自粛しろ、というけれど
『自粛しろ、というけれど』
思わず叫び出したい衝動を抑えて、一人本を読む。隣の部屋では危機感を煽るニュース番組と、苛立ちを含んだ叱責が私を追い詰めていた。洗濯物を畳んでいなかったこと、洗い物をしていなかったこと、二十歳にもなって料理もまともにできないこと。それらは、じりじりと私を追い詰める。
通常ならちょっとした欠点として片付けられたそれは、この環境下では重大な欠点になった。殆ど話すことのない父親、会話というものが欠けてしまった家、重圧に耐えかねた母親。この家の善悪は、気候のように変化した。悪天候の対処法はただ耐えること、そこから逃げること、この二点だった。
今日も我が家では雨が降っていた。風も収まることを知らず、大きな雷鳴が私を脅かしていた。主たる原因は、コロナウイルスというらしかった。これは、私を家に磔にして、外には決して出そうとしない。もし、外にでたらどうなるかって? みんなが私を責めるのだ。みんなは、テレビとかツイッターとか、あらゆるところに存在している。私が気を抜いて楽しいことを考えると、その油断を決して見逃さない。だから、私は辛気臭い顔でできる限り、みんなも家族も刺激しないようにしなくちゃいけない。これは大変な作業で、私は晴れ間が見えるまで、この作業以外のことに取り掛かることができないのだった。
ニュース番組はまだ続いていた。テレビの中では、みんなが私のことを責めていた。ここから逃げ出したいと思っている私のことを、身勝手でどうしようもないと断言している。家の中は晴れ間が広がっているのに、どうしてその場所に留まっていないのか、大げさな身振りも合わせて話していた。これは、正しくもあり、でも間違ってもいる。私は多かれ少なかれ、家の中ではどこかで雨が降っているのを知っていた。雨が降っていることを隠そうとするからみんなは知らないけれども、家は雨をしのぐには不完全な場所だった。私は自分を守るためにツイッターに逃げこんだがこれも駄目だった。不道徳な発言がないか、みんなが目を光らせていた。溜まった鬱憤を晴らすために、無抵抗の罪人を探していた。
こんなとき、私はいつも図書館に行く。本を読むという目的のためにあるそこでは、私は脅かされることもなく、一人でもなかった。でも、今日は図書館に行くことはできなかった。臨時休館らしい。おそらく、この騒動が収まるまでずっと。
「どこかに、行きたい」
しかし、それは叶わない。みんながそれを許さないから。




