第一章 セカイ
―――初めて会ったとき
こんなに綺麗で、
こんなに汚くて、
こんなに美しくて、
こんなに醜くて、
こんなに澄んでいて、
こんなに濁っていて、
こんなに楽しげで、
こんなに哀しげで、
こんなに、
こんなに、禍々しいモノは
他にないだろうと思った――……‥
「ってことでー悪いけど消えてもらいまーす」
「誰に言ってたんだよ。奴等に言葉なんかが通じるか」
既に住人は全員避難を終えていて、そこには2つの人影が残るのみであった。
誰もいないはずの村であったが、確かに何者かの気配がする――それも複数の。
「そろそろ姿、表してもらおうか。こっちは早く帰りてぇんだ」
「あー自分が言葉通じるかってゆったのにー」
「うっさい。気分じゃ気分。さっさと片付けんぞ」
「へーへー」
ぼこり、と空間がゆれた。
どす黒いもやのようなものが次第に集まり、4つ足の獣の姿になる。
その猛々しい目が二人を捉え、
「ほら来るぞ」
先に背の高い方の男が飛び出した。
跳躍しつつ札のようなものを数枚同時に投げつける。
札は獣にあたると同時に白い閃光と共に爆ぜ、黒い血液が飛び散った。
「おー」
もう1人は相変わらずのんびりとした声で称賛のようなものを送る。
自分から動く気はさらさらないらしい。
そうやって立ち尽くしたままの少年を見逃すはずもなく、傷ついた獣は痛みに悶えながらもその巨体で襲いかかってきた。口から吐かれたどす黒い息吹によって視界が極端に遮られる。
「うわっこっち来たし。奚杞、何やってんだよー」
少年はぼやきながらも、一向に動く様子を見せない。
それどころか襲われているこの状態で、ふわぁっとやる気なさげな欠伸までしてみせる。
「てめぇ、ちょっとは自分で動けや」
奚杞、と呼ばれた長身の青年が再び背後から、今度は小太刀を投げつけた。
小太刀は見事に全て獣の首筋に刺さり、断末魔の叫びをあげて巨大な獣はその身を地に落とした―――
「……これでよしっと。おーい帰るぞー」
奚杞は盛土の上に杞札を立て柏手を一つ打つと、無造作に振り返った。
歳の頃は二十歳と少しばかり。長身痩躯だが、よく見ると鍛えられた体であることがわかる。短めでツンツンと立った黒髪を持ち、褐色の瞳は切れ長で平時であれば涼しげな印象を与えるが、今は相手を睨みつけるように細められていた。
「やぁっと終わった?疲れた〜眠い」
眼をこすりながら、よいしょっと少年が腰をあげる。
おそらく歳は十代半ばから後半くらいであろうが、小柄で痩せているので見ようによってはもう少し幼くも見える。怪我でもしているのか、左の腕は着物の袂にひっかけて脱力させていた。
「てめぇは何にもしてないだろーが」
「いやいや、こんな時間まで付き合ってやったじゃんか」
「この仕事、二人でやれと言い渡されたはずだが…?」
奚杞は諦めたように溜息を一つつくと、連れの頭をくしゃりと掻き乱して歩きだした。
珍しい、黄金色の髪。
光にあたると透けてしまいそうで、加減によっては白にも銀にも見える。それ自体が発光しているかのように輝く色。
その髪によくあった暗紫色の瞳は、闇のなかでも不思議に強い光を宿している。
この辺りでは奚杞の様な黒か茶の髪に褐色の瞳が一般的で、稀に北方出身の者に金髪碧眼がいるくらいである。
この国はおろか、世界中をまわってみても出会うことをなさそうな色だった。
「兎に角、明日もあるんだしさっさと帰って休むぞ。毎日毎日まったく…くぉらユタ!!道端で寝るな!」
夜の闇に二つの人影は消え、辺りには静寂が戻った。
―――80年前、このセカイは魔と交わり、混沌に堕ちた。
その80年後、暗いモノは押し込められ綺麗にかざられたセカイで人は生きる。
しかし、一度堕ちたセカイは戻らない。
以降セカイは混じり合い、濁ったままである。
人の業は其れほどまでに深く、しかしまた其れ故にセカイは美しい―――