いつかの欠片
正教国リエロット。この国にはかつて、「勇者」が存在した。
あるとき、魔族、魔獣、魔に連なるものの系譜が異様に栄え、反面、それらが齎す被害によって人々は酷く傷つけられた。魔界に新たに誕生した「魔王」が、本来群れることのない魔物を力づくで纏め上げ、人間の住まう土地への侵攻を開始した為だ。
「眠りの女神」を主神に戴き、その建国に女神の祝福を受けた国家リエロットに神託が下り、「勇者」、「聖者」、「戦士」、「魔法使い」が選出された。彼らは人が踏み入ることのできないとされている「魔界」へ「魔王」を討ち滅ぼすための旅に出、紆余曲折あり、見事に使命を果たした…………
「ってことになると思うよ、実際」
賑やかな酒場の隅でゴブレットを抱え、ちびちびと果汁を舐める「私」の言葉を、彼はふーんと適当に流した。
視線の先には飲めや歌えやと騒ぐ人々。そこに混ざる数名の男性、私達の仲間があちこちから絡み倒されてへろへろになっていくのを、未成年特権を振りかざして確保した安全席から、高みの見物としゃれ込んでいるところだった。鉱山を占拠していた魔物を駆除してくれた礼にと設けられた宴席だったけれど、とうの昔に建前は踏み倒され、気ままに飲みたいだけ飲み騒ぎたいだけ騒ぐ鉱山夫たちの独壇場になっている。
18歳以下飲酒厳禁の法を布いてくれてありがとうございます女神様……あーあー、教会自慢の「聖者」さまが法衣をしっちゃかめっちゃかにされて大変なことになってる……あれ染み抜きするの大変だからほどほどにしてほしい……楽しそうだからいいけど……。
「まあそうだろうなぁ、実際。魔王を勇者が打ち倒す。王道も王道の御伽噺の再来に、薄汚い「暗殺者」やお荷物の「雑用係」が同行してました、なんて、とてもじゃないがおねむの子供に聞かせられない」
「でしょー?わかってたし、わかるけど。わかるけど。こう、仲間外れにされたみたいで、なんかさびしくなっちゃって」
「なんだ、昼間からなーんか凹んでると思えば、そんなつまらんコト気にしてたのか」
「つまら……うん、まあ、君からすればつまんないことだろうけど」
そりゃあ彼には無縁の悩みだろうけど、言い方ってものがある。むくれてテーブルに懐く「私」を見下ろす、きゅうっと細められた眼差し、貼り付けたような薄ら笑いは、どう見たって面白がっているようにしか見えなかった。
花と神秘の国桜の僻地、魔性ひしめく怪の森、亡き者も畏れる人殺しどものふるさと。ひそやかな伝説として語られる暗殺者の里出身の彼は、こんな宴の席でも上から下まで黒かった。きもの、と呼ばれる桜の伝統衣装も、尻尾のようにひとつに纏められた、希少な夜色の髪も。そんな得意な、浮いて然るべき様相で、景色に異物感なく溶け込んでいる。
その順応性だけでもじゅうぶん恐ろしい、仲間でよかった、と、苦い顔をしていた「戦士」の顔がふと頭をよぎった。よぎっただけなので別段どうもしないけれど。
「そうだなぁ、俺も多少は残念かな。お前の華々しい活躍が後世に伝えられないのは」
「活躍?え、あったっけそんなの」
「いち、子供を庇って頭から藪に倒れこみ下着丸見え。に、川で苔で足が滑らせ転倒、のち、川流れ。さん、洗濯に使う薬液を間違えて全員の衣服がサクラ色。よん、知らん人間に渡されたニガガラシ入りの饅頭をなんの疑問もなく食べて悶絶――――」
「あーあーあーあーあー!!!!あー!!!!!!」
慌てて彼の口をふさぐ「私」、もっと言えば「私」の口から迸った奇声に、周囲の目が一斉に集中する。けれどほとんど同時に喧騒の中心、仲間たちにもなにかあったらしく、注目はすぐに逸れていった。
わなわなと震える「私」、にやにやしている彼の図は、残念ながらそう珍しい光景じゃない。この少年、嗜虐趣味の気があるらしく、事あるごとにあわてふためく「私」をそれはもういい笑顔で観察してくるのだ。
「それ活躍って言わない、ていうか、忘れて、忘れてっていったよね!?」
「ぷは。えー、俺そんなコト言われたっけー?」
「こんのっ…………!!」
指折り数えたすべての現場で大爆笑かましてくれた「暗殺者」を前に、がっくりとうな垂れる。
「こうなったら、教会式記憶消去方を試すしか……試すしかっ……!」
「何そのオモシロ技術、初耳。魔法?催眠?」
「斜め四十五度からフルスイング」
「なんという式ゆかしい物理的抹殺……教会は狂戦士の巣窟か……?」
「私達」は気安い仲だった。
親を亡くして以来教会で育てられた「私」は、人を殺すことがどれほどの罪か、骨身に刷り込むように教え込まれている。それに逆らい、あまつさえ殺人によって生計を立てている「暗殺者」である彼とは、本来、口も利かず、顔も合わせず、互いに無いものとして接するのが正しい。だというのに、実際はこの有様だ。
大人ばかりのパーティの中、歳が近かったのも敗因のひとつかもしれない。「私」は14、「彼」は、自称、のついた胡散臭い証言を信じるならば、16。20歳を超えているほかの方々と比べて格段に話しかけやすい。
おまけに幼い頃から修行の一環として一人旅をしていたという彼は、世間知らずの多い仲間達のなかでは物知りで、ちょっとした悩みや問題を打ち明けると、たいてい具体的な解決策を授けてくれる。そうして接点を多く持つと、当然、人となりにも触れる機会も多くなって、気づけばこうして軽口を叩き合う仲にまでなってしまった。
相変わらず人を手にかける選択に躊躇のない「彼」をまるごと受け入れることはできないが、嫌悪し続けることもできない。さりとて割り切ることもできない。自分の要領の悪さには、我ながら呆れてしまう。
「というか、活躍って言うなら君の方でしょ」
神託により望まれた御一人、外界を知らない生粋の「鳥」たる「聖者」さま。彼の方が不自由なさらないようにと派遣された世話係、兼、日常生活のこまごました問題を解決する「雑用係」は、明らかにいてもいなくてもいい余分だろう。特徴と言えば、生まれつき瞳の色が珍かな金色であることくらい。
だが彼は違う。仲間たちと同様、最前線で体を張っている。その功績が史実に残らないのは、「私」にとって不服な未来だった。その行いが、数え切れないほど多くの人の命を救った事実があるからだ。
「ん?いや、俺は歴史に名を残すなんて断固拒否だよ。気持ち悪いったらありゃしない」
「き、気持ち悪い?」
「噂は噂を呼ぶ。偏見は偏見を招く。美化は美化を唆す。それはもう俺じゃなくて名前だけの別人だろ。俺の名前の別人が我が物顔で俺を名乗るんだぞ、気持ち悪いだろう普通に」
わざとらしく顔をしかめる様子からは深刻さが微塵も感じられないけど、よくよく見ると目が一切笑っていなかった。本気で不快そうだ。こわい。名誉欲が薄いとかそういう問題じゃなかった。
通りかかった給仕に空いた皿を片付けさせた彼は、喧騒を超えて狂乱に片足を突っ込んだ酔っ払いの群れを眺めている。頬杖をつき、耳を傾けて。
せめてその姿が寂しそうなら「私」も腹を括れたのに、その目には一片の濁りもない。
幸福に笑う誰か、日々の喧騒を目を細めて俯瞰する姿は、聖堂の中心に佇む清廉な女神像に少し似ている。完璧な静寂を纏う特有の空気がそう思わせるのかもしれない。
笑って人を殺せる殺人鬼に女神を重ねるなんて冒涜、教会に知れたらどれほどの罰を受けるか予想もつかないので、硬く口を引き結んだ。沈黙は金。
「アニス」
「……なに?」
「俺で我慢しけ」
どっと歓声が湧き起こる。
「勇者」と「戦士」が額をぶつけて取っ組み合い、テーブルも椅子もジョッキも炭鉱夫も蹴散らして喧嘩をはじめていた。邪魔になったらしい腰の剣を、よれよれの法衣をかき寄せて後ずさる「聖者」さまに投げ渡し、互いの顔面めがけて容赦なく拳を振るう。
周りは止めるどころか煽り散らし、勝者予想の賭けがさらに熱を上げ、備え付けの胡椒瓶を手に面白おかしく実況し出し、触発されたのか笑顔で殴り合いはじめるものまで居た。酒場はまたたく間に戦場と化していた。
愉快な破壊音が絶えず轟いている。止めなくちゃいけない。止めなくちゃいけないのに、「私」に向けられた緑の瞳から、目をそらせない。
「仲間外れで寂しい、だっけ。生憎、理解も共感もしてやれないけど」
きれいだった。
人の命を奪う為に作られる剣を悪と断じる教会だって、装飾を凝らした宝剣で儀式を彩る。触れれば傷つく、そうと解っているのに惹き付けられる、悪と罪とを纏ってなお「きれい」な生き物が、静かに笑っている。
「私」の隣で。まるで、寄り添うみたいに。
「一緒に、仲間外れにはなってやれるよ」
その、言葉に。
「私」は、なんて答えたんだっけ……?
とおいむかしのお話。