奇襲
「んっ……」
ゆさりと、葵は体を揺すられている感覚に、目を覚ました。
消した覚えのないのに、何故か照明が消えている。
ぼんやりとした視界の中、部屋は月明かりのみで暗く、ひんやりとした夜の空気が、朝がまだ遠いことを知らせていた。
身体に感じる倦怠感は、まだ起きる時間には早いと訴えている。
再び眠むろうと、膝に掛けてあった毛布を胸元迄手繰り寄せ、目を閉じた。すると今度は、先程よりも強く肩を掴まれて揺さぶられる。
睡眠を明確に邪魔され意識がはっきりとした葵は、苛立ちながら、妨害者へ視線を向けた。
「―――っ!!」
悲鳴は何とか我慢した。
目と鼻の先に、月明かりに照らされた奏が、前のボタンを全て外したスクールシャツを羽織った、スカート姿で覆い被さっていたのだ。
「あ、あの、私、は、初めてだから、へ、下手かもしれなくて、出来たら優しくして欲しいんだけど……」
葵は肩に乗せられた奏の腕を払い除け、転がる様に壁際に突っ込み、電気のスイッチを付けた。
「お、お前なんて恰好してんだ!隠せ、この痴女!」
照明の下、胸を覆っているブルーの下着と、滑らかなお腹が目に眩しい。
着痩せする体系だったんだと浮かんでくる雑念を振り払いながら、足元に投げ出されていた毛布を、絶叫しながら思いっきり投げつけた。
「わ、私だって恥ずかしいけど、や、やっぱり制服着たままの方が男の人は嬉しいのかと思って」
「勝手に人の性癖歪ませるんじゃねえよ!」
今日ほどお隣さんが先月引っ越し、空室のままである自分の角部屋を感謝したことは無い。
何故こうなったと、頭の中がオーバヒート状態で、心臓か壊れそうな程、高鳴っていた。寝起きドッキリにしてはたちが悪すぎだ。
「わ、私だって、覚悟を決めてシャワーから上がったのに、部屋に入ったら葵君寝てるし! 女の子に対して酷くない!?」
壁に背を着けて距離を取っている葵に対して、毛布で胸を隠しながら、真っ赤な顔の奏は不機嫌を隠そうともしない。
「だから俺はヤるつもりはないって言って……!」
いやまて。
家に誘う時、何もしないなんて女性を連れ込む常套句だ。
だからあえて疑われない様に、寝る直前に伝える予定だったが、つい眠気に負けてしまい、保留の状態だった。結論を先延ばした結果が、このありさまだ。
自分が招いたトラブルだと、頭を抱えながら葵は座り込んだ。
――てか、寝てるなら態々《わざわざ》起こすなよ。真面目かよ。
「ど、どうしたの突然座り込んで。もしかして、さっき頭打ったとか!?」
頭に、温かい手が乗せられた。
「傷はないけど、痛む? 救急車呼んだ方がいいかな?」
奏はオロオロと落ち着きなく頭を擦りながら、蹲る葵を心配そうに声をかける。
年下の女の子に気遣われる気恥ずかしさと、不甲斐なさに軽く死にたくなってくる。
だけど、自分の不始末でへこんでいる訳にはいかないと、葵は顔を上げた。
頭に置かれた手をしっかりと掴むと、奏の身体がビクリと慄く。
「大丈夫、別に怪我をした訳じゃない」
「そ、そっか。良かった」
安心した様に息を吐くが、見上げた先の表情は強張っており、手も少し震えていた。
「公園で言ったよな、家では従ってもらうって」
「う、うん」
彼女にとって葵が寝てしまったのは、都合のいい状況だった筈だ。なのに、約束を守ろうと自分に得どころか、損にしかならないのに起こしてきた。その上恐がりながらも、人の心配までしてくる始末だ。生真面目で、優しくて不器用な少女には、余計な目論見はないだろう。
もっと早く伝えておけば、余計な心配を掛けずに済んだだろうと思うと、申し訳なくなる。
「ロフトの上に布団が敷いてあるから、大人しく朝まで寝てろ。俺が信用できないなら、登れないように、梯子上げてもらっていい」
彼女を傷つける気持ちが無いと、少しでも伝わればいい。葵は出来るだけ優しい声を意識して、ゆっくりとした口調で、言いそびれていた命令を口にした。
「……」
返事はなかったが、奏の身体から力が抜けていくのが、掴んだ腕を通して伝わってくる。そのままストンと腰を落として座り込み、葵と同じ高さに目線が合わさった。
「……もしかして、最初から私を泊めるだけのつもりだった?」
「当たり前だろ。中学生を襲うほど、飢えてない」
「なら、公園でそう言ってくれれば良かったのに」
「そんな約束して信じたか?」
「……嘘だと思ったかも」
申し訳なさそうな奏は悪くない。
口では何とでも言えるし、疑って当然の状況だ。
「今日会ったばかりの相手を信じる方がどうかしてる。お互い明日は学校あるだろ、さっさと寝ろよな」
頭を掻きながら時計を見ると短針が一時を指していた。
眠気は覚めてしまったが、毛布を被って目を閉じれば、そのうち眠れるだろう。
立ち上がろうと、掴んだままでいた、奏の腕を離すと。何故か今度は自分の腕が掴まれた。
「だからいい加減に……」
「ならさ……なんで私を連れてきてくれたの? 葵君に何のメリットもないよね」
向けられた純粋な疑問に、言葉が出てこなかった。
覗き込んでくる薄いグレーの二つの瞳は、ガラス玉の様に透き通っていて、
葵の真意を、心の底まで探る様に見つめてくる。
家出少女に対する下心ではない。
年上としての、お節介をしたかった訳でもない。
助けたいと善意での行動でもない。
本当に思い当たる理由が葵にはなかった。
しかし、真っ直ぐに向けられた静かな視線と、強く握らた右腕は答えを聞くまで離さないと語っている。
だから葵は。
「……別に助けたかった訳じゃない……ただ見捨てたくなかっただけだ」
自分でも意味が分からないと思いながらも、あの時の気持ちを、そのまま伝えた。
「なにそれ。カッコいいセリフだけど、理由になってないよ?」
「泊める事には変わりないんだから、いいんだよ! それ以上文句言うなら、今から追い出すからな」
「……葵君ってさ、やっぱり馬鹿だよね」
上手く言葉に出来ないもどかしさから、唇を尖らせる葵を見て、奏は笑う。にんまりと、柔らかく崩した表情は、今まで見せていた笑顔とは、比べ物にならないくらい自然で魅力的に葵には思えた。