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監禁宣言

目を、開ける。

 

 混雑する記憶に頭の中身と視界がぐるぐると回っている。控えめに言って最悪の目覚めだった。

 此処は、どこで、いつで、私は誰か。どこに到着すればいいのか解らない思考を、深呼吸しながらまとめていく。

 

 あれを、前世の記憶、と呼んでいいのかどうか。

 兎に角私には、小さな村で生まれ育った十年の歳月とは別の、教会で育てられた孤児であり、勇者の旅に同行した「雑用係」、「アニス」の記憶がある。

 村に時折訪れる宣教師様にそれとなく尋ねたところ、勇者の魔王討伐の旅自体は本当にあった、という証言がとれた。私が生まれるおおよそ五十年ほど前の話らしい。顔ぶれも同じ、おおまかな紆余曲折も同じ。ただ、あの日二人で交わした推測通り、史実に残らなかった「雑用係」と「暗殺者」の実在は解らず仕舞いだった。

 勇者の旅路自体は御伽噺として村にも伝わっている。赤ん坊の頃には寝物語に聞かされたこともあったそうだ。その内容を知らず覚えていた子供が、過酷な環境に耐え切れず、妄想で慰めを得ようと作り出した現実逃避ではないか、と、私はずっと「アニス」の記憶を疑っていた。心を病む心当たりならいくらでもある。

 それならそれで仕方ないけれど、困ったことに、脳裏に描き出されるそれらは作り物にしては鮮明すぎた。リアルで生々しく、今回のように夢に見たりすると、目覚めたときに今が現実か記憶の中か、とっさに判別がつかずに混乱してしまう。そのせいでお父さんの逆鱗に触れ、軽く地獄を見ることもしばしば――――


 お父さんは死んだ。


 「!」


 慌てて飛び起きる。瞬間、悲鳴をあげてしまった。


 「あぎっ、ん、うーっ………」

 

 ずきずき、じくじく、ぎりぎり。いたるところから全身を咀嚼する鈍痛、心臓と同じリズムで脈打つ痛みを、いつものように唇を噛み締めて耐える。

 全身真っ黒な少年がやってきて、お父さんを殺した。これは間違いない。

 そのあと家から連れ出され、殺すならここでお父さんと一緒に、と懇願して。それをなんだかよくわからない言葉で拒絶された、ような気がするが、夢だったのかもしれない。意識が途切れたらしく、そのあたりが曖昧だ。

 

 「ん、」

 

 ふと、自分の体を見下ろす。

 目に入ったのは着ていた筈の服ではなかった。白くてやわらかく、体を締め付けない独特のかたちは、「アニス」の記憶のおうの国で見たことがある気がする。ねまき、だったか。横たわっていた寝具も、おふとん、という、これまた桜の国の様式だ。

 そっと、絶えず痛みを訴える腹の辺りをめくってみると、白い包帯でぐるぐる巻きにされていた。え、こんなにする必要ある?というくらいの、執念すら感じるぐるぐる具合だ。息苦しいほどではないが、やわらかい筈の部位がなんだか固い。おそるおそる触れた頭部にも同様に治療の跡がある。

 体感的に、命が危なかったと思う。

 なのに生きている。

 どうやら私は誰かに、おそらくはあの人影に、命を救われたらしい。

 

 「お、起きてる起きてる」

 「……」

 

 噂もしていないのに、影がひょこりと顔を出した。

 寝具から遠く、私の真正面。これ見よがしに設置された一面の檻の隙間から、あの少年がこちらを見ている。黒布は被っていないけれど、なんだか薄暗い上に光源が私の傍にあるせいで、顔が見えない。

 

 「調子は?吐き気とか、頭痛とかあるか?」

 「…………」

 「……口が利けないって訳じゃないよな。声は出せてたし」

 

 何を言っていいのか解らない。し、正直、全身だるくて喋りたくもない。

 おふとんに上半身だけ起こした状態で、私はじっと青年を見つめた。それから周囲に目をやり、改めて観察する。

 全体的に薄暗く、静かで、音という音が乏しい部屋だ。部屋、というか……もしかしてこれ、牢屋……?私が知っている牢屋よりだいぶ豪華だけど……。

 壁も天井も木製。床には、緑のふしのあるカーペット。確か、たたみ、だったような。背の低い机や椅子、上品な箱のような木と紙の灯り、書棚、その他こまごました生活に必要なものが揃っていて、そのどれもが桜の国の仕様。あまり詳しくない私でも、凝った意匠が施されているそれらが安物ではないことは想像がつく。一見して派手ではないけれど、見れば見るほど惹きつけられるような品ばかり。どれもこれもきれいだった。桜の国の貴人の部屋はこんな感じだろうか。

 部屋の一面、廊下に面した壁が取り払われ、鉄格子が嵌め込まれてさえいなければ、素直にときめいていられたのに。


 「入るぞ」

 

 無言で観察に徹する私に業を煮やしたのか、青年が扉を開けて入ってくる。長い袖の中に鍵があるらしく、ちり、と金属が擦れる音がしただけで、実物は視認できなかった。

 私は息を殺してその様子を見つめた。

 その袖。だらりと下がった袖の中に、さまざまなものを仕込んでいた誰かを、知っている。

 耳をすませても、足音がしない。「五感で存在を捉えられるようじゃ三流以下だって」と、気負うでもなく言ってのけた「彼」に、ちょっと引いたこともあった。

 傍まで来ても、気配が薄い。ちょっと真似してみたくていろいろ教わって、まるでできなくていじけた「私」は、そりゃそーだろうと上機嫌に爆笑する「彼」に撫でまわされて、ますますいじけたっけ。

 す、と、僅かな衣擦れの音。おふとんの横に膝をついた少年の顔が近くにある。

 

 「久しぶり、アニス」


 久しぶり、なんかじゃ無い。

 生まれてこの方、アニスは彼に会ったことなどない。

 けれど、その顔を、目を、声を、しぐさを、よく知っている。「アニス」の記憶にしか存在しなかった彼。史実に残らない英雄。多くの土地、多くの戦い、多くの日々を共に過ごした少年。

 見知らぬ懐かしい少年は、記憶の通りの薄笑いを浮かべていて。


 「………、つば、き?」

 

 我ながら、弱弱しい声だった。あまりに小さく、あまりにか細い。

 

 「つばき……ほんとに、つばき?」

 「嬉しいね、覚えててくれたんだ」


 忘れる筈がない。私が夢を見るとき、「アニス」の記憶を覗くとき、視線の先にいるのはたいてい「ツバキ」だ。いつも飄々として、身軽で、輪の一歩外に佇んでいた少年。「アニス」はその横顔を常に目で追っていた。

 手袋越しの彼の手が、私の頬を包む。ひんやりとした体温が熱ぼけた私の体温を吸いとっていく。うっかり涙が出そうになって、あわてて深く息を吸った。

 

 「い、っう」


 じくり、と、疼きと痛みが爪を立てる。呻く私に、ツバキは眉根を寄せた。

 

 「無理するな、寝てろ。結構危なかったんだぞ、お前」

 「へ、き、なれて、る」

 

 そう、慣れている。とはいえ、痛いものは痛い。寝ていていいのなら喜んでそうしたいところだが、どうしても、今すぐ聞かなければ、糺さなければいけない事がひとつある。

 根性で顔をあげた。生理的な涙で滲んだ視界に、それでもしっかりを彼を捉える。


 「どうしておとうさんをころしたの」


 聞きたいことなら山ほどある。

 此処は何処なのか。私をどうするつもりなのか。君は誰なのか。「アニス」がよく知る「彼」そのものなのか。そうだとしたら、数十年前を舞台にした「記憶」は現実のものだったのか。なぜ、その登場人物だった彼が、あの頃と変わらない姿なのか。

 けれどそれらは後でもいい。何も気を抜けば倒れこんでしまいそうな現状で問わなくてもいい。

 でも、これだけは後回しにできない。

 お父さんを殺したのは、確かに彼なのだから。

 ツバキは表情を変えなかった。ただ、私たちの間を流れる空気だけが重く軋む。


 「自分の子供を死に掛けるまで殴るクズだ。殺して何が悪い」

 「……それ、りゆうじゃ、ない」

 

 睨みつける。ツバキの薄笑いは揺れもしない。


 「きみは、くずだから、なんて、りゆう、じゃ、ころさない。りゆうの、ない、ころしも、しない」

 「買い被りすぎだ。理由のない殺しなんざいくらでもやったよ。お前も何度か見ただろう」

 「みてない。ぜんぶ、りゆうは、あった」


 彼の殺人には理由がある。

 依頼されて受諾する契約殺人。その過程で必要が生じた護衛や身内、目撃者の始末。そしてもうひとつ、彼の中のルール、一種の線引きを誰かが越えた時に行われる。この三つの理由に則ってのみ、彼は他人の命を奪う。金で殺人を請け負う人殺しの作法、というものらしい。

 ただし、彼のルールを「アニス」は明確には理解していなかった。そういうものがある、と漠然と悟っていただけだ。いくつかは判明しているけれど、それが全てではない筈。だから、今回も、何らかのルールをお父さんが越えたんだろう。

 それが知りたい。

 

 「おしえて。なんで、おとうさんをころしたの」

 

 風も太陽も水もない暗がりで、自分の静かな鼓動と二人分の吐息だけを聞きながらツバキの返答を待った時間は、随分長かった気がする。

 体を蝕む痛みにも重くなる瞼にも耐えて待ち続け、ようやくツバキが口を開いた……と思ったら、吐き出されたのは言葉ではなく、長い長い、ながーーーーいため息だった。肺を空にする気か、吸いもせずひたすらはき続ける。

 ため息にもいろいろ種類があるけれど。これは、やたらじっとりとして、苦くて渋くて重くて辛い、とてもよくない類だ。

 

 「あの野郎、三枚に卸してやればよかった」

 

 背筋を、細い糸のような悪寒が伝う。

 ツバキからは、あの薄ら笑いが消えていた。

 代わりにそこにあったのは、子供が見たら一生のトラウマになりかねない、壮絶な真顔だ。「アニス」の記憶がなかったら、そして相手がツバキでなかったら、私だって遠慮なく悲鳴をあげて卒倒したのに。


 「ああまったく、殺しても殺し足りないとはこの事だ」

 「つばき……?」

 「しっかり根を張りやがって。害虫の方がまだ可愛げがある」

 

 伸ばされた指が、触れるか触れないかのあわいで私の唇をなぞる。とっさに噛み締めると、反して、彼の唇はうっすらと笑みを浮かべた。背筋がぴりぴりするような、歪んで尖った殺意の笑み。

 どこかぼやけていた現実感が帰ってきた。

 遅まきの警鐘が脳をがんがんと叩く。


 目の前の青年は妄想の産物ではない。


 お父さんを殺した、現実の殺人鬼だ。

 

 伸ばされた手に、とっさに体を捩り、目を強く瞑る。

 剣呑な殺意に肌がびりびりと震える。

 

 ――――殺される。


 「殺さないよ」

 

 ささやくように、彼は言った。

 首筋に吐息を感じる。

 

 「殺さない。そんなに怯えるなよ、傷つくだろ」

 

 背中をとん、とん、と軽く叩かれる。……宥めている、心算だろうか。

 怯えるなというなら、まるで弱らない殺気をひっこめてほしい。どうにか深呼吸を繰りかえし、体から力を抜くけれど、小刻みな震えはおさまらなかった。


 「まあ、殺す以外のコトはするけど」

 「え、」

 

 思わず見上げた顎を容赦なく掴まれた。えっ。

 とっさに身を引こうとするけれど、顎をがっつり固定されて身動ぎすらできなかった。痛みは与えない。けれど目を逸らすことは許さない。絶妙な力加減が言外に伝える意思に逆らえず、覗き込む緑の目を見つめる。


 「此処に居る限り、お前の命を保障する」


 甘く、甘く。糖蜜のようにひたすらに甘い声音に、何故か、腹の底からぞっとした。


 「誰にも害されない。俺がさせない。俺だって、お前が此処に居る限り何もしない。これ、床に敷いてある緑のこれな、畳って言うんだ。ただの板と違って汚すと手入れが大変でさ。だから、この上に居るなら、何もしない。……判った?」


 唇を噛み締め、おそるおそる頷く。ここで首を横に振る度胸はさすがにない。積極的に死にたい訳じゃない。

 ……ん?あれ?

 頷いてから改めて、言われた内容を吟味して。変な声が喉から出てきそうになって、噛み締めた唇に力をこめる。

 もしかして。まさかとは、思うけれど。

 この、鉄格子が嵌め込まれた、やたらきらびやかで薄暗いこの牢に、ずっといろ……というようなことを、言われたような。

 うかがうように見上げた先で、彼は変わらず微笑っている。完璧に繕った仮面のように。

 

 「変なところで勘がいいのはお前の美徳だよ」


 今。確実に、顔から血の気が一気に引いた。

 耳の奥で、さーっ、と、一気に血が移動する音がした錯覚さえした。がちんと硬直し、青ざめたであろう私の顔を、青ざめさせた張本人が覗き込む。緑の瞳が、私の中を、私の中の「アニス」を捉えて細められる。


 「この座敷牢から一歩でも出たら。その時は、何をされても仕方ないと思え」


 …………。

 ………………………………。




 やっぱり監禁宣言だこれ…………!!

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