その8
まーは大路大橋の真ん中に立っている。隣には正義もいる。
「話す義理も無いけど、まあ、種明かしぐらいはしてあげるわよ」
実際、大した話じゃないけどね。とまーは付け加えた。既に季節は秋に入り、橋の上は真冬かと思うほど寒くなっていた。
「最初に見せてくれた動画」
「…………」
「あの動画の立ち位置だと、撮影者と被写体は少しの時間だけどお互いを認識できる位置関係になる。いくらあの子が注意力散漫でも、至近距離なら撮影者をチラ見ぐらいはするわよ。ついでに言えば、動画が建物の入口に入った段階で切られたことも変よね。撮影者が純粋に興味本位デバガメ根性で撮影したなら、どこに入るかまで撮影するはずだからね。あの階段って外から丸見えだし」
だから、とまーが続ける。
「あんたとあの子は敢えてあの動画を撮影したってこと。それと、あたしが初めてあの建物に入ったとき、五階であんたはすぐに帰ろうとした。多分だけど、顔見知りに会いたくなかったんじゃない? 四階で熱心に警察の真似事をしていたとは思えないほどあっさりしてたのは気のせい? 極めつけがさっきの寸劇。あたしが窓から声を掛けたのは建物の『四階』部分なのに、どうして迷わず『五階』に来たの? 部屋の中でもあたしがグラスを片付けている間に、迷わず中に入っていったわよね。元々、来たことあったんじゃないの? オーナーに聖歌を紹介するために。それに、あの後からぱったりと一緒に調べようとか言いださなくなったでしょ? あたしにNBCの存在を知らせることが目的だったとしたら、あの時点で最初の目的は達成出来たってことよね。多分、その時からはあたしの行動を監視することを重点的にしてたんじゃない? 学校でも敢えて避けるような行動もとってたし。どうかしら?」
「……」
「沈黙は肯定ってことでいいのよね?」
「俺はあの子の飛び降りには無関係だ」
「…………なるほど、その線引きがあんたの譲れないところってわけだ」
「嘘じゃない」
「あんた、ギャンブルしたこと無いでしょ?」
「え?」
「ポーカーフェイスがまるでダメ。嘘丸出し」
「証拠はあんのかよ」
「それって犯人の台詞。しかも事件解決直前のやつ」
正義がまーから目を逸らす。こういうところで嘘がばれるんだとまーはちょっと言いたくなった。ただ、言う意味も無いので今は黙っていた。
「あの子をNBCに入会させたのはあんたでしょ。あの自由奔放娘をどうやって入会させたのか知らないけど、自分であんな会合に参加するわけも会員と知り合うわけもないしね」
「……俺は、普通の名前だぞ」
「でも、有名人と一緒じゃん。読み方だけならね。ちょっとずるいけど、最低限の規則は守ってる」
まーは詳しく知らないが、有名なシンガーソングライターの名前らしかった。
「あんたが先に入会して、聖歌を誘った。そして餌で釣って、あの子も会員にする。次いでオーナーに紹介。多分、あんたとオーナーの間でもともと利害の一致でもあったんじゃないの?」
「……まるで、犯罪者のような言い方をするけど、それは犯罪なのか?」
「そう思うのは、あんたが本当はそう思っているからでしょう? 後ろめたいから、そう思う。違う?」
正義は何も言わない。
「あんたがあいつに惚れてたのは一部の女子には有名よ。まあ、そのせいであいつは大勢の女子から目の敵にされるわけだから、あんたに惚れられたのはほんと不幸だったと思うけどね」
「……俺が、悪いって言いたいのか?」
「別に。事実よ。それより、そろそろ隠す気無くなってきたんじゃない? さっきから普通に返答してるけど」
正義は歯噛みする。既に、まーの言う通り、彼女の言葉を否定するでもなく会話を続けているのは紛れもない事実だ。
「……あの日、俺が彼女と一緒にいたのは本当だ。でも、本当に俺は殺していない」
「だから、あんたはダメなんだよ」
「え?」
「顔に書いてある。殺して無いけど『見殺した』って」
正義の表情から色が抜ける。指先の血の気も引いていき、唇もガタガタ震え出す。既に乾ききっていた唇の端から一筋の亀裂が入る。出てきたのは、真っ赤な血だ。
「聖歌は事故だったんじゃないの? あんたの目の前で、ここから足を滑らせた」
まーが指差したのは、橋の欄干。適度な丸みを帯びたその手すりは、手で触るには申し分ないが、上でサーカスの真似事をするには優しくない造りをしている。
「つけてたでしょ。あの子のこと。昔からずっーと」
「…………………………違う、俺は違う!」
「多分、あの日、この場所であの子に声を掛けたんじゃない? NBCから帰る途中の聖歌をさ?」
「デタラメだ!」
正義の語気が強まる。それだけで、答え合わせはもういらなかった。
「今から言うことはただの妄想よ? いいかしら?」
「…………………」
「この場所であの子に声をかけたあんたは、どうにかして自分のことをアピールしようとした。普段は誰からもチヤホヤされている正義くんは、俺とかどうだいみたいなことを言ったんでしょうね。でも、あの子の心には何も刺さらなかった。どうにかして自分に興味を持ってもらうために、いろいろ言葉を尽くしていく中、何かの拍子にあの子が正義くんの言葉に反応した。それに気をよくした正義くんは、ちょっとした嘘を混ぜながら、あの子に交際を迫る」
「…………………」
「交渉には自身のあった正義くんは、気を良くしてベラベラ喋る。しかし、どういうわけかあの子は、急に橋の欄干に上った」
「…………………」
「慌てた正義くんは、驚きのあまりあの子のことを掴みにかかろうとする。しかし、そこで問題が起きる。あの子が、橋から身を翻した」
何を思いだしているのか不明だが、正義の目の焦点は合っていない。
「事故の後、反射的に緊急通報をしようとした正義くんは固まってしまう。いま通報をすれば、自分の不法行為がバレる可能性があった。そして、無理に交際を迫った結果、突き落としたと判断される危険もあった。父親の力を使えば、どうとでもなることだったけど、人生完璧主義の正義くんにはそのギャンブルが出来なかった。そうしている間に、時間が過ぎる。もしかして、落ちた時点で既に死んでいる可能性もあった。今から通報しても無意味かも知れない。リスクはどんどん雪だるま式に増えていく。そうして、判断出来ない問題が積み重なっていく。そうこうしている間に、誰か人が通るかも知れない。防犯カメラの位置は把握している正義くんでも、他人の行動までは把握出来ない。怖い、逃げたい、一刻も早く」
「そして、あんたはあの子を見殺した」
「違う!」
「そのことで、追い詰められた」
「違う違う違う!」
「だから、結果として事故だったと証明してくれる人間が必要になった」
「違うと言ってるだろっ!」
正義の声は、荒く儚い。怒気に交じって、嗚咽が聞こえる。彼は泣いているのだ。
「そこで、あたしを使うことにした」
「あああああああああああああっ!」
「あたしが調べて、事故では無いという証拠が見つからないという状態を作りたかった。いわゆる一つの、悪魔の証明ってやつかな」
「ちがああああああああああう!」
「そうやって、あたしの行動をつぶさに観察しながら、自分の希望する着地点に誘導しようとした」
「 !」
正義は地面に突っ伏している。まーの言葉に証拠はない、あるとすれば聖歌という人間の突飛さを知っているからこそ、彼女の取りそうな行動を予想して伝えたまでだ。だから、その言葉を突っぱねることは可能だった。だけれど、正義はそれが出来なかった。
ブウウウウウン ブウウウウウン
不意に正義のスマートフォンが鳴り出す。しばらくして、ノロノロと正義は自分のポケットから音源であるスマホを取り出すが、力の入らない指がそれを地面に落としてしまう。
その拍子に露わになったディスプレイには、正義にとって見られたくない名前が表示されていた。そのことを正義の表情から読み取ると、まーは足元に落ちているそれを奪った。
「っ!」
正義の掠れた声を無視して、まーは画面を見る。予想通りの名前だ。すぐさまフリックする。
「もしもーし?」
「……………………………………」
無音のようだが、ほんの少しだけ微かに何かの音が聞こえ漏れてくる。相手の息遣いさえ聞こえないが、繋がったままなのは確信出来た。
「あんた、例のオーナーさん?」
「……………………………………はじめまして、まーちゃん」
「馴れ馴れしく呼ばないでもらえるかしら?」
「失礼、では本名で?」
「…………………やっぱり、まーでいいわ」
相手はNBCのオーナーだ。画面の登録からこの男の名前が確認出来ていた。
「で? あんたの名前ってなんて読めばいいの? 大路皇子……じゃないわよね?」
「まあね、読み方は大路皇子が正解だ」
「……………………なるほど、そりゃ納得のプラチナだわ」
まーは乾いた笑いで応戦する。
「んで、いたいけな少年と美少女を弄んで、あんた何がしたいの?」
「復讐かな」
「……………………誰に?」
「この国」
「……えっと、あたま大丈夫? なわけないかー」
厄介な相手だと第一印象で直感する。声音はかなり知的で落ち着いており、感情に流されるようなタイプとは思えない。偏執的で歪みまくっているが、目的のためにはあらゆることを飲み込んで実行しそうな性格。今までの回りくどく面倒なやり方を考えれば、それも納得といった感じだ。
「で、気になる点としてはあんたの計画? が上手くいっているのかどうかだけど」
「どう思うんだい?」
「多分、聖歌が死んだのは想定外だろうけど、あんたにとっては千載一遇のチャンスが来たってところかな」
「はは、君は本当に面白いね。冷静というより冷徹だけど、ほんと面白い。仲間に出来なかったのが残念なくらいだよ」
「それで、このストーカー少年はもう使い捨て終了なの?」
「いや、彼にはまだ大事な大事な役目がある」
「何それ?」
「内緒だよ。その方が面白いだろう? 期待しててよ。それじゃあね」
「あ、ちょ」
そういうと、用が済んだとばかりに電話が切れる。まーが念のためリダイヤルするものの、既に電源を切ってしまっており、繋がらない。多分、明日にはこの番号自体が解約されていることだろう。
「はあ、まったく」
まーはもう帰りたい気持ちで一杯だったが、一人だけ会っておきたい人物がいることもあり、吐きそうな気怠さを押しながら正義に振り返る。
「んで、正義? あんたは、どうする?」
正義は微動だにしない。自分の言われたことが理解出来ないのだ。
「ま、いいや。あたしこれから行くところあるから」
「……ま、待って」
「うるさいわね。あんたの面倒まで見ていられないのよ、こっちは」
まーはスタスタと歩き出す。その後を、正義が頼りない足取りでついて行く。
結論から言えば、まーの行動は空振りだった
「……あいつからお前が来るかもと聞いていたが、本当に来るとは思わなかったな……」
自宅の玄関先で元木を待っていたのはまーだった。特に驚いた風もなく、元木はまーを家に上げる。部屋は狭いマンションで、本当に一人暮らし専用と思えるスペースしかなかった。ただ、元木の性格だろうがきっちりと片づけているらしく、綺麗なものだった。
「で、どうした。言っておくが、俺はもう無職だぞ」
つまり、あの店はもう閉めたというわけだ。
「あのプリンスって、大路の御曹司なの?」
「いや、前会長の直系らしいが愛人の子供だ。今年で確か30代前半のはずだな」
「前会長っていくつ?」
「そろそろ、110歳か?」
「なんか計算間違ってない?」
まーがゲンナリした顔をする。
「聞いたのお前だろうが」
元木の言うことももっともだった。
「で、単刀直入に言うけど、あんたたちの目的って何?」
「言えない。それはあいつの悲願だからな」
「復讐が?」
「本人はそう思ってる」
「バカじゃん」
「知ってるよ。……で、話はそれだけか? なら帰れ」
「冷たいわね」
「悪いな、お前は『仲間』じゃないんだ」
「それって、あの子たちも巻き込んでの話?」
まーは明言しないが、それは慈樹琉と覇威弩、そして玖麗羅のことだった。三人はまだ中学生だ。
「……そうだ。三人とも、そのぐらいは納得しているさ」
「でも理解はしていないんじゃないの?」
「好きに言ってろ」
「馬鹿なことするなら、馬鹿だけですりゃいいのに」
「もう帰れ、いくらお前が鳥ガラみたいな身体つきでも、男としてやることは出来るぞ?」
「………………はあ、わかった。脅されたし、仕方なく帰ってあげるわよ」
「もう来るなよ」
「はいはい」
まーが元木の自宅を後にすると、マンションのエントランスで凍えている正義が待っていた。ハチ公から忠犬的な成分を抜き出すと、多分こんな雰囲気になるんだろうとまーは思った。
「お、おい。どうして元木店長の自宅を知ってるんだ?」
「うっさいわね、前に見たのよ」
「何で来たんだ?」
「黙れ、帰るわよ。…………あ、そうそう、店長もう店長じゃないらしいから、元木元店長ってことになるんじゃない、今は」
「え?」
もうすぐ冬がやってくる。まーは正義のアホ面を眺めながら、ぼんやりとそう感じていた。
「ま、あんたがあたしの邪魔をしないって誓うなら、ちょっとは情報を流してあげるわよ」
「え? それってどういう?」
「選択時間は3秒。イエス オア ノー?」
正義に迷っている時間は無かった。
「い、イエスだ」
「オッケー。さっき元木元店長の家に盗聴器を仕込みました」
「は?」
「多分見つからないと思うから、これで元木元店長の自宅は聞き放題になります」
「いや、それって犯罪……」
「黙ラップ」
有無を言わさない、まー。
「これで、元木元店長とあの皇子野郎の接触を暴きます」
「……それで、どうするんだ?」
「あいつらの次の目的を探る。多分、他のメンバーに聞いても口は割らない。もしくはまだ知らない可能性が高い。だったら、詳しく聞かせてもらうしかないでしょう?」
まーは、にやりと笑った。正義はだんだんと自分が泥沼に入り込んでいることに気が付く。罪を隠すために罪を重ねるような行為だ。
「毒を喰らわば皿までよ。せめてお皿が美味しいことを祈ってなさい」
正義はうなだれた。それを見たまーは肯定と捉えた。