その4
あの子が川に落ちたと聞いて、まーは真っ先に病院へと向かった。エキセントリックでどうしようもないやつだったが、ふざけて川に飛び込むようなやつじゃない。
「聖子さん!」
病室の扉を開けると、聖子がいた。目の焦点は定まっていない。ぼんやりとどこかを見ているだけだった。
「……聖子さん、大丈夫?」
大丈夫じゃないことは容易に感じ取れた。目は真っ赤で腫れぼったくなり、唇はカサカサになっている。その聖子の目の前には聖歌が横たわっていた。顔にまだ布はかけられてはいないが、直感的に死んでいることが理解出来た。
横たわっている姿は一見すれば人間のようだったが、何も感じることが出来なかった。中身の入っていない空っぽ。完全に無だった。まーはそこでは泣かない。先にやるべきことがあったからだ。
「聖子さん、こっち見て」
まーは床に立て膝をつき、聖子に視線を合わせようとする。なかなか視線が定まらないが、徐々に焦点が合ってくる。
「まーちゃん?」
「そうだよ、聖子さん。いまからやること、わかる?」
優しくゆっくりと聞いてあげるが、聖子の反応は芳しくない。ふるふると首を横に揺らすだけで、何を聞かれたのかも分かっていないかもしれない。
「じゃあ、変わりに私が準備するから、家の鍵を貸してもらえるかな」
よくは分かっていないようだが、たどたどしい動作で鞄から鍵を取り出す聖子。
「それじゃ、準備してくるから。病院では先生と看護士さんの指示通りにすればいいからね。あと、親戚の人たちには私から連絡しておくから」
現在の状況を看護士に伝え、まーは急いで聖子と聖歌の自宅へ向かう。
誰もいない自宅は空虚そのもので、家電の待機音ぐらいしか聞こえない。必要そうな書類やら貴重品やらを取り出してまとめる。電話帳も確認して、片っ端から電話をかけていく。中には本当に嫌そうな態度をとる親戚もいたが、概ねは儀礼的な返答に終始してくれた。
ひと段落して周りを見ると、随分といろいろなものが散乱している空間だと気が付く。聖子も聖歌も、こういう片付けがひどく苦手な人種だったので、ほとんどの片づけはまーが手伝いで行っていた。最近はましになっていたので片づけに来る頻度を減らしたことが裏目になり、そこそこにひどい散らかりようだった。息を吐くと、まーは部屋の掃除に取り掛かる。
「……これ、なに?」
そんな掃除の最中、部屋でふと見覚えのない物体を見つける。そこらで見かけたことのあるゲーム機だ。ポータブル型というやつで、外に持ち運びができるようなタイプだ。まーはいままでそういう類の遊びをしたことがなく、使用方法などはわからないが、おそらくスイッチを入れて遊ぶものだとは想像できた。
プルルルルルルルル
「わっ!」
ちょうどその時、家の中にあった固定電話が鳴りだした。その拍子に、慌てたまーは手に持っていた携帯ゲーム機を取りこぼす。ゴタッ、という衝突音とともに、偶然ゲーム機のスイッチが入る。
壊れていないか確認しようと、まーはゲーム機を拾い上げた。すると、奇妙な現象が起こる。
《やあ、お嬢さんっ!》
「…………は?」
ゲーム機がしゃべった。いや、確かにそういうゲームもあるのだろうが、立ち上がりでこんな言葉を発するゲーム機などあるのだろうか。
《早速で申し訳ないが、充電してくれないかな? もう電池残量が5%切ってるんだよっ!》
「…………」
まーは無言でそいつを見つめる。
《おっと、なかなか強情なお嬢さんだねっ!。今、お嬢さんの考えていることを当ててみようか?》
「…………どうぞ」
《このまま放置するか、捨てるか迷ってるって感じ?》
「…………半分正解」
《あと半分は?》
「何かで叩き潰そうかと…………」
《はっはー! こりゃ痛快なお嬢さんだ! ここは命乞いでもする場面かな?》
え? 本当にナニコレ? とまーの脳内を疑問符が駆け巡る。
《俺の名前はイマイだぜっ!》
「なにその唐突な自己紹介。しかもゴリゴリの和名」
《創造主がつけてくれたんだぜ!》
「…………変人なのね」
《聖歌ほどじゃないぜ》
「…………あんた、あの子の、え? 知り合い? いや、その言い方はおかしいのか?」
《おやおや? 話が通じないと思ったら、君はマスター登録している聖歌とは違うお嬢さんなのかい? こいつは困った!》
「マスター登録……ああ、あの子がこのゲーム機に登録しているってことか」
《その通りさ! でもご安心を! もう一人登録できる枠が残ってるのさ!》
「いや、しないし」
《電池残量がゼロになると、記憶媒体がリセットされちまうんだ! 助けてくれ、お嬢さん!》
「いやそう言われても、そもそも、どうしてあたしがお嬢さんだって認識できてるの?」
《この世の全てはお嬢さんだからさ!》
「あ、だめだこれもう壊れてるわ。返品要件だわ」
《へいへい! まだあきらめるような時間じゃないぜ!》
最近のゲーム機はあたまおかしい人が作ってるのか……と嘆きつつ、まーは適当に放置しようと机に戻す。
《まてまてお嬢さん! 充電プリーズ! 一台に一度のお願いさ!》
まーは無視を決め込み、部屋の片づけに戻ろうとする。
《でないと、聖歌の日記データも消えちゃうぜ!》
「え? 日記?」
あの自由奔放娘が日記をつけるなど想像出来ない。けれど、まーにとってその情報は現在この世界で一番価値のある情報だったと言えた。
「……充電。すれば読めるの?」
《モチロンさ! 国産ハードは嘘つかないぜ!》
まーは一瞬本気で壊そうかと考えたが、背に腹は代えられない。仕方なく、それっぽい充電コードが刺さっていそうな場所を探す。思いのほかすぐに見つかり、本体にコードを指し込む。
「それで、日記ってのは?」
《急かすなよお嬢さん。まずはマスター登録をしないとな》
「はいはい、名前とかでしょ?」
《ノンノン! 俺っちは最新ハードだぜ。生体認証が必要さ!》
「…………いやいや、なんでゲーム機ごときに生体認証が必要なのよ!」
《俺っちはオリジナルソフトだからさ! 信頼関係が大事だからさ!》
「これ作ったやつ本気であたまおかしいんじゃないの!」
《褒め言葉と受け取っておくぜ! 網膜認証と指紋認証、それとも声紋認証がいいかなっ?!》
このどうにもならない感じ、誰かに似ていると思った。しかし、まーはすぐにその原因に思い当たる。
「…………そのどうしようもない支離滅裂っぷり、あんたと話していると、なんでか聖歌を思いだすわ」
《そこに気が付くとは流石だな! 察しの通り、俺っちはマスターとの交流でマスター好みの性格に変わっていく疑似人格モジュール。イマイ3号さ!》
「好み? その変なハイテンションが?」
《そうさっ! 元気があれば、何かが出来るのさっ!》
まーは確信した、このオリジナルソフトを作った人間は、たぶんもうやばいやつなのだろうと。
ただ、まーはこのゲーム機の存在を聖子が知らないのではないかと直感する。聖子の趣味には合わないからだ。となると、あの子が自分で購入したことになるわけだ。けど、それもあり得ない。なぜなら、あの子は無駄に使えるお小遣いをもらっていない身分だったからだ。では、どうやって。
まーはしばらく考えたが、答えが出ない。しかし、まずは可能性をつぶしていくことから始めようと考えた。その為のヒントは既に目の前にあるのだから。
「じゃ、とりあえず声紋認証で。網膜とか指紋とかマジで嫌だからね」
《すでにもう登録したさっ!》
「最低限事前に許可とりなさいよ! 規則を守れ!」
《それで、日記がどうしたってんだいっ!》
「…………あー、もう。とりあえず最初から順を追って読ませて」
イマイと出会い、まーの中で何かが動き始めた瞬間だった。もちろん、それが良かったのか悪かったのかは、まー本人もよくわからないのだが。