14、読書感想文『シーシュポスの神話』を読んで
・カミュ 清水徹訳『シーシュポスの神話』新潮文庫
『シーシュポスの神話』という書籍名で出版されているが、この文庫本の中で『シーシュポスの神話』の占めるページ数は10ページほどしかない。けれど『シーシュポスの神話』の部分を読み解こうとするなら、そのほかの部分もすべて読まなければその資格はないという話を聞いたことがある。
それが本当ならば私に語る資格はない。ただ『シーシュポスの神話』の部分は何度も読んでいる。それは間違いない。
試験が終わってからは、よく作業着のポケットにこの文庫本を突っ込んで休憩中に読んでいる。
でもこの本は休憩中に読み進めるような本ではないように思う。私にとってはとても難解だ。
□□
シーシュポスはギリシア神話に登場する男性で、神々によって罰を与えられた。
地獄で、岩を山頂まで押し上げるというものだ。けれどその岩は山頂近くまで運ぶと自重で転がり落ちてしまう。そのため彼はこの作業を永遠に繰り返さなければならない。日本の『賽の河原』の話に似ていると言われている。
私は『シーシュポスの神話』の部分を理解できているとはけして言えない。
著者の方はこの罰を受けている間の彼の心境について想像されている。
大変恐れ多いことだが、私も同じように罰を受ける彼のことを想像することを許していただきたい。
□□
彼はどのような表情で転がる岩を見つめているのだろうか。
怒っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか、ため息をついているだろうか。それとも予定調和の地点まで辿り着いた達成感のようなものを感じているのだろうか。判らない。
彼は山を下りていく。私は彼に教えて頂きたいことが沢山ある。
「この徒労に終わってしまう行為をどう考えているのですか」
「償いだととらえているのか、あるいは意義ややりがいを感じておられるのか」
「どのような気持ちであなたは岩を押し上げているのですか」
「苦しんでいるのか、闘志を燃やしているのか、あるいは心を無にしておられるのか」
「もし、心を無にしているのだとしたら何かコツのようなものはあるのでしょうか」
訊いてみたい。教えて頂きたい。
無視されるだろうか。苦笑いされるだろうか。それともうるさいと殴られるだろうか。こんなのは不可能な話だ。彼と会って話すことなどできるはずもない。意味のない妄想だ。
私は妄想の中でさえ彼の答えを想像できないし、折角押し上げた岩が転がり落ちる様をどのような表情で見つめているのかも判らない。
彼は転がり落ちる岩を追って山を下りていく。また押し上げるためにだ。
□□
朝、目が覚める。布団から出るのが億劫だ。今日自分がしなければならない色々なことが無意味に感じる。昔からその傾向はあったが、歳をとって余計それが強くなっていることを感じる。頑張ったところで世間でもてはやされる幸せには手が届かないだろう、と思う。
それでも仕事をしないと食っていけないからと布団から出て、しばらくストーブの前でボーっとする。仕事を休もうかと考える。俺が休んでも大した問題はない。出勤時間ぎりぎりになるとセットしている腕時計のアラームが鳴る。
シーシュポスの神話のことを考える。
岩を見つめる彼の表情も判らない。彼がどのような心持でその岩をまた持ち上げるのかも判らない。
それでも彼は罰のための罰でしかないとしても、また岩を押し上げるために山を下りる。彼の心の裡は何一つ判らないが、それでも私の想像の中の彼は無意味に繰り返されると判っている罰から決して逃げない。
彼のことは判らない。でも彼は岩と罰から逃げなかったはずだ。その事実と想像の中の彼の背中に勇気をもらって仕事に行く。勝手に励まされている。
私はよく知りもしない彼のことを尊敬する。
もしかしたら彼は転がり落ちる石を見て微笑んでいるのだろうか。
※ もし本当に辛いのなら無理せず逃げてよいと思います。




