その5
「まず最初に、名前によってランク分けがされる」
「ランク分け?」
元木の発言にまーが疑問符を提示する。
「まあ、とりあえずこれを見てくれ」
ラミネートされた印刷物が提示される。ランクは全部で五段階に分かれているらしい。
ブロンズ:
有名人・有名キャラクターと同じ名前。通用性も考慮。
シルバー:
人名ではないその他を連想させる名前。漢字の難易も考慮。
ゴールド:
当て字、難読、あるいは語感によりマイナス要素を連想させる名前。
ダイヤモンド:
男女で逆転していると判断される名前。社会的マイナスを連想しやすい名前。
プラチナ:
すべての総合判断に置いて、通常使用に適さないと判断される名前。
「これって、例のオーナーが決めたんですか?」
「まあな、独断と偏見による一覧表だ。もっとも、ある程度はさじ加減で変更される場合もある」
「で、私はどこに?」
「まあ、ゴールドが無難だな」
「特典ってなんですか?」
元木が印刷物を裏返す。
ブロンズ:
毎月一回 ドリンク無料
シルバー:
毎月四回 ドリンク無料
ゴールド:
毎月四回 ドリンク無料 毎月一回 軽食無料
ダイヤモンド:
毎月四回 ドリンク無料 毎月四回 軽食無料
プラチナ:
毎月四回 ドリンク無料 毎月四回 軽食無料 毎月一回 ディナー無料
「飲食系ばっかり」
「あまり実利に差を付けても仕方ないだろ?」
元木は説明を終えたとばかりに、席を立つ。
「あとは、好きに調べろ。気の済むまでな。飽きたら、終電までには帰れよ」
「あ、ちょっとまって下さい、ひとつ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「オーナーもそういう名前なんですか?」
「ま、そうだ」
「……ちなみにランクは?」
「……お察しの通り、プラチナだよ」
じゃあな、といって元木は部屋を出た。そもそも彼は仕事中なのだ。
「ゲームバーって言っても、テレビゲームばかりしているわけじゃないのね」
「いや、まーさん。言い方が古くないっすか。何かうちのばあちゃん思いだしますわ」
まーはドリンク片手に軽食を頼みながらソファーにあぐらをかいていた。相槌を打っているのは、まーより二つ年下の男子。最初にまーがやってきたとき、玄関前にたむろしていた少年だ。まーは右耳にイヤホンをしながら会話する。昔の刑事ドラマで刑事が使うようなハンドフリー電話用のあれだ。
「ドリンク無料とはありがたいわね」
「まーさん、ゴールドっすからね。このときだけはちょい羨ましいっす」
まーは元木の説明を思い出していた。
「慈樹琉、早いな。あ、まーさんこんちゃっす」
「おお、覇威弩、玖麗羅も」
「まーさん、お久しぶりですね」
「二人とも久しぶり」
物語が混戦していると思われるかも知れないが、ただの名前だ。ジキルとハイドは双子の兄弟で、クララはその兄弟と同い年の女の子だ。三人とも、まーが初めて店に来た日に外にいたメンツだ。なお、クララには三歳離れた妹がおり、名前はもちろん玖麗摩という。断じてアルプスの少女ではない。
ゲームバーは会員制になっており、現在この地域ではおよそ二十名ほどの会員がいるらしい。他に支部があるかは知らないが、そこそこ盛況といえる。ただ、そのほとんどが大学生も含めた学生連中であり、いわゆる大人な会員はさっぱり見かけたことが無い。
また、このゲームバーでは希望があれば実名の読み方ではなくあだ名で読んでもらうように依頼をすることが出来る。その場合、見えるところに蛍光のブレスレットか名札を付ける決まりであった。中々にダサい仕様である。
「まーさん、何やってんすか?」
「ん? チェセロ」
「いや、初めて聞くんですけど……」
まーと慈樹琉は向かい合ってチェスをしているように見える。しかしどうも勝手が違う。どういうわけか挟んだ駒の向きとチームカラーが変更されるのだ。そのため、二人で2セット分も使っている。
「普通のチェスだとまーさんに全然勝てそうにないから、追加でオセロもルールにのっけたわけよ。ルールが難しくなれば俺の勝てる可能性も出てくるだろ?」
とても得意気に慈樹琉が言う。しかし、覇威弩と玖麗羅は違った。
((いや、普通に負けてるのにルールが難しくなれば余計に勝てないでしょ。え、バカなの?))
二人の考えは完全に一致していた。
ちなみに、このゲームバーでは金銭をやり取りする目的のゲームは御法度だ。もちろん、ご飯を奢るとかそういう類も厳禁とされている。外見からは想像出来ないほど健全なゲームバーなのだった。
「そういえば、みんなはオーナーって見たことあるの?」
「いや、見たこと無いっすね」
「俺もです」
「あたしも無いです。そもそも、男の人? 女の人?」
「いや、知らないし」
三人揃っても大した情報が出てこない。仕方なく、まーは近場の年長者に聞いてみる。
「ふぅさん、何か知ってます?」
「…………あんた、何であたしに聞こうと思ったんさ」
バーカウンターで不器用ながらバーテンダーの真似事をしているスタッフのふぅに聞く。さすがに歳を食ってるからとは言えず、まーは適当に誤魔化しにかかる。
「いや、バーテンダーってその、モテるじゃないですか。人の会話もいっぱい聞くし、いろいろと情報も入るでしょう?」
「モテねえっちゃ。全然」
微妙に喧嘩腰で当たってくるが、ふぅはいつもこんな感じらしいのでまーもすぐ慣れた。でも、オーナーのことは多少知っているらしく、情報を教えてくれた。
「……一回だけ見たことある。爽やか好青年って感じっちゃ」
「あ、男なんだ」
特に一目ぼれするような男性では無かったらしく、ふぅの心にはとどまっていないらしい。
「妖精燕のねーちゃん、カシオレ頂戴」
「その名前で呼ぶんじゃねえっちゃ! クラすぞてめえ!」
マジ切れしているふぅの下の名前は妖精燕という。燕という字が余計だとかいうやつは細かいことを気にしすぎていると思う。
なお、三人トリオのように自分の名前をある程度は受け入れているのもいれば、不器用バーテンダーのように自分の名前に絶対の拒絶感を持っているのもいた。人それぞれだ。
「今日はふぅさんだけですか? 鈴后さんと黎伽さんは?」
決してカレーの付け合わせの話ではない。
「休みっちゃ。ちなみにさっきのオーナーのことだけど二人ともあいつのファンだから、詳しいことはあの二人に聞けっちゃ」
腕のいい方の女性バーテンダーは二人とも休みらしい。なお、彼女らは基本バイトであり、正社員というわけでは無い。このゲームバーで正社員とギリギリ言えるのは元木店長だけだ。
「いたっ」
その声に反応して見ると、ふぅが左手を怪我していた。どうやらアイスピックでブロックの氷を砕こうとしていたようだ。何を無謀な、と思わないわけではないが、まーが心配して声を掛ける。
「大丈夫ですか?」
まーが訊くと、ふぅはしかめっ面で「大丈夫」だと言った。
「あ、そうだ。ちょっと待って下さい」
まーはゴソゴソとカバンをいじる。そうして取り出してきたのは、駅前で配っていた安そうな薄っぺらい絆創膏セットだった。
「使って下さい。タダなので」
「何で得意気……?」
ふぅはそのどや顔に追加で何か言いたそうだったが、結局は「ありがと」と言ってカウンターの奥に引っ込んだ。バックヤードで傷口を処置するつもりのようだ。
「くそっ! 何で勝てねえんだ! まーさん強すぎだぜ!」
((お前の頭が弱いんだ、はよ気付け))
仲間二人の辛辣なエア突っ込みを受けつつ、慈樹琉が頭を抱える。
19時。まーがゲームバーを出る頃には、既に周りは繁華街一色になっていた。そろそろ風が冷たいときもあり、今から冬が憂鬱になるのもこの頃だ。
「さて、そろそろ動くか」
《相棒、どうした? ダイエットの話か? 太ったのか?》
「お前なんでデリカシー機能ONにしてないの?」
《正直とは、美徳だからさ!》
「お前みたいなやつが地球のために人間を滅ぼすとか言うんだろうな。大体あたしの身体のどこに贅肉が付いてんだよ。小学生なら児相に通報されてるレベルだっつの」
まーはフリーハンドで電話をしている風を装い、イマイと会話する。
《動くって、何がだい?》
「個別にアタックかけてみるって話よ」
《属に言う発情期だな!》
「何であたしってお前と会話しようと努力とかしてんだろうな?」
まーが相手を待っていたのは、駅前にある本屋だ。ここの特長は何といってもある程度本の立ち読みが許されることらしい。まーはわざわざ来るには遠いのでこの場所でその手段を使ったことは無いが、それを常套手段にしているやつがいた。
「よっ」
「……あれ? まーさん? どうしてこんなところに?」
「ちょっと話がしたくてさ、あの二人抜きで」
そこに来たのは玖麗羅だった。
まーは玖麗羅に付き合い1時間ほど本屋で立ち読みする。玖麗羅はこの方法で読みたい本を片っ端から読んでいるらしい。それには参考書や専門書も含まれていた。
「すいません、まーさん付き合わせちゃって」
「いいよ、あたしが勝手に待ってたんだし」
時間は20時を回っている。玖麗羅は帰路につくため本屋を出た。ここからは三駅ほど歩くのだ。まーも同行する。玖麗羅の最寄り駅まで歩いて話すことにしたのだ。
しばらくは他愛のない話をして場を和ませた。学校では壊滅的に人付き合いをしていないが、バイト先と自宅周りでの成果もあり、まーも頑張れば人並みにやれるのだ。
「で、そろそろ本題に入りますか。聞きたいことって何です?」
しかし、玖麗羅にはまーの無理はお見通しだったらしい。
「助かる。もう話のネタが無くなるとこだったわ。マジで。……じゃあ早速だけど、NBCのメンバーについて教えて欲しいのよ」
「……そういっても、知らないことも多いし、言えないこともありますよ?」
「大丈夫、本人の了承は不要だから」
「はい?」
「牧島聖歌って知ってる?」
「……ああ、あの、何というか、あれな人ですよね」
「やっぱそういう認識か」
玖麗羅はどちらかと言えば馬鹿真面目なタイプ。ついでに言えば面倒事も自分で抱え込む性格だ。短い付き合いだがまーにもそれは理解出来た。本屋で立ち読みするのも、家庭の事情を考えて自分なりに節約しようという解決策の一つなのだろう。涙ぐましいというか、なんというかだ。
「知ってると言えば知ってますけど、親しくはないです。性格も正直言って合いませんし」
「あいつと性格が合うやつなんてこの世にいないと思うけど」
かくいう本人は既にこの世にいないわけだが。
「まーさんは知り合いなんですか?」
「学校が一緒の元クラスメイト」
「あ、そうなんですか。制服で見かけたことが無いので、判りませんでした。でも……元って、退学でもされたんですか? やっぱり」
「うん? 違うけどやっぱりってどういうこと?」
「いや、結構言動に、なんというか、そのアレで。普段あれだと、大変そうだなって」
指示代名詞だらけだが、いわんとしていることは分かる。
「そう言えば、あのほら、例のオーナー? 私は顔を見たことないですけど、一回だけ元木店長とその牧島さんが言い争いしているのを聞いたことがあって、その時『オーナーに会わせろ』的なことを言っていたと思います。その時、お店の中にはほとんど誰もいなくて、ちょっと凄い剣幕だったから。あたし怖くなってすぐ帰ったんです。でも、その翌日にはお店は普通で元木店長もいつも通りだったので、まあ何とかなったんだろうなって思ってたんですけど」
「なるほどね、ありがと」
まーはそれだけ言うと、二駅目で帰ると告げた。
「え? あの良ければ、うちでお茶でも」
「大丈夫、気を使わせてごめんね。今の話だけで満足だから」
正直言えば、あと一駅歩く体力に自信が無かったことが大きい。
「ねえ、くーちゃん」
「え? はい、な、何です?」
「幸せになりなよ」
「は、はい……え?」
まーはそれだけ言うと、さっさと駅に向かって歩き出した。
今日のご飯のおかずを一品を削ってでも、電車に乗ることにまーの躊躇いは無かった。
《で、収穫はどうなんだい、相棒っ!》
「急なそのテンション、マジで止めて欲しいんだけど?」
まーはアルバイトに勤しみながら、イヤホンでイマイと会話する。客の少ない時間帯はこうして会話していても特に問題は無かった。同僚のバングラデシュ人は寝ているのでそれも問題ない。
「とりあえず、信用出来そうな人間から地道に聞き込みしていくしかないわよ。あんまり大々的に聞ける問題でもないし、そもそも分からないことが多過ぎるからね」
《そうかっ! 聞き込みとは刑事ドラマのようだなっ!》
「うわっ、それを言わないでよ。あいつ思いだすじゃん」
本当に嫌そうにまーは顔を顰めた。
《犯人はヤスだっ!》
「うん、そのネタをあたしが知っていた奇跡に感謝しとけよ。絶対突っ込んでやらないけどね」
まーはそう言いながら真面目に返答しつつ、商品の補充作業を進める。この地区では異様というか常軌を逸するほど格安カップラーメンと焼酎の特用ボトルが売れるのだ。
《正義とは協力しないのかっ? 二人なら出来ることも増えるぞっ!》
「嫌だっつの。あたし、あいつ嫌いだもん」
《好き嫌いは良くないぞっ! 身体も大きくならないぞっ!》
「喧嘩売ってんの? 大体、今から何やっても横にしか大きくならないわよ」
《第二次成長期が過ぎているからかっ?》
「敢えて掘り起こすんじゃないわよっ! 察しろ」
《第三次成長期が来るかも知れないだろっ!》
「来ねえよ! ググってみろやっ! 今まで来たやついるか!?」
《あったぜっ! アメーバブログにっ!》
「これどっから突っ込むのが正解なのよっ!」
深夜の売店で小声で怒鳴るという器用な芸当を見せているまーの耳に、入口の扉が開く音が聞こえる。来店があったようだ。ちなみに、この時間のまーのタイムカードと名札は「チャン メイリン」という名前になっており、専門学校に通う中国人留学生という設定になっている。
「さーせー」
慣れた口調でいらっしゃいませを言うまー。しかしそこでふと違和感に気が付く。入ってきた客の動きと視線だ。速足で店内を歩きまわりながら、ちらちらとレジにいるまーを見る。ついでに防犯カメラの位置も確認しようとしているのが分かる。あと、それをさも自然にしているように見せかけるため、脈絡のない商品を手に取っては棚に戻したりしている。
まーは自分の経験と勘を信じ、相手にばれないようにレジカウンターの下にあるレバーを下げる。この地区ではどういうわけか不思議なことに警察への緊急通報がちゃんと届かなかったり遅れたりすることが多いので、特殊なギミックが用意されている店舗が結構ある。この店もそうだ。
5分後、意を決した客がずんずんとレジカウンターに向かってくる。まーの頭の中で自然と選択肢が浮かぶ。
『①唐揚げ串②たばこ③公共料金の支払い《④一目惚れの相手に思い切って告白》』
「最後のなにっ?!」
思わず口に出た言葉に、客が驚いて足を止めた。イマイが絶妙なタイミングで変な会話を入れてきたのだ。しかし、引っ込みがつかなくなったのか、客がつんのめるようにしてレジカウンターに突っ込んで来た。懐から出したのは刃渡り15センチほどの片刃ナイフだ。
「Ná chū qián !」
やっぱりなと思いながら、まーは慣れた口調で答える。
「Zhōngguó。Wǒ bù zhīdào 」
え? という感じで客が戸惑う。どう考えても中華系の名前なのは最初に確認したのだ。あと、そもそも中国語で返答しているわけだが、まーはこの言葉しかちゃんと言えないので、わからないというのは別に嘘ではない。
「Uhh- オイッ! カネヲダセッ!」
「ワタシ ニホンゴ ワカラナイッ!」
「Zhè shì huǎngyán.!」
中国人の新規顧客と戯れながら、まーはタイミングを見てしゃがむ。しゃがんだ瞬間、レジカウンターの奥から鉄アレイが飛んでくる。黒い飛来物は鈍い音を響かせながら客の胸板を痛打する。
「??!」
のたうち回る客に近づくのは、めちゃくちゃ不機嫌そうなマッチョゴリラだ。
「アビルさん、あとよろで」
まーは安全のために奥へとはいはいで避難する。こういう時のために雇っているのがこのアビル=バッタアチャリャなのだ。
「オマエ! ナニ……!」
「Śāṭa āpa」
店内で録画されると不味そうなスプラッタが繰り広げられている中、まーは隙あらば休憩交代とばかりにポットでお湯を沸かし始めた。アビルは慣れたもので、防犯カメラの死角になるよう、位置取りを行うと日頃のストレスと社会への不満をぶつけるようにゴスゴスと殴り続けている。
「今日も平和ね」
《ほんとだなっ!》
まーはあくびを噛み殺しながら、次の作戦を練っている。