段ボールと少女
――なにしてんだ、あれ。
神崎葵は、少女が段ボールを引きずって歩いているのを、アイスを咥えながら見ていた。
高校入学と同時に叔母の家を出て、一年前から一人暮らしを始めた築26年の木造二階建てアパート。そこから歩いて十五分の距離にある近所のスーパーマーケットで、半額セールのお気に入り氷菓をまとめ買いした帰り道のことだ。
働きアリが獲物を持つように、少女が大きな段ボールをズリズリと道路を擦りながら重そうに両手で運んでいた。
バイトの荷物運びなら、ご苦労様。学園祭に使うため、スーパーから貰ってきたのなら、精が出ますねの頑張りようだが、四月頭の午後十時を過ぎている今の状況は、どちらにも当て嵌らないだろう。
そのままゆっくりとした足取りで、少女は人気のない公園へと入っていった。
葵は右手に下げているアイスの箱に目を向けた。
夏場程は急を要する必要はないが、ゆっくりと個体から液体へと変わっているだろう、迅速に冷凍庫へ放り込みたい代物だ。
しかし、それと同じ位、先程の少女が気になった。
夜の公園に段ボールを持ち込むなど、ホームをレスした人達を彷彿とさせるのに、女の子が一人でと考えると、自分に関係なくても見過すには後味が悪い。
公園と、アイスの間を何度か視線を往復させ、目をつぶり、考える事十数秒。
――見ない振りはできないよな。
食べかけのアイスを無理やり口に押し込み、同時に襲い掛かってきたこめかみの痛みに頭を抑えながら、公園へと足を向けた。
少女は思いのほか簡単に見つかり、自分の予想が当たったことに、葵は少し後悔した。
公園中央に設置された街灯に照らされたベンチの上。
そこに体だけ段ボールで包んだ出来損ないのミノムシが転がっていたからだ。むき出しの足が寒そうに震えている。
まだまだ夜風は冷たく、外を出歩くにはコートが必要になる時期なんだから、当然だろう。
「おい、こんな所で野宿する気かよ。そんな恰好じゃ風邪ひくぞ」
ビクリとダンボーが跳ねて、地面に落ちる。
寝ている体勢を急いで起こした少女は袖で顔を擦り、険吞な視線を葵に向けた。
目が赤くなっている。
――泣いてたのか。
電灯に腰まで伸ばした黒髪を照らされた少女は、よく見るとカワイイ顔をしていた。幼さを残した丸い輪郭に、ぱっちりとした大きな瞳をしている。そして、地元の有名私立女子中学のカーキ色をしたブレザーを着ていた。
「……別に、あんたに関係ないじゃん」
「近所で、事件になる様な事があると嫌だから言ってんだよ。さっさと中学生は家に帰れ」
「帰りたくないから、ここに居るの」
「だったら、警察行けよ。多分一日位だったら、泊めてくれんだろ」
「警察はいや。もう放っておい……くしゅん!」
少女はふれくされた態度をとりながら、鼻をすすり、両手で震える体を擦る。
「こんな所に居たって熱出すだけなんだ、せめて泊まれる所探せ。俺だって寒いし、さっさと家に帰りたいんだよ」
先程食べたアイスのせいか、それとも予定より外出時間が伸びているせいか、着ているコートを抜けていく風に葵は身震いする。
「……そんなに心配してくれるんだったら、家に泊めてよ」
「何でだよ、ファミレスとかカラオケで過ごせば……無理だよな」
確かに手足がスラリと長く、中学生にしては大人びた容姿だが、良くて高校生ぐらいだ。
何より制服が未成年であることを、主張している。
店に入れるどころか、そのまま警察に連れてかれるのが目に見えている。
「勿論タダじゃなくて、ちゃんとお礼はするから」
少女は急いで学生鞄からピンクの長財布を取り出し、そのまま渡そうとするが、葵はそれを手のひらで押し戻した。
「金とかの問題じゃない。どこの誰とも分からない奴を泊めるわけないだろ」
「それなら……はい。これ私の学生証。名前も住所も載ってるよ」
「お前、初めて会った奴に、そんな大事な物を見せんなよ」
「だって、口で言うよりも、信用してくれるでしょ?」
「だからそう言う事じゃなくて……あーもう……」
首をかしげて、何が問題なのか分かっていない様子の少女に、苛立ちながら頭を掻く。
「俺が下心でお前を家に泊まらせたらどうすんだ。男の家なんだぞ、それぐらい分かるだろ?」
「普通、何もしないって言って家に誘うんじゃないの?お兄さんて、もしかして馬鹿?」
「安心させるために、わざとかもしれないだろ」
「……なら、ヤらせてあげるから、今日だけ泊めてよ。大丈夫、アンタだったら今度は逃げないで我慢するから」
――ふざけんな。自分を安売りする奴と誰がヤルか
のど元迄せり上がってきた言葉を、葵は何とか飲み込んだ。
熱くなり過ぎた頭を冷やす様に、深く深呼吸する。
少女は『今度は』と言った。もしかしたら、同じ様な誘いから逃げたのかもしれない。
そう考えると、両手で自分を抱き締めても治まらない体の震えは、寒さだけのせいではない気がした。
帰りたくはない、でも行く当てがないから、結局誰かに頼るしかない。
甘い考えだ。だけど、一人きりの彼女が出した答えを、吐き捨てる気にはならなかった。
ここで断れば、少女は公園で過ごすか、それとも知らない誰かを頼りに行くか。どちらにしろ、ろくな目にはあわないだろう。
「……わかった、連れてってやる。ただし、家では俺に従ってもらうからな」
「うん、いいよ。……出来たら優しくしてもらえると、嬉しいかな」
ベンチから立ち上がりながら、少女はぎこちない笑みを浮かべた。