朝飯・登校
「……ほんと葵君って、信じらんないくらい無神経だよね」
「いや、あんな面白い姿見たら誰でも……悪かったって、反省してます」
ギロリと睨まれて、速攻白旗を上げる葵。
中学生でも、美人が睨むと凄味があることを今日初めて知った。
プリプリと怒りながらテーブルの前に座る奏の髪は、真っ直ぐな黒髪に戻っている。
癖は強く付いていなかったみたいで、短時間で身嗜みを整え終わったのは不幸中の幸いだ。
「ほら、冷めたら勿体ないし、とりあえず朝飯食べようぜ」
テーブルに焼き鮭、卵焼き、鶏そぼろと茄子のピリ辛味噌炒め、大根と油揚げの味噌汁。ついでに片手間に作ったごま油風味のキュウリの浅漬けを器によそい、テーブルに並べていく。
目の前におかずが一品増えるごとに、みるみる奏の機嫌が回復していくのが分かる。ごくりと唾を飲み込む音が聞こえたが、触らぬ神に祟りなしと、あえて無視をして支度をする。
「なんだか、テレビに出る旅館とかの朝ご飯みたい。凄いね、料理得意なんだ」
「折角食べるんだった、美味いもの食いたいだろ。毎日やってれば誰だって出来る様になる」
「……泊めてくれただけじゃなくて、本当に食べてもいいの?」
「朝から腹鳴らしてる奴が、遠慮すんな。どうせ夕飯、半端にしか食ってなかたんだろ、学校で倒れないようしっかりと体力つけとけよ」
来客を予定していない、神崎家には食器が足りない。炊き立てのご飯をよそった普段使いの茶碗は奏の前に、ドンブリは対面に座る自分の場所に並べて朝食の準備は終わり、葵も食卓に着いた。
味噌汁を啜り、焼き鮭を箸でほぐし分けてご飯と一緒にかきこむ。何時も通り、完璧な塩加減と出汁の具合だ。
おかずを次々口に放り込みながら、食事をしていると、奏が妙に静かだった。
気になって目を向けると、妙にうれしそうな顔で卵焼きを頬張って、小さな口で味噌汁を啜っている。
「なんか……うん、凄く温かい味がする」
「作ったばかりなんだから、当たり前だろ。変な奴だな」
「……そうだね、何言ってんだろう、私。もしかして、葵君の馬鹿がうつったかな?」
「風邪じゃねえんだから、うつんねえよ!」
「冗談だから、怒んないでよ」
ごめんなさいと、手を合わせて謝っているが、口元の笑みが隠れていないことから、謝罪の程度が伺える。朝から怒ったり笑ったり、随分忙しい奴だ。
今にも鼻歌を歌い出しそうな上機嫌で、箸を進めている姿を見ると、昨日は余程無理をしていたんだろう。緊張感の欠片もない緩んだ表情は、多少馴染み過ぎな気がするが、葵にしても気を遣わないで済むので、こちらの方が有難かった。
「うっ……気持ち悪い……」
「当たり前だ。俺の夕飯分の飯まで食い尽くしやがって」
「だって美味しかったし、遠慮するなって葵君が言ったのが悪い」
「無理しろとは言ってねえだろ、責任を擦り付けんな。苦しいんだったらコンビニのトイレでも借りて来いよ」
「死んでも吐かないから、安心していいよ。食べたご飯は絶対無駄にしないから」
「いや、死ぬぐらいだったら、吐き出せ」
あれから奏の食欲は留まることを知らず、結局茶碗二杯分のご飯をたいらげた。
通学路をスタスタと、もう一方はヨロヨロと歩きながら言い合う学生服の二人を、すれ違う通行人が訝し気な視線を向けている。
葵達は住宅街を通り抜け、幾つかの交差点を渡り、駅前の繁華街を通り抜けていた。周りには通勤途中のサラリーマンが、駅を中心として忙しなく宅歩道を行きかっている。通学時間のピークよりも早い時間に家を出たので、学生の姿はまばらだ。後、十五分程経てば、学校まで続く生徒の流れが出来上がるだろう。
おぼつかない足取りの奏が追いつける様、何時もよりも進むペースを落としながら、ドラックストアーや携帯ショップを横目に見ながら進むと一際大きな交差点に着いた。
この交差点を右に曲がり、小高い丘の上にある学校が葵が通う高校。
左に曲がり、橋を一本渡った先にあるのが奏の通う私立中学がある。
予定よりも少し長くなってしまったが、昨日の約束はここまでだ。
家を出る前に比べれば、幾分かマシになったのか、片手でお腹を擦りながらも、背筋を伸ばして歩く奏に振り返る。
「学校行ったら、ちゃんと家に帰れよ。後、公園で野宿はすんな、今度こそ風邪ひくか襲われるぞ」
「わかってる。もう昨日みたいなことは絶対しないから」
その言葉が聞けただけで充分だ。
じゃあなと、片手を上げて葵は自分の学校へ足を向けた。
しかし、踏み出す足先が空を蹴ってつんのめる。体勢を立て直して振り向くと、学ランの裾を奏に掴まれていた。
「あのさ、葵君」
葵が止まったことを確認し、奏は自分の制服を軽く叩いて皴を伸ばし身嗜みを整え、小さくコホンと咳をする。
そして、改まった態度に怪訝な視線を向ける葵の前で、頭を倒した。
「ありがとうございました」
冗談や、おどけた様子のない、混じりっ気なしのお礼。
キッチリ六十度の角度で下げられた小さな頭から、長い髪がサラサラと背中から脇に零れ落ちる。
意外な態度に、葵は一歩後ろに下がった。
「な、なんだよ、気味悪いな。一晩泊めただけで、大袈裟だろ」
「そんなことないよ。葵君にとっては大したことないかもしれないけど、本当に楽しい時間だったんだから」
「立つと頭ぶつけるロフトで寝て、適当な朝飯食っただけでか?」
「私には、高級ホテルに泊まって、ラウンジで朝食を食べた時よりも、ずっと嬉しかったよ」
「随分と、安上がりな奴だな」
そうかもねと、奏はニコリと笑って応えた。
「それじゃあ、またね!」
胸の前で手を振りながら、中学校へと軽い足並みで横断歩道を渡っていく姿に、
擦れ違っていく男子生徒が、何人も間抜けな顔で振り返っている。
先程迄の病人の様な足取りが噓みたいだ。普段の倍近くの時間をかけて、奏のペースに合わせていた葵としては釈然としない。
ゆっくりとした足取りでここまで来たのは、演技だったのかとも思ったが。
「いや、ねーな」
葵も、もう一度高校に向け歩き出した。
登校時間を調整するにしたって、態々時間をかけて登校してもメリットがない。
何の代わり映えしない住宅街と商店街を、二人でだらだら歩くぐらいだったら、
学校の自分の席で眠るか、勉強していた方が有意義だろうと、葵は自分の勘違いだと結論付けた。
校門まで続く、緩い坂を黙々と上りながら、周りに目を向ける。
昨日の音楽番組の話題で盛り上がる男子生徒や、放課後カラオケか喫茶店にするかで、楽しそうに相談している女子生徒、校舎に近づくにつれて生徒のざわめきが多くなってきた。
いたって、普段通りの光景だ。今朝までの出来事が夢だったんじゃないかと思えてしまう。
ふと、コンクリートを踏みしめる右足に違和感があった。
葵が足元に視線を落とすと、スニーカーの靴紐が解けてしまっている。
立ち止まり、屈んだ状態で結び直していると、背中に何かが当たった。
「いってえな……こんな所に座ってんじゃねえよ!」
後ろに居た、二人組で登校していた男子生徒の一人がぶつかった様だ。
不機嫌そうな、怒鳴り声が聞こえてくる。
「悪い、直ぐに退くから」
言い方が荒っぽいが、通学路で屈んでいるのは確かに迷惑だろう。
向こうの言い分が正しい。
葵は慌てて、脇のカバンを手に取って、立ち上がり振り向いた。
「ひっ、ア、アオ鬼……」
睨んでいた男子生徒の目付きが、恐怖に引きつり、顔色が赤から青に信号機ばりに変わった。
「おま、何してんだよ!」
隣に居たもう一人が、身体を固まらせている男子生徒の頭を無理やり下げさる。
「ご、ごめんなさい神崎君、わざとじゃないんだ。ほんと……すみませんでした!!」
恐くて口が利けなくなった友人の頭を何度も下げて謝り、引きずる様に学校へ駆け足で逃げて行った。
怒ってないと伝えようと腕を伸ばすが、彼らの姿は既に人波の先であり、もう見えない。
一人だけとり残された葵は、今度は邪魔にならないようガードレールに体を寄せ、靴ひもを結ぶ。
『おい、朝からアオ鬼が喧嘩吹っ掛けてるぜ』『二人組で相手になるかよ、ありゃカツアゲだろ』『危ないし、さっさと離れようよ』
遠巻きに見つめる視線とヒソヒソ声には慣れている。
いたって、普段通りの光景に、葵は視線を靴に向けながら小さく溜息を吐いた。