、わかる。感じる。そこに——いる。
ローサがゆっくりと近づいてくる気配がした。
リィは、闇を見つめてゴクリと喉を鳴らす。ポンッと頭を撫でられた感触がした。
『今まで……苦労をかけて、ごめんなさいね』
「……っ‼」
触れられている頭の部分から熱がじんわりと広がっていく。目頭が熱くなって、涙がこぼれてくる。
リィが経験してきた出来事は、15歳の少女には荷が重いなんてものじゃない。常軌を逸した地獄だ。リィが先ほど見た炎の地獄すら可愛く思えてしまうくらいに。
辛いことと苦しいことを経験しすぎて、心が麻痺してしまっていただけだ。それでも死ねずにいた。死なずに、何かを待っていた。
待っていたのはたぶん……この瞬間だったのだろう。
『幸せにしてあげられなくてごめんなさい。一緒にいてあげられなくてごめんなさい。本当の本当に……ごめんなさい』
「うゔん‼」
『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……——』
ローサの気配が瞬く間に消えていく。怨嗟のような後悔を残して消えていく。でも、リィの心は温まっていた。ローサだ。あれは、間違いなくローサだった。
(ローサはやっぱり……悪い人なんかじゃなかった——‼)
この不可思議な空間で出会っただけでも充分だった。姿が見えなくとも、その声がどこから届いているのか分からなくても構わなかった。
きっと、リィから見えなくても、ずっとローサは近くで見守ってくれていたのだ。リィが苦しむ姿に後悔を覚えていたのだ。
「大丈夫、ローサ。大丈夫」
(それだけで私は前に進める——)
そんな気がした。知らずに知らずに空いていた心の穴を、ローサが埋めてくれた気がした。
リィは決意する。終わらないことを。セルケトたち——正体不明の【闇騎士】(シャドー・ナイト)たちの仲間となって、生きていくことを。




