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電験三種と過ごした日々  作者: 37,5or9
20/52

10、2022年1月 同級生に置いて行かれる、スタグフレーション

※ 人の幸せを喜べない人が登場するので苦手な方はご注意ください。

2022,01,01(雪)


 知人(同級生)から年賀状が届いた。子供ができたらしい。正装の彼と奥さんそれに子供の写真が印刷されていた。他に届いた年賀状は2枚あったがどれも企業からのものだった。


 別の知人から新年の挨拶メールが届いていた。先に届いていた年賀状の写真を添付して返信した。するとさらに返信が返ってきて、そのメールには別の赤ん坊の写真が添付されていた。 


 どうやら彼の方も昨年、子宝に恵まれていたらしい。子育ては大変だと書いてあった。


 雪の降る中コンビニへ向かい、年賀状とついでにパンとカップ麺と缶コーヒーを買った。年賀状に絵を描き当然、おめでとうございます。健やかな成長をお祈りします的なことを書いて、ポストに投函するためまた外に出る。


 年賀状を添付してメールも返す。同じようなことを書いた。


□□


※ この部分、人として駄目な奴が出てきます。


 なんだかモヤモヤしていた。


 めでたいのは間違いない。祝福したいという気持ちはある、と思う。なのに別に……なんというか、俺あんまり関係なくないか? と思ってしまった。そんな報告されても、と。素直に人の幸せを祝えないのは人でなしと言われてしまうだろうか。


 羨んでいるのだろうか。彼らのようになりたいのだろうか。


 人の不幸が蜜の味とは思はない。でも人の幸せを見せられるのは正直辛いと思ってしまっていた。余裕がないのだろう。知人たちにも俺がこんな人間で申し訳ないと思う。


 焦りを感じた。皆どんどん変わっていく。自分だけ何もしてない。一人で勝手に追い込まれていく。


□□


 人の少なくなった(と思うだけ)1月3日、近所の神社に初詣に行った。

 おみくじを引くと、吉だった。去年も吉だった。すぐに結んで帰ったので、正確な言葉を覚えていないが、願い事は早めに動けば人の助けがあって叶うだろうとあった。家うつりは、よし。とあった。


□□

 

 オミクロンの流行り出す少し前、成人の日の前あたり、他県から先輩が遊びに来てくれた。


 なんか食べに行こうかという話になって、ラーメン屋に行くことになった。(電験三種と過ごした日々を読んで下さった方にはおなじみかもしれない、あのラーメン屋さんです)。実は2020年に電験三種の試験が終わった日に食べに行って、その後ずっと行っていなかった。


 店の前には最近流行りのラーメンの自販機ができていた。自販機の値段が800円だった。(値段は適当だと思ってください)記憶の中にあるラーメン(店の中で食べる)の値段も確か800円だったはず。同じ値段なら店で食べたいよなあ、自販機で買っても自分で作らないといけないわけだし、とか今から思えばあり得ない思考をしていた。


 もう1年以上間が空いていたので店の方は俺のことを忘れているだろうと思っていたけれど、声の感じから察するに覚えてくれていたようだった。寂しい人間なのでこういうのがすごく嬉しい。


 メニューを手渡されて、何かの見間違いかと驚いた。


 以前800円だったはずのラーメンが1000円になっていた。200円の値上げだ。思わず、声を出しそうになったが何とか堪えた。 お店の人だって好きで値上げをしているわけじゃないはずだから。

 そういうことか、と納得した。よく考えれば自販機と店で食べる値段が同じなわけがない。(普通そうです)


 これもコロナウイルスのせいか。この2年の間に飲食店もゲームセンターも結構閉まっていった。花火大会もないし、マスクもう一生とれないんだろうか。


 これがスタグフレーションか。賃金は上がらないのに、物価だけが上がっていく。映画料金もラーメンも牛丼も定食屋も消費税も上がっていく。もう終わりだよ、というやつだろうか。


 でも賃金は転職すれば上がる可能性がある。そのさきで昇給が約束されるかは判らないけれど。240万よりは上がるかもしれない。社会全体のことは変えられないが、自分の賃金なら変えることはできるかもしれない。


□□


 店を出てから先輩に言ってみた。あのお店小説で書いたんですよ、と。先輩はそうなんだ、と返した。先輩は私の小説を読んだら感想書くよ、と言ってくれていたが1年以上たっても一向に読んでくれる気配はない。多分そのうち読んでくれるだろう。きっといつか。仕方がないことだと思う。小説を読むのって大変なことだと思う。動画を見たりラジオを聞くよりも大変なことだ。ましてや素人の俺の書いたもの、面白いかどうかわからないものを読むくらいなら、有名作家のものを読むだろう。


 ふと思いついた。これだ、と。前回書いていた部分、ラーメン屋の描写で終わった。そしてまたラーメン屋にやってきた。同じ場所に来て、あの時の思い出を思い出す。そして俺はまた頑張ってやっていく。もしも自分の人生が小説だったらそういう風にしたら、構成として綺麗だと思う。いい感じだ。でも自分の人生は小説ではないわけで。


※ 知人、先輩、ラーメン屋さんは創作と思っていただいて構いません。

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